おやすみ
現代、過去、未来、異世界。
人間、亜人、ロボット、動物。
お好きな世界観を当てはめて、お好きな登場人物を当てはめてお読みいただければ幸いです。
「……おやすみ」
──人生で一番辛く怖いはずのその言葉を、人生で一番幸せだというように囁いて、彼女はゆっくりと目を閉じた。
すぐには、返せなかった。
冷たくなっていく彼女を腕に抱きながら、僕は独り考える。
ねぇ……僕と過ごしたこの日々、君は何を感じ、何を考え、何を欲し、何を望み、何を想っていたの?
君は最後までなにも欲を言わず、ただ、単調な日常のみを過ごしていただけだった。
僕と君の物語は結局のところ、悪い最後だったんじゃないかな。
君は僕に色々なものをくれたけど、君自信は結局なにも得なかったじゃないか。
君は優しいから、なにもできない僕に〝今が一番幸せだ〟と言ってくれた。
でも、こんな世界で独り死んでいった君は、本当に、最後の最後まで〝幸せ〟だと思っていられたの?
君は僕にいろんな事を教えてくれたのに、僕は君になにもしてあげられなかった。
僕は君に出会って、初めて憎しみ以外の喜怒哀楽という感情を知った。
僕は君に出会って、初めて普通の、平凡で、平和な生活というものを知った。
僕は君に出会って、初めて〝幸せ〟というものを知った。
僕は君に出会って、初めて人を愛するという気持ちを知った。
僕は君になにかをあげられた?
僕は君になにかを教えてあげられた?
君が楽しいと、幸せだと思えるような瞬間を、本当に与えてあげられた?
君がどんなに頷いても、僕は、胸を張って頷くことは最後までできなかった。
だって僕は君に貰ってしかいなかったんだから。
君に与えて貰ってばかりだったんだから。
私は不器用だからなにもしてあげられない……だなんて、謙遜も甚だしい。
あなたからいろんなものを、いろんなことを、貰い、教えられた……だなんて、勘違いだ。
僕が君にあげたのは、わずかな平凡。
文字として、言葉として表す意味すらないような、当たり前すぎる日々。
あげた、与えた、なんて言うことすらおこがましい。
そんなものは、たとえ僕でなくとも与えてあげられるものだ。
君はそんな僕に〝それでも、ありがとう〟って言ってくれた。
──でも、違うんだ。
──いいや、違うんだ。
僕が君にあげたものは、僕でなくてもあげることができたものなんだ。
たまたま、その場所に、君の近くに僕がいただけで、君はそれを勘違いして、僕が自分にとって特別なんだと思っているだけなんだ。
君が過ごす日常に、たまたま僕がいただけじゃないか。
必然性もなにもない、ただの〝偶然〟だ。
知らず知らずのうちに、僕が君を騙して、君は僕に騙されていただけなんだ。
自分は、今、ほんとうに幸せなんだって。
──ごめんなさい。
でも。
でも、ほんとうに──本当に君が今日までの、今までの日々を、これまでの平凡を、心から〝幸せ〟だと思っていてくれたのなら、それが僕の嘘だったと知らなかったとしても、僕は嬉しい。
こんな僕と、こんなバカで愚かなやつと過ごした日々の事を、君が本気で〝私の人生で一番幸せな日々だった〟と思っていてくれたのなら、僕は本当に嬉しい。
だって、それは僕が君に一番あげたかったものなんだから。
だって、僕は君のことを、ほんとうに──愛していたんだから……。
終わる。
世界が終わる。
永遠かと思われたこの世界が終わる。
今すぐなのか、数分後なのか、数時間後なのか、数日後なのか、数ヶ月後なのかは判らない。
けれど、必ず世界は終わる。
どう終わるのかは僕にも判らない。
彼女ならわかるかもしれないけれど、彼女はもういない。
それでも、終わることは間違いない。
怖くはない。
彼女が──君が、最後まで一緒にいて、僕に幸せをくれたから。
この世界は終わる。
どう終わるのかは、誰にも判らないし、知ることなどできないだろう。
いや、もうだれも知ろうとは考えないだろう。
もう、この世界には僕しかいなくなってしまったのだから。
だから、この世界で今まで生かしてもらった一人として、この世界に最後に残った一人として、僕がこの世界の終わりを見てやろう。
僕が最初で最後の〝世界の終焉〟を見てやろう。
大地を見下ろす。
緑に包まれた草原。
そのなかに、ポツリポツリとうかぶ黒い小さな花。
あれが始まり。
あれが終わり。
あれが終焉。
今でもどんどん世界を犯し続けている、真っ黒な花が。
美しい花なのに、終わりを連れてきた花として、名前すら与えられなかった花。
私と一緒だと、君は悲しそうに笑っていた。
だから、僕は君と一緒にこの花に名前をあげた。
だから、愛しい。
この花は僕にとって終わりの使者ではなく、初めて、二人で作った大切な思い出だ。
いいよ、いつでも来い。
こっちはいつでも構わない。
僕にはもう〝僕〟しかない。
正直言って僕は終わりなんかには興味がないから、このまま自害してもいい。
けれど、それじゃあ彼女に悪い。
だから俺は生きよう。
最後まで生きて、最後を見てやろう。
それが、君のお願いだから。
初めて、そして最後に、君が望んだことだから。
動かない彼女の顔を、そっと近づける。
無理矢理は嫌いだと言っていたけど、最後くらいは許してもらおう。
何度も、何度も交わした、拙い口づけ。
幸せそうな微笑みは、もう見ることはできないけれど。
だからこそ、言える。
「おやすみ」
読んでいただき、ありがとうございました。