第一章 再会と暗躍
視界を覆う紅い色。
肌身を焼き焦がす灼熱の波。
何度も何度も目にしてきた光景。注がれる数多の視線は皆、畏怖の光を宿したものばかり。
しかし、それが向けられるのも当然のことだ。
人は誰しも、人智を越えた異能の力に怯え、恐怖する。そして自らの理解が及ばぬ力を行使する者を、その姿や能力に即した名で呼び、敬意を払う。
自らが目撃した凄惨たる光景を、記憶に深く刻み込み、二度と忘れない為に。
「――間違いねぇ……!」
視界の端で、誰かがそう口走った。
僅かに震える声で。
身を竦ませているような声色で。
「間違いねぇ! こいつ……、『金色紅蓮』だ!」
大層な『通り名』だなと、紅の渦の中心点にいる者は、その端正な顔立ちに薄く笑みを湛える。
そう呼ばれ始めたのはいつの頃からだっただろう。
異能の力を、殺戮に特化したこの技術を行使し続けている間に、いつしか敵対する者達が、彼女のことをそんな風に呼び始めたのだ。
由来は、恐らく考えるまでもない。
腰の辺りまで伸びた金色の髪と、流星のような煌きを放つ同色の双眸、そして彼女自身が操る『力』を目の当たりにすれば、自ずと答えは導き出されるのだから。
その『力』は、どこまでも深く紅い色をしている。
まるで夕日のように。
まるで鮮血のように。
全てを滅し、全てを無に帰す絶大な『力』。
『炎』――。
それが、彼女が生み出す熱き色合いだった。
◆ ◆ ◆
『戦王歴』〇一四五年。
『ジラータル大陸』に於ける長い歴史の中で、最も古い血脈を持つ『アドリスター一族』が、大陸を統べるようになってから、すでに今年で一四五年目。
それまで幾度となく統治する側とされる側で小競り合いが続いていたものの、それでもどうにか大陸の歴史は存続してきた。
ところが今から十年程前。ある一人の男が玉座に就いた時から、歯車が大きく狂い始めた。
男の名は、ベルセルク・アドリスター。
大陸の暦が『戦王歴』と呼ばれるようになってから四代目となる王。その非道さから、人々はいつの頃からか、陰ながら彼をこう揶揄するようになった。
『魔王』と――
「――いやーやっぱさすがッスよ! あの人数を相手にして無傷だなんて!」
青々とした緑豊かな街道を進む、一台の荷馬車。その御者台に手綱を握って座るザスティンは、殊更明るい声を張り上げた。
ところがどういう訳か、御者台には彼以外、誰一人座っている者はいない。何の脈絡もなく、しかも結構な声量で話している青年の姿は、傍からだと独り言を発しているただの危ない人にしか見えないだろう。
もちろんザスティンはそんな危ない症状を持ち合わせてはいない。彼の話し相手は、ちゃんと荷台の方に乗り込んでいる。
……いや、正確には寝転がっていると言うべきか。
麦や酒樽が積まれた荷台の一角に、干し草を絨毯代わりにして横になっているのは、やや不機嫌な面持ちで瞳を閉じているミレーナだ。
返事が返ってこないことを不審に思ったのか、ザスティンが肩越しに荷台の中を覗き込んでくる。
「あれ、ミレーナさん? 寝ちゃったんスか?」
「……うるさいわねぇ。起きてるわよ」
「な、何で不機嫌になっちゃってんスか……? オレ何か余計なこと言っちゃいました?」
「別にあんたがどうこうって訳じゃないわよ。『さっきの連中』が鬱陶しいことしてくれたから、ちょっと頭に来てるだけ」
「ああ、なるほど……。安眠妨害はミレーナさんの天敵ですもんね……」
苦笑するザスティンを尻目に、ミレーナは瞑想状態を保ちつつ、軽く溜め息を吐いた。
それは数十分前のこと。例の手紙の件を解決する為、『クレミオン村』から少々離れた位置にある街、『ケルフィオン』を目指して街道を進んでいる時だった。
わかりやすく言えば、有り金身包み全部置いてけ、的な展開である。
筋骨隆々とした、男ばかりの武装集団。有り体に表現するなら盗賊、或いは強盗と呼ぶべき怖いお兄さん達が、ざっと十人程。荷馬車の周囲を取り囲まれるまでに、恐らく十秒も掛からなかっただろう。
一体どこに潜んでいたのか、とにかく相手は突然現れ、御者であるザスティンに脅し文句を浴びせてきたのだ。命が惜しければ以下略、といったお決まりの台詞を。
もしもこの時、荷馬車に乗っているのがザスティンだけだったなら、軍配は明らかにならず者達の側に上がっていただろう。人数的にも武力的にも、それは疑いようのない事実だ。
だが、残念ながら彼の傍らには、文字通り寝転がっていたのだ。
時に『人間兵器』と呼ばれることもある、圧倒的な戦力が。
この広大な土地、『ジラータル大陸』に於いて、何百年も前から存在し続けている、異能の力を振るう者。
彼らの名は、魔術師。
人を生かせず、また活かせないという言葉通り、殺傷や殺戮に特化した『魔術』と呼ばれる力。それを行使する彼ら魔術師達は、時代の流れと共にその数を減少させてはいるものの、未だに恐るべき存在として君臨し続けている。
そんな中、灼熱の炎を操る『深紅魔法』の使い手として、近頃とある魔術師の名前が大陸のあちこちで囁かれるようになっていた。
それが他ならぬ彼女、魔術師ミレーナ・イアルフスである。
事実、先程追い払ったならず者達ですら、ミレーナの『通り名』を当然のように知っていた。それ程までに彼女の名は、大陸中を独り歩きしているということになる。
(正直『通り名』なんて不本意この上ないんだけど……。消そうと思って消せるものでもないし……)
一人の魔術師として『ゴーレム』討伐やならず者退治に明け暮れた結果、いつの頃からか周囲の人間が、彼女の容姿と行使する力の色合いを差してこう呼ぶようになった。
『金色紅蓮』、と――
「あーっもう! やっぱりダメね。すっかり目が冴えちゃったわ」
投げ遣り気味に上半身を起こしたミレーナは、軽く伸びをしてから立ち上がり、荷台から御者台へ移動してザスティンの隣に腰を下ろした。
ならず者を追い払ってから意地でも二度寝してやろうと努めていたミレーナではあったが、小規模とはいえ戦闘によって覚醒した彼女の脳は、睡魔とは無縁の状態に陥ってしまっていた。
この荷馬車自体、元々お世辞にも乗り心地が良いとは言えない上、至る所に傷や汚れが付いていることも相俟って、快適な乗り物と呼ぶには相応しくない。
しかし裏を返せばそれは、この荷馬車が存分に使い込まれているという、商人にとっては誉れとも言うべき証に違いないのだが。
「……って言うか今更だけど、何だってあんたまで付いてきた訳?」
眩し過ぎる程の晴天の下、荷馬車の独特な振動に揺られながら、ミレーナは隣にいるザスティンに改めて問い掛けた。
すると、件の青年は楽しそうに口を開く。
「いいじゃないッスかー。『ケルフィオン』なら丁度オレの行商先ですし、ついでッスよついで。ミレーナさんだってこうして旅費が浮いてるんスから、一石二鳥じゃないスか」
と、先程までの騒動などどこ吹く風か、呑気に鼻歌を歌い出すザスティンに、ミレーナは短い溜め息で応じる。
旅費が浮くのは確かだが、それは明らかに彼自身が付いてくる為の口実である。恐らくザスティンも、例の手紙の差出人が誰なのか気になっているのだろう。
尤も隣の青年と違って、ミレーナには差出人の見当がついている訳だが。
「……ねぇ、ザスティン」
「何スか?」
「あんた、今の王族のこと、どう思う?」
世間話のつもりで尋ねると、ザスティンはやや面喰らったように目を瞬かせた。
「政治の話ッスか? どうって言われても、そんなに思い入れはないッスよ。そりゃまぁ圧政に苦しんでる人がいるのは事実だし、酷い話だとも思うッスけど……。だからってオレにどうにかできるような問題でもないッスから」
「ふーん……」
「ミレーナさんこそどうなんスか? 魔術を使って圧政を敷く『魔王軍』を懲らしめる! ……みたいな展望とか、持ってないんスか?」
「あんたは私を何だと思ってんのよ」
ここぞとばかりに不満さを顔に出すミレーナを一瞥し、ザスティンは朗らかに笑う。
「尊敬してるんスよ、ミレーナさんのことを。もっと自分の行動力に誇りを持ってもいいんじゃないスか? 行く先々で人助けをしてるからこそ、『金色紅蓮』なんて『通り名』を付けられてる訳ですし」
「あー聞きたくないその話! 気分が悪くなるから私の前でしないでくれる?」
両手で耳を塞ぎ、顔を顰めるミレーナに対し、ザスティンは明るい口調で切り返してくる。
「えーっ何でッスか? 中々的を射た『通り名』だし、格好良いじゃないスか。ミレーナさんらしくてオレは好きですよ」
「他人事だからそんな台詞吐けるんでしょ。どこのどいつが呼び始めたのか知らないけど、妙な渾名付けられたみたいでみっともないったらありゃしない……」
「……ミレーナさん。天邪鬼って言葉知ってます?」
「殴るよ? 割と本気で」
照れ隠しなんでしょ、とでも言いたげなザスティンの台詞に、ミレーナはやや剣呑な振る舞いを見せる。
そんないつも通りのやり取りを交わしながら、荷馬車は街道を進んでいく。
目的地となる街の姿は、次第に近付いていた。
◆ ◆ ◆
ザスティンの行商先でもある『ケルフィオン』は、大陸南西地域の中では割と面積の広い街だ。
交易の命綱たる街道は、南北に連なる『ブラウズナー渓谷』を大きく迂回する形で、大陸西側へと伸びている。その街道沿いにある街ということもあり、多くの旅人や行商人が訪れる『ケルフィオン』は、瞬く間に賑わいを見せるようになっていった。
「そういえば、詳しい待ち合わせ場所って手紙に書かれてなかったッスよね? 『ケルフィオン』の酒場って言っても、何軒かあるはずだし」
整備された街の通りを進む荷馬車の上で、ザスティンはふと思い出したように言う。
確かに彼の言う通り、手紙には『「ケルフィオン」の酒場で待っている』としか書かれていなかった。街のどの辺りにある、何という名前の酒場なのかということなど、呼び出した割には不親切過ぎる文面である。
が、手紙の差出人に心当たりのあるミレーナは、慌てることなく口を開く。
「心配無用よ。場所ならちゃんとわかってるから」
「えっ、そうなんスか?」
「もちろん。道案内なら任せなさい」
意外そうな表情のザスティンに指示しつつ、荷馬車は街中を一定の速度で進んでいく。右折左折を数回繰り返し、とある通りの一角に辿り着いた所で、ミレーナは荷馬車を停めさせた。
やや古めかしい石造りの建物。主人の趣味なのか、軒先にある花壇には色彩鮮やかな花々が植えられている。一階建ての店の上部に掲げられている看板には、少々くすんだ文字で『バッカス』と刻まれている。
確か神話に出てくる酒の神様の名前だったか、と曖昧な知識を掘り出しつつ、ミレーナはザスティンと共に酒場の入口を潜った。
無数のランタンの灯りに照らされた店内には、まだ昼間だというのに客が多い。その理由は恐らく、ここが食堂としての役割も果たしているからだろう。
尤もそれを抜きにしても、酒を煽っている輩は数人いるようだが。
(さて、私の予想通りなら、多分その辺に……)
店内を見渡し、とある一点に注視したミレーナは、所在無さげなザスティンを引き連れて歩き出した。
彼女が進む先。店の奥にある角のテーブル席に、ややくすんだ薄緑色のフーデッドマントを着た人物が陣取っている。
フードを目深に被っているその姿は、傍から見なくても充分怪しい。
が、予想的中だと判断したミレーナは、件の人物に静かに声を掛ける。
「お久しぶりです、シュバルツさん。お待たせしてしまいましたか?」
「……! いえいえ、どうかお気になさらず。呼び出したのはこちらなのですから。お久しぶりですな、イアルフス殿」
ミレーナに気付き、返ってきた声は年配の男のものだった。
男はミレーナの後ろにいるザスティンに気付いたらしく、見えない視線をフードの奥から送る。
「お連れの方、ですか?」
「ええ。私の友人で、ザスティン・ベックと言います。行商のついでに私をここまで送ってくれたんです」
「そうでしたか。それはどうも、ご苦労様です」
怪しげな風貌とは裏腹に、口調は丁寧かつ穏やかな男。
やはりその正体が気になったのだろう。背後から身を乗り出したザスティンが、不審そうに口を開く。
「ミレーナさん。誰なんスか、この人」
「ああ、ごめんごめん。そういえばまだ言ってなかったわね」
苦笑するミレーナに合わせるかのように、男は徐ろにフードを捲った。
短く整えられた灰色の髪と、穏やかながらも厳格そうな顔付きが露わになる。
「この方はシュバルツ・コナードさん。元老院の一人、マナ・ウェスタイン様の側近を勤めている方よ」
「初めまして。よろしくお願いしますな、ベック殿」
「元老……って、ええっ!?」
ザスティンが素っ頓狂な声を上げた瞬間、店内にいた客の何人かが、不思議そうにこちらに視線を向けてきた。
やや慌てて、ミレーナはザスティンを店の奥へと押しやる。
「馬鹿! 声が大きいわよ」
「いや、でも、何だって貴族の、しかも元老院の側近の方がこんな所に……。そもそも何でミレーナさんと知り合いなんスか?」
周囲の視線に気を配りつつ返答しようとするミレーナより先に、微笑みを浮かべたシュバルツが静かに口を開く。
「以前出掛け先で、私の乗っていた馬車が野盗に襲われたことがありましてね。その時、偶然通り掛かったイアルフス殿に助けて頂いたんですよ。――その節は大変お世話になりましたな。この場を借りて、重ねて御礼申し上げます」
「前にも言いましたが、気にしないでください。単なる偶然に過ぎないんですから」
労いの言葉を苦笑しながら受け取り、ミレーナは少しだけ雰囲気を厳しいものへと変える。
「……お一人なんですね、今日は」
「ええ、まぁ」
「理由を伺っても?」
「すでにお気付きなのではありませんか?」
こちらも同じく、その身に纏う雰囲気を厳しいものへと変化させたシュバルツが、そう問い掛けてきた。
彼の言う通り、その理由にある程度察しが付いていたミレーナは、慎重に言葉を返す。
「私と会う事を政府側の人間に知られたくなかったから、ですよね。こんな遠回しな呼び付け方をしたのも、封筒に差出人の名前を書かなかったのも」
「……」
「つまり、それだけ重要な話をしたかった。違いますか?」
ミレーナの問いに、ただ黙して僅かに視線を逸らすシュバルツ。
その仕草を肯定と受け取り、ミレーナは隣のザスティンに視線を投げた。
「そういうことだから、ザスティン。悪いんだけど、しばらく席を外してもらえる?」
ミレーナとシュバルツ、双方の顔を交互に見つめた後、ザスティンはどこか申し訳なさそうな顔付きになると、静かに頷いた。
「……わかりました。まぁどの道、行商先に挨拶に行かなきゃいけなかったんで、丁度よかったッス。――どれくらい掛かりそうですか?」
「そうね……。とりあえず一時間後に、街の入口で合流しましょ。それまでゆっくりしてるといいわ」
「了解ッス。それじゃあ、また後で」
ミレーナだけでなく、シュバルツにもきちんとお辞儀をしたザスティンは、少々元気のない足取りで酒場を出て行った。
その様子をしばらく見送っていたミレーナに、視界の端から声が掛かる。
「申し訳ありませんな。貴殿のご友人を無碍に扱うような真似をして……」
「構いませんよ。ああ見えても、ものわかりはいい人間なので」
すでに姿は見えなくなったザスティンの方にもう一度視線を送ってから、ミレーナはシュバルツの対面に腰を下ろした。
「急な呼び出しにも関わらず、御足労頂きありがとうございます。私が言うのもなんですが、あの文面だけですぐにここだとわかるとは、さすがですな」
「以前ここで御馳走して頂いた時に仰ってましたから。『この酒場は、代々ウェスタイン家が懇意にしている仕入れ先なんだ』と」
先程シュバルツが口にしていた通り、偶然ながらも彼を野盗から救ったミレーナは、御礼がしたいと言われ、この酒場に招かれたことがある。
その際シュバルツは、貴族とは思えない程の気さくさを発揮し、その手の人間を毛嫌いしているミレーナを大いに驚かせたものだった。
楽しい食事会だったと今でも素直に思えるのは、やはりシュバルツの人柄の良さがあったからだろう。
微笑みつつ、ミレーナは続ける。
「とはいえ、封蝋の印璽がウェスタイン家の家紋だと気付けたのは、ほとんど偶然でした。あれに気付かなかったら、ここには辿り着けなかったかも知れません」
「そうでしたか。それは重々、ご迷惑を御掛けしました」
深々と頭を下げるシュバルツに、ミレーナはやや困惑してしまう。
いかに気さくな性格をしていようと、相手は貴族でこちらは平民だ。もしもここが社交界のような場だったら、周りにいる貴族達から間違いなく反感を買っていただろう。
尤も平民が社交界に呼ばれることなど、百歩譲っても有り得ないだろうが。
「それで、何なんですか? お話しというのは」
少しでも早く頭を上げさせようと、ミレーナはシュバルツにそう促した。
するとシュバルツは、重苦しそうな表情を浮かべてしばらく黙り込んでしまった。余程切り出し難い話題なのか、黙する彼の顔色は優れない。
もう一度こちらから促してみるか、とミレーナが思案していると、ようやくシュバルツがその重い口を開く。
「……これから私が話すことは、どうか他言無用にして頂きたいのです。もちろん、先程のご友人にも」
「……? どういうことですか?」
シュバルツの真意が読み取れず、ミレーナは眉根を寄せながら尋ねた。
目の前に座る温厚な貴族は、尚も固い表情のまま言霊を吐き出す。
「イアルフス殿もご存知でしょう。未だ圧政を敷き続ける現テルノアリス王が、陰ながら民衆に何と揶揄されているか」
「! それは……」
無論知っている。知らない訳がない。
ミレーナ自身、彼の王を『その名』で揶揄したことは一度もないが、耳にしたことは何度もある。
例えば、商店の軒先で。
例えば、食堂の隅で。
陰ながらではあるものの、老若男女問わず誰もが、彼の王を侮蔑している現状を。
「『魔王』――。非常に嘆かわしいことです。民衆がそのような陰口を叩いていることも。そしてそれを知りながら、自らの行動を改めようとしない我らが王も……」
「……」
「ですがどうか理解して頂きたい。現政権の人間全てが、王と同じ理念や思想を持っているという訳ではないと。……我々とて頭を痛めているのです。近年に入ってからの王の悪逆ぶりは目に余る。このままでは悲劇が後を絶たず、いずれは――」
「シュバルツさん」
発言に熱が籠り始めたシュバルツを諌めるつもりで、ミレーナは彼の言葉を遮った。
ハッと我に返ったような表情をするシュバルツに、冷静な魔術師は続ける。
「知ったような口を聞くつもりはありませんが、心中お察しします。ですが、自らのお気持ちを吐露する為に、わざわざ私を呼びつけた訳ではないですよね?」
「……!」
「本題に入りましょう。先程仰られた通り、秘密は厳守しますので」
「……そうですな。前置きはこのくらいにしておくべきだ」
自らを嘲笑するかのように笑みを零したシュバルツは、一度大きく息を吐くと、再び緊張感を纏った表情で、核心となる言葉を口にした。
「現在我々は、『魔王』の軍勢に反旗を翻す為、秘密裏に武装勢力を立ち上げています」
かつての食事会で見せた温和な表情とは無縁の、高潔な貴族たり得る精悍な顔付きで、シュバルツは締め括るかのようにこう続けた。
「ミーレナ・イアルフス殿。あなたには、その勢力の中核を担う魔術師の一人として、加入して頂きたいのです」
◆ ◆ ◆
酒場の玄関を潜り、表通りへと出たザスティンは、荷馬車を停めてある場所に向かって歩き出した。
(……ミレーナさん、ちょっと元気がなかったよな)
物憂げな思いを、浅い溜め息へと変換する。
店に残った二人が、どのような話をするつもりなのかはわからない。だが彼女らを包む空気からは、とても談笑できる内容ではないということが容易に感じ取れた。
やはり自分は付いてくるべきではなかったのだろう。胸の内から湧き上がる後悔の念が、ザスティンの表情を曇らせていく。
恐らくミレーナは、手紙の差出人があのシュバルツ・コナードと名乗る貴族だと気付いた時点で、こうなることを予想していたに違いない。
街に着く直前、彼女は『王族のことをどう思うか』と問うてきたが、今にして思えば少々不自然な言動だった。
普段ミレーナは、あまり積極的に政治に関する話をしない。元々貴族に対して好感を持っていないせいか、彼らが絡むような話題を口にすることを避けている節がある。
だというのに、今日の彼女は違った。
いや、今日に限って、今日だからこそ思わず問い掛けてしまったのかも知れない。
その時点で彼女の異変を察知し、適切な対応ができていれば、少しは男としての株も上がっていただろうに、全く以て情けない限りである。
(馬鹿だよなぁ、オレ。少しでも長く一緒にいたいから、なんて子供みたいな理由で付いて来てさ……)
自分の幼稚な動機に嫌気が差し、先程よりやや深い溜め息を吐くザスティン。
ミレーナに告げてしまった手前、行商先に顔を出しにいかなければならないのだが、今の精神状態では正直あまり気乗りしない。
だがそれはそれ、これはこれである。この程度のことで仕事に支障を来すようでは、商人の名が廃るというものだ。
よしっ、と気合いを入れ直し、酒場の角を曲がる。表通りとは対照的に日陰の多い路地裏へと入って、停めてある荷馬車に乗り込もうとした、その時だった。
「――オイお前。ちょっと顔貸せ」
突然、背後で誰かが乱暴な口調でそう言い放ったのだ。
路地裏ということもあり、男のものと思しきそれが自分に向けられた言葉だろうと思ったザスティンは、相手を確かめようと振り返った。
瞬間、彼が辛うじて視界に捉えられたのは、目前に迫り来る鈍器のような物体だった。