Act.8 解放と決着
かつて『ゴルムダル大森林』において、獣の魂を他者に憑依させ、自らの手駒として操ろうとした『魔術師』がいた。
その者の名は、リシド・ベイワーク。
彼が行使する『従魂魔法』は、獣の魂をベースに、『魔術』の『核』となる水晶を用いて他人の神経を支配する、言わば強制服従能力だった。『闇』の『属性』を司る『魔術』は、自然現象を引き起こす『四大属性』の『魔術』とは随分異なり、大半のものが他者に悪影響を及ぼす能力を持っている。
人を殺す為の能力とは、何も単純に、相手の命を奪い取る事だけに秀でている訳では無い。相手の意思や心と言った精神面への攻撃も、使い方によっては相手を殺す事に繋がるのだ。
『魔術』が、人を殺す事にのみ特化した技術だと呼ばれる所以はここにある。
そんな『闇属性』の『魔術』の中で、彼の力もまた、他者を自身の思い通りに操る事が出来るものだ。
『墮針魔法』――。
それが、『魔術師』ハロルド・ベイワークが行使する『魔術』の名称である。
対象となる者の身体に、『魔術』の『核』となる極小の針を打ち込む事で、相手の神経を支配し、操り人形に変えてしまう。彼の兄であるリシド・ベイワークが行使していた『従魂魔法』と違い、特定の発生条件が必要ではない為、強力かつ非道なまでの力を有している。
唯一欠点を上げるとすれば、『操る対象として指定出来るのが生物だけである』、というものだが、それでも彼の『魔術』に制約となるものはほとんど無い。
だからこそ、ハロルドが自身の力に酔い痴れ、同じ『魔術師』である兄を力の劣る者として扱うのは、至極当然の結果だった。
優秀な力を持つ者と、そうでない者。
弟と兄。
だが何の因果か、両者が手に入れた『魔術』の力は、図らずも同じ『闇属性』で、対象となる人間を精神的に追い詰める能力だった。
ハロルドとリシド。
兄が死んだ今も、『魔術師』として悪行に身を投じ続けるハロルドは、未だに知り得ていない。
ゴミだカスだと蔑み見下した相手が、アルフレッド・ダグラスが、自身に対抗し得る力を手にした事を。
自らの『魔術』で配下としたレオンたちを引き連れ、ハロルドは逃げ去ったアルフレッドの姿を血眼になって探していた。
あの男がここに逃げ込んだのは間違いない。恐らくこの空間のどこかに隠れているのだろう。
ならば後は探し出し、追い詰め、徹底的に嬲り殺すだけだ。
たかが一ギルドの構成員の分際で、舐めた真似をしてくれたあの愚か者を。
「オラどうした!? ここに隠れてんのはわかってんだぜ! さっさと顔を見せてみやがれ! それとも何か!? 結局無様に逃げ回るだけで、大した反撃も出来やしねぇのか!」
室内に木霊すハロルドの怒号。しかし一向に、相手から反応は返って来ない。ハロルドの叫び声が木霊した後に残るのは、恐ろしいまでの静寂だけだ。
「ふっざけんじゃねぇぞぉッ!! ゴミカスの分際で無視してんじゃ――」
いい加減、苛立ちが頂点に達しようとしていた、その時。
突如として、薄闇の彼方から投擲された二本の短剣が、刃を突き立てようと飛来した。
微かな風斬り音を耳にしたハロルドは、瞬時に『堕針魔法』で操っているレオンを使い、彼が握るロングソードで短剣を叩き落とす。
そしてその瞬間、ハロルドはある事に気付く。
自分の頭上数メートルの位置に、丸い形状の黒い物体が放り投げられているのを。
「ハッ! また閃光弾か? 二度も同じ手を喰う訳ねぇだろうが!」
嘲笑うかのように叫び、ハロルドは自らの視界が潰されるのを防ぐ為、マントで顔全体を覆い隠そうとした。
が、その瞬間。
頭上で弾け飛んだ物が齎したのは、閃光では無く爆発だった。
「何……ッ!?」
予想外の事態に動揺するハロルド。
この展開こそが、爆発物を投擲した人物の狙いだった。
先程の逃走劇から、ハロルドに兵器関係の知識が無い事を予想したアルフレッドは、手榴弾を閃光弾だと思わせる事で、例え一瞬でも相手に隙を作らせようと考えたのだ。
爆発によって天井が抉り取られ、頭上から吹き付ける爆風と共に、土砂と瓦礫がハロルドの身に降り注ぐ。
咄嗟に後方へと回避するハロルドの、更に背後。
囮に気を取られたが故に、がら空きと言える程の隙が出来た位置。
直剣を携えた戦士アルフレッドは、そこから疾走すると共に、両手で握り締めた剣による鋭い突きを放つ。
だが――。
「なぁんてな」
「!?」
死角から放とうとしたアルフレッドの渾身の一撃は、突きの軌道をあらぬ方向へ弾かれてしまう。
アルフレッドの攻撃を阻害したのは、レオンとは別の、『堕針魔法』の餌食となった旅人だった。
大きく振るわれた棍棒の打撃によってバランスを崩したアルフレッドは、続け様にと突進を仕掛けてきた別の旅人の攻撃をまともに喰らい、横向きの状態で数メートル突き飛ばされた。
「がっ!」
着地と同時に乱雑な形で地面の上を転がされ、視界が二転三転する。
身体中に鈍い痛みを感じる、と思った時には、すでにアルフレッドの身体はうつ伏せの状態で停止していた。
アルフレッドは、傍らの地面に突き刺さっている剣を支えに、どうにか立ち上がろうとするが、それをさせまいとするかのように、脇腹の辺りに強烈な蹴りが入れられてしまう。
「ぐほっ!」
再び地面を数回転がった所で、アルフレッドの耳に心底愉快げな声が響いてくる。
「甘いんだよゴミカスが。その程度の小細工、俺様が見抜けないとでも思ったか!」
アルフレッドが立ち上がろうとする素振りを見せる度、ハロルドは自身の脚や、『堕針魔法』で操っている者たちの肢体を使って、アルフレッドの身体を容赦無く痛め付けた。
何度も叩き込まれる攻撃。
休む間も無く続けられる拷問。
いつしかアルフレッドの身体は大きく投げ出され、彼は仰向けの状態で、力無く地面に倒れ込んだ。
「あ~あ~、ったくよぉ。やっぱ期待なんてするもんじゃねぇなぁ。こうやって数で押せば何の事はねぇ。思ってた以上につまんねぇ結末だったぜ」
弱々しくこちらを睨み付けるアルフレッドを、ハロルドはたっぷりの嘲笑を込めて見下ろす。
「ああ、丁度いい。愉快な事思い付いた。どうせなら最後はコイツに決めてもらうとするか。なぁ?」
「……!」
地面に伏すアルフレッドが、僅かに眼を見開く。
ハロルドが指名したのは他でもない、レオン・マーガストだった。
「気付いてねぇとでも思ったか? さっきのてめぇらの会話を聞いてりゃあ、てめぇらが仲良しこよしのお仲間だって事ぐらい誰でもわかんだろうが」
ククッと笑いつつ、ハロルドは愉悦に塗れた表情で高らかに叫ぶ。
「喜べゴミカス! てめぇの最期を看取るのは、てめぇが大好きなお友達って訳だ! いいじゃねぇの! これ以上ねぇくらい最高のフィナーレじゃねぇか! ハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
ハロルドの言葉に呼応するかのように、レオンはロングソードを携え、アルフレッドにゆっくりと歩み寄る。
彼の眼は相変わらず虚ろだった。虚ろな瞳でアルフレッドの姿を捉え、操り人形のようにぎこちない動作でノロノロと剣を振り上げる。そこには一切、彼の意思が感じ取れない。ただ命じられるがままに行動する、脆弱な存在と成り果てている。
だからこそ、アルフレッドは憤りを感じた。
かつての仲間を傀儡とするハロルドに、ではない。
無様にも操られて、戦士としての誇りを失っているレオンに、だ。
「何……やってんだよ、お前は……!」
話し掛けても無駄だとわかっていた。だがそれでも、アルフレッドは言葉を続ける。
意志無き人形と化した友を、仲間を、ただ見ている事など出来なかった。
「お前は俺なんかよりも……、ずっと優れた戦士の、はずだろ……! そんな、簡単に……自分を、見失ってんじゃねぇよ……ッ! いい加減眼ぇ覚ませ……! レオン・マーガスト!!」
アルフレッドは、自らの心の内にある思いの丈を、全てレオンにぶつけた。
偽りなど無い。打算や思惑などあろうはずも無い。『魔術』などという訳のわからない力に、ただ純粋に、負けてほしくなかったのだ。
自分なんかよりも、優れた資質を持ち得ている、眼の前の戦士に。
だが、それでも、
レオンから返ってきたのは、無言という無慈悲な答えだけだった。
その瞬間、アルフレッドは今度こそ、心の底から絶望に打ちのめされた。
そうだ、奇跡なんて簡単に起こりはしない。大体自分は、それを今まで嫌という程味わってきたはずではなかったか。
所詮自分は彼らと仲違いした愚かな人間。
これは当然の帰結。当然の結果。
当然の、報い。
例えどんなに声を枯らして叫ぼうとも、自分の想いがレオンに届くはずなど――
「ア……フ、ド……」
「!」
それは、全てを諦め、双眸を固く閉じた時だった。
アルフレッドの耳に届いたのは、今にも消え去ってしまいそうな程か細く、弱々しい声。
誰かが何かを伝えようと、必死に声を絞り出そうとしている。
再び眼を開き、声の主を探したアルフレッドは、そこで息を飲む。
なぜなら、囁くような声を発していたのは、かつての仲間。レオン・マーガストに他ならなかったからだ。
「ア、ル……フレ……、ッド……」
「……レオン?」
俄かには信じられなかった。
かつての仲間が自分の名前を必死に呼ぼうとしている。
まるで何かに、そう例えば、ハロルドの仕掛けた『堕針魔法』の力に抗おうとするかのように、レオンは掲げていたロングソードをゆっくりと下ろし、尚も言葉を発しようとしている。
「……お、前に……言われ、ちゃ、……世話ねぇよ……な、全、く……」
身体を小刻みに震わせながら、無理矢理笑顔を作って、レオンはアルフレッドにそう囁いた。
「バ、バカな……ッ! 俺様の『堕針魔法』を、自力で破っただと!?」
眼の前の光景が信じられないのは、敵対者であるハロルドも同じらしい。アルフレッドやレオンに反撃する事も忘れ、ジリジリと後退りすらしている。
好機があるとするなら、それは今をおいて他には無いだろう。
まさに千載一遇。
これが最後の賭け。
仲間が必死に戦っているというのに、自分だけが倒れていてどうする!
(踏ん張りやがれ……ッ! アルフレッド・ダグラスッ!)
自分自身を鼓舞し、両脚にありったけの力を込め、アルフレッドは立ち上がった。
仲間と共に困難に立ち向かう為、困惑しているハロルドに鋭く言い放つ。
「覚悟しやがれ……、ハロルド・ベイワーク。てめぇの人形劇も、ここまでだ!」
アルフレッドは最後の力を振り絞り、地面に突き刺さっていた剣を引き抜いた。
するとその瞬間。刀身の根本にある黄金色の宝玉から、眩いばかりの光が発せられた。
まるで彼に力を与えようとするかのように。
共に戦うという意志を、強く示しているかのように。
『頑張れよ、アルフレッド』
それは『ワーズナル』での別れ際、あの少年が口にした言葉だ。
そうだ、自分は負ける訳にはいかない。
眼の前の醜悪な『魔術師』に。
立ちはだかる困難な状況に。
自分自身の弱い心に。
そして何より、あの生意気な紅い髪の少年に。
だからこそアルフレッドは、全身に覇気を漲らせる。全神経を、相手を倒す事だけに集中させる。
かつてあの少年がそうしていたように、ではない。
一人の戦士として、あの少年以上に戦い抜く為に、アルフレッドは立ち向かうのだ。
「がああぁあぁあああぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁあああぁあぁあぁぁぁぁぁぁッ!!」
腹の底から盛大な怒号を上げ、まるで邪悪な存在に聖なる鉄鎚を浴びせるかの如く、アルフレッドは掲げていた剣を勢い良く振り下ろす。
その瞬間だった。
刀身から放たれた眩い黄金色の光が、全てを圧し潰す波涛となって、前方の景色を一変させる。
アルフレッドが知り得なかった事実。それは、彼自身が握る剣が、特殊な力を秘めた『魔剣』であるという事。
彼が握る『魔剣』の特性。
それは、地殻エネルギーを吸い上げる事によって、刀身から放たれる衝撃波の威力を跳ね上げ、対象物を怒涛の力で吹き飛ばす。
それがアルフレッドの手にした『魔剣』、『殻王剣』の特性だった。
一閃――。
たったそれだけの動作で全ては始まり、そして終わってしまう。
天井を吹き飛ばし、壁を突き破り、地面を抉り取り、瓦礫や砂塵すらも呑み込み、落雷のような轟音を響かせながら、その光は文字通り、遺跡を半壊させたのだ。
「――――――――――――――――――――――――――――――!!」
最早莫大な力の壁としか表現出来ない程の、圧倒的な波状攻撃を受けたハロルドの苦痛たる叫び声は、聴覚を消失させるかのような衝撃音に掻き消され、アルフレッドたちどころか、自分自身の耳にすら届かなかった。
壮絶かつ絶大たる破壊力であるが故に、感傷に浸る暇すら無いまま、古びた遺跡を舞台とした戦いの幕は下り始めようとしている。
意図せずして『魔剣』所有者となった戦士、アルフレッド・ダグラスの勝利という形で。
はい、という訳でかなり間が開いた投稿となります。
長らく更新出来ず申し訳ありませんでしたm(__)m
久しぶりの投稿という事で、何やら内容もカオスな展開になっているような気がしないでもないですが、とりあえずもうすぐアルフレッドくんのお話も終わりと相成ります。
このまま順調にうp出来ればいいのですが……(汗)
って前にもこんな事言った気がするな……Σ(゜Д゜)