旅路の途中で 後編
「――悪いが、ここ最近ウチで扱った依頼の担当者リストの中に、該当する名前は載ってない。他のギルドメンバーに聞けば顔を見た奴くらいいるかも知れないが、恐らくは望み薄だろう。近頃妙な事件が頻発してるせいで、みんな自分の仕事をこなすのに躍起になってるからな。一、二度見掛けた程度の人間の事を覚えているとは思えん」
「……そうか」
受付の男から返ってきた期待外れの答えに、アルフレッドは内心で溜め息をついた。
『ベルフィル』の一角に建てられている『ギルド』。木造二階建ての一階奥にある依頼の受託を行う受付には、アルフレッド以外にも様々な格好をしたギルドメンバー達が佇んでいる。
一人で受付の人間と話し込んでいる槍使いの男は、防具と呼べそうな装備はほとんどない軽装姿だし、数人の仲間とテーブルを囲んでいる大剣使いの男は、右腕全体を包んでいる頑丈そうな銀色の手甲が眼に止まる。アルフレッド自身、すでに見慣れてしまった光景ではあるが、やはりこうして『ギルド』を訪れると、独特の空気によって自然と気が引き締まってしまう。
とはいえ今、アルフレッドはその良い意味での緊張感を保つのが、少々困難な心境に陥っていた。
その原因は、受付の男から返ってきた先の言葉のせいである。
そもそもアルフレッドが一人でここを訪れているのは、ディーンの旅に付き合う事とは別に、彼自身の目的があるからだ。
かつてアルフレッドは、大切な人間との絆を失ってしまった。
『とある経緯』から、長年チームを組んでいた『ギルド』の仲間達と仲違いを起こし、つい最近まで、アルフレッドは一人大陸を彷徨っていた。
その『とある経緯』に、少なからずディーンも関わっていたりするのだが、とにかくアルフレッドは現在、壊れてしまったかつての仲間達との関係を修復する為、大陸各地を回って仲間の行方を捜している。
すでに何人かの仲間とは合流し、話し合いを済ませた上で和解している。受付の男に尋ねたのは、未だ所在の掴めない残りの人間に関する事だ。
が、結果は聞いての通り。いかに『ギルド』が情報収集に最適な場所だとはいえ、狙った情報がすぐに手に入るとは限らない。
(……ま、そう簡単に見つかりゃあ苦労はしねぇよな)
有力な情報が得られる事を期待していたのは確かだが、何も藁にも縋る思いで臨んでいたという訳ではない。情報が手に入らなければ次の場所を目指す。ただ単純に、そうすればいいだけの話だ。
適当に考えつつ、とりあえず礼を言ってその場を離れようとしたアルフレッドだったが、それよりも僅かに早く、受付の男から声が掛かる。
「ああ、そうだ。物はついでって事で、何か依頼受けてったらどうだ? すぐに紹介出来る仕事も、いくつか溜まってるぞ?」
「……いや、悪ぃが今はそういう気分じゃ――」
「まぁまぁ、堅い事言うなって。とりあえず話だけでも聞いてってくれよ」
アルフレッドの台詞をあっさりと聞き流し、受付の男は卓上の書類をガサガサと漁り始める。
カウンター越しにアルフレッドは溜め息を吐いてみるが、受付の男は意に介していないらしい。散らばっていた複数の書類を一つにまとめ、順に眼を通しながら続ける。
「少々面倒なものから簡単なものまで色々あるぞ。まず『ゴーレム』討伐の依頼が五件。それから行商関連の依頼が二件に物資輸送の依頼が三件。あと護衛任務の依頼が一件と……、こりゃあんたには似合わない仕事かも知れないが――」
書類の束の最後を捲りながら苦笑を浮かべ、受付の男はこう締め括った。
「――猫捜しの依頼が一件入ってるな」
◆ ◆ ◆
「やっぱり可哀想だよー! 置いてなんていけない!」
駅から三つに分かれていた通りが再び合流する位置にある、直径三十メートル程の楕円形の広場。その中心に設置されている白い煉瓦で出来た噴水の傍で、どうにか逃走者の確保に成功したディーンは、未だ頑なな態度を取る少女を前に色んな意味で辟易していた。
追跡開始から、およそ二十分。
通りが真っ直ぐな一本道で造られているこの街の構造上、相手の姿を見失うという事態に陥る事がなかったせいか、比較的早めに追い掛けっこは終わりを迎えた。が、それでも貴重な時間を無駄にしている感は否めない。
しかも相変わらず、議論はこれからどうするのかで平行線を辿っている為、一向に解決の見通しがつかない状況が続いている。
「だからって飼うなんて選択肢は絶対に有り得ねぇからな! 根無し草同然の上に騒動に巻き込まれやすい俺達がまともな世話なんて出来る訳ねぇだろ!」
……などとリネにぶつけてから、自分で言ってて悲しくなるなぁと、ディーンは一瞬頭を抱えそうになる。
その間にも、リネは憤慨した様子で言い返してくる。
「じゃあどうするの? またさっきみたいに見捨てろとか冷たい事言うつもり?」
「別に見捨てろとは言ってねぇだろ! キチンと対処出来もしねぇのに無闇矢鱈に拾おうとすんなっつってんだよ!」
「だからそういう所が冷たいって言ってるの! ディーンのわからず屋!」
「お前なぁ……ッ!」
最早何に対して言い争っているのかすら不透明になりつつあるディーンとリネ。そんな両者を、今はシャルミナの腕の中に移行させられている猫が見つめ、どこか不安そうに小さな鳴き声を上げる。
まるで「喧嘩しないで」と訴えているかのような幼い猫の頭を一撫でし、この場で唯一落ち着いているであろうシャルミナが口を開く。
「ハイハイ、そこまで。主張したいのはわかるけど、感情任せにあれこれ言い合ったって何も解決しないでしょ。違う?」
「それは……! そう……ですけど……」
「特にディーン。あんたリネさんの事、今までもそうやって頭ごなしに言いくるめてたんじゃない? だとしたら、あんまり褒められた対処の仕方じゃない事ぐらい、私が指摘しなくてもわかってるわよね?」
「うっ……」
的確に痛い所を突かれた人間というのは、往々にして反撃の言葉を詰まらせてしまいがちである。現にディーンは、シャルミナの厳しい物言いに返す言葉が見つからなかった。
漸く静かになった所で、シャルミナは仕切り直しとばかりに咳払いを一つ挟み、二人の顔を交互に見つめながら告げる。
「私の立場からすれば、二人とも言ってる事は正しいと思うわ。野良猫だからってただ見捨てるのも違う気がするし、無闇に拾って飼おうとするのも違う気がする。……だからここは、二人の間を取らない?」
「「間を取る?」」
シャルミナの言葉に耳を傾けていたディーンは、図らずもリネと全く同じタイミングで、同じ台詞を口にしてしまった。それに続いてリネと眼を合わせてしまうが、何だか気不味くてすぐに逸らしてしまう。
「……つまり、あたし達で飼い主を探すって事ですか?」
「そういう事。お互いの譲歩案としてはこれが一番良いと思うんだけど、どうかしら?」
シャルミナは二人に向けてというよりも、むしろディーンからのみ許可を取り付けようとしているらしい。今の台詞は明らかに、ディーンを狙って放たれたものだった。
薄紅色の相眸に見つめられ、暫し沈黙するディーンだったが、やがて観念しましたと言わんばかりに肩を落として盛大な溜め息を吐く。
「……わかったよ。譲歩でも何でも受け入れてやるよ、ったく……」
「だってさ、リネさん。良かったわね」
「はい! ありがとうございます、シャルミナさん!」
俺に対する礼は一切なしかよ、とジト眼でリネに訴えてみるディーンだったが、それに気付いていない様子のリネは、シャルミナから受け取った件の猫と再び戯れ始めている。
(……あくまでも飼い主探しを承諾しただけだって事、ホントにわかってんのか? この女……)
何となく嫌な予感を拭い切れないディーンだったが、二人の前でああ言ってしまった以上仕方がない。飼い主探しに貴重な時間を割く事は、すでに決定事項となってしまったのだ。
ただ問題は、この猫の飼い主になってくれそうな人間をどうやって探すかなのだが……。
「――てめぇら、こんな所で何やってんだ?」
何だかんだ言いながらも、結局は内心で律儀に打開策を練り始めていたディーンの耳に、聞き慣れた青年の声が響いてきた。
振り向くと、こちらの様子を怪訝そうに見つめているアルフレッドと眼が合う。
「あら、誰かと思えば買い物サボってどこかへ行ってたダグラスさんじゃない。用事はもう済んだのかしら?」
合流の挨拶をディーンが口にしようとするより早く、シャルミナが腕組みしながらわざとらしい口調でそう言い放った。
完全に嫌味である事はわかっているらしく、アルフレッドは「……一応な」と返しながら、眉間に皺を寄せてみせる。
(どうして常に喧嘩腰なんだよ、この二人……)
全く歩み寄る気配の感じられない少女と青年に、ディーンは内心で溜め息を吐く。この二人の関係改善を促す事と、出来れば短時間で猫の飼い主を探し出す事では、果たしてどちらが簡単な仕事なのだろうか?
「……それはそうと、何なんだその猫は?」
閑話休題とばかりに、アルフレッドが怪訝そうな表情のまま、猫を指差して呟いた。
すると、まるでその言葉が出るのを待っていたかのように、リネが心底嬉しそうな表情を浮かべて口を開く。
「えへへー、可愛いでしょ? さっきここに来る途中で拾ったんです。今二人と話し合ってて、飼い主を探してあげようって話になったんですけど――」
「あん? 拾っただと?」
リネが言葉を紡ぎ切る前に、アルフレッドが突然声を上げた。
彼の言葉の端に妙な引っ掛かりを覚えたディーンは、すぐさま尋ね返す。
「何だよ。何か気になる事でもあるのか?」
三人と一匹の視線が集中する展開に動じた様子もなく、アルフレッドはしばらく考え込んだ後、冷静な口調で言葉を紡ぐ。
「この件と関係あんのかどうかわからねぇが、実はさっき『ギルド』で――」
◆ ◆ ◆
「ありがとうございました。月並みな言い方しか出来ませんが、本当に助かりました」
広場での話し合いから三十分後。アルフレッドから詳しい経緯を耳にしたディーン達は、揃って『ギルド』を訪れていた。
猫捜しの依頼を『ギルド』に出していたのは、四十代前半と思しき行商人の男性だった。
彼の愛猫『アーニー』は、行商先で捨てられていた所をこの男性に拾われ、旅の同行猫、もとい同行者として、ここ半月程行動を共にしていたそうだ。ところが数日前、『アーニー』に首輪を買ってやろうとこの『ベルフィル』の街を訪れた際、行商人の男性がほんの一瞬眼を離した隙に、『アーニー』は姿を消してしまったのだそうだ。
もちろん男性は、すぐに『アーニー』を捜して回ったのだが結局見つけられず、止むなく『ギルド』に依頼を出す事にした。
もしも一週間経っても見つからなければ、『アーニー』の事は諦めよう。
苦渋の決断を下した行商人の男性は、少しだけ滞在日数を延ばして『ベルフィル』に留まっていたらしい。
行商人の男性は猫を愛おしそうに抱きながら、安堵した様子で語る。
「しかし……、本当にいいんですか? 偶然とはいえ見つけて頂いたのに、報酬はいらないだなんて……」
『ギルド』で依頼人に顔を合わせたディーン達は、アルフレッドを筆頭にすぐさまこう告げたのだ。報酬を受け取る事は出来ない、と。
現に今アルフレッドは、猫を見つけた経緯を知っているシャルミナを連れ立って、『ギルド』の中で受付の人間に事情を説明している最中だ。
カウンターに寄り掛かって話しているであろう二人の姿を思い浮かべつつ、ディーンは苦笑する。
「構いません。本当にたまたま見つけたってだけの話ですし……。それに、『ギルド』に所属してる俺達の連れも、『偶然に託つけて仕事の報酬を受け取ったりなんかしたら、ギルドメンバーの名折れだ』って言ってるんで」
「そうですか……。すみません、ご厚意に甘えてしまって……」
「ディーンの言う通り気にしないでください。――良かったねぇ、飼い主さんの所に戻れて。もう勝手にどこかへ行ったりしちゃダメだよ?」
男性に抱えられている『アーニー』を優しく撫でながら、リネは慈愛に満ちた表情で呟く。
その後ディーン達と一頻り会話を交えた行商人の男性は、何度もお礼を言いながら何処かへと立ち去っていった。
すると、まるでそれと入れ替わるかのように、『ギルド』の中から男女の物と思しき話し声が聴こえてきた。
「――だから何であんたってそう嫌味な訳!? 私はただ提案してるだけじゃない!」
「それが余計な世話だっつってんだよ。てめぇにゃ関係ねぇんだから黙ってやがれ、このド素人が」
「何ですってぇッ!?」
外に出て来ようとしているのか、徐々に近付いてくる二人の声。
やがて入口を潜って現れたシャルミナとアルフレッドは、今にも掴み掛りそうな険悪な雰囲気を醸し出していた。何が原因なのかは定かではないが、互いに眉間に皺を寄せ、刺々しい言葉の応酬を繰り広げている。
「……ったく。またやってんのかあいつら」
感情任せに言い合ったって何も解決しないでしょ、とか何とか言ってたのはどこの誰だよと思いつつ、ディーンは二人の仲裁をしてやろうと歩き出す。
「ディーン」
が、そんな彼を呼び止める声が背後から掛かった。ディーンが素直に振り返ると、リネが所在無さげに視線を彷徨わせながら佇んでいる。
そんな彼女の口から、次に飛んでくる言葉が何となく想像出来るディーンだったが、とりあえず名前を呼ばれたので返事をしてみる。
「何だよ?」
「……あの、さっきはごめんね。ディーンにだって都合とか考えとかあったのに、無神経な事色々言っちゃって……」
「……」
「別にディーンの事が嫌いだからあんな事言ってたって訳じゃなくてね! その……、つまり……」
ディーンが黙り込んでいるのを良い事に、リネは随分と必死な様子で弁明を続けていく。
ところが、そんな幼気な少女の姿が、どういう訳かディーンには酷く滑稽なものに見えてしまった。それこそ油断して、思わずクスッと笑みを溢してしまう程に。
「! なっ……、何で笑ってるの……?」
どうやらリネは、真剣に話しているのに馬鹿にされたと誤解してしまったらしく、不満そうに眉根を寄せ、少々怒ったような表情を浮かべている。
これはさすがに説明しないと不味いと思い、ディーンは慌てて言葉を付け加える。
「いや、悪い悪い。茶化してる訳じゃなくてさ。ただ何て言うか……、お前らしいなと思ったんだ」
「……えっ?」
ディーンの言葉はリネの意表を突いたらしく、少女は呆気に取られた様子で、黒真珠のような瞳を大きく瞬かせた。
その反応を内心可笑しく思いながら、ディーンは続ける。
「強情で見掛けより気が強い所も、そうやって縮こまって申し訳なさそうに謝る所も、全部お前らしい、お前だけの個性なんだなって……。ま、それに振り回されて辟易してるのも確かなんだけどさ。何だかんだ言いながら、結局はお前のやってる事を許容しちまうんだよなぁ、最終的に……。いやはや不思議なモンだ」
腕組みしつつ、感慨深げに数回頷くディーンに対し、リネはやや困惑した表情で口を開く。
「……ねぇ。それって、あたしの事褒めてる言葉なの?」
「……さぁな……。自分でもよくわかんねぇや」
「何それ、変なの」
軽く頭を掻いて首を傾げるディーンの仕草が可笑しかったのか、リネは笑いながらそう零した。
そんな反応から、少女にいつも通りの明るさが戻りつつある事を確認したディーンは、やや不器用な口調で言い放つ。
「まぁその、何だ。お前に言われた事なんて別に気にしてねぇよ。だからお前も気にすんな」
「フフッ。そうやってぶっきら棒な言い方しか出来ない所が、ディーンの個性なんだよねぇ♪」
「……うるせぇよ」
何となく気恥ずかしかったディーンは、ニコニコと満足気な表情を浮かべているリネから視線を外し、悪態をつく。
相変わらずなやり取りではあるが、それが互いの信頼関係から成り立つものであるという事を、ディーンはすでに気付いていた。
そして恐らくは、悪態をつかれても笑顔を絶やさないリネ自身も……。
「ところでさぁ。シャルミナさんとアルフレッドさん、さっきから何の言い合いしてるんだろ?」
「……それは俺じゃなくてあいつらに聞いてくれ」
げんなりするディーンと、不思議そうな顔付きのリネ。二人の視線の先では、シャルミナとアルフレッドが未だに不毛な争いを続けている。
人の事を言えた義理ではないのかも知れないが、あの二人を見ていると、さすがのディーンもこう言いたくなってくる。
もう少し仲良くしろよお前ら、と。
「……やれやれ。とりあえず買い物の続きは、あいつらを大人しくさせてからだな」
正直面倒臭いという思いを溜め息に変え、隣で苦笑しているリネを連れ立って、ディーンは二人の傍へと歩み寄る。
数秒後、骨肉の争いに終止符を打つべく、まさしく烈火の如き怒声が『ベルフィル』の街に響き渡ったのだった。
世界の崩壊は、静かに忍び寄りつつあった。
滅びの時は、確実に迫りつつあった。
しかしそれでも、少年少女達は諦める事なく日常を生きている。絶望に苛まれる事なく、自らの道を歩み続けている。
平穏も安らぎも、まだ失われてはいない。
旅路は未だ途中。彼らが歩みを止める事はないだろう。
希望をその手に掴むまでは、決して。
という訳で、『宵闇の剣編』の合間に起きた割とどうでもいいお話でしたw
緊張感があるのかないのかわからない話でしたが、戦闘パートが多めの本編と比べると、休憩的展開としてはまぁまぁなんじゃないかなぁ、なんて思いながら書き上げました。
それにしても、本当にギスギスしますよねぇ、シャルミナとアルフレッドってw
こいつらが仲良くなる日は来るのだろうか……。
さて次の外伝ネタについてですが、いよいよ『例のアレ』を投稿しようかと画策しております(゜▽゜)
何の話かわからないでしょうが、とりあえず次回投稿をお待ち頂ければと思います。
それでは!ノシ