チョコと少女と少年と 前編
今回はバレンタイン特別編と題しまして、本編とは全く繋がりの無い、とある日常の風景を描いてみました。
少しでものほほんとして頂ければ幸いですw
「はい、これ。ディーンにあげる」
それは、そんな一言から始まった。
ジラータル大陸最大の街にして、首都である『テルノアリス』。
その街並みの中に存在する、一軒の宿屋。
部屋の一室でベッドに横になっていたディーンは、突然部屋を訪れたリネにそう告げられた。
これは、とある日に起きた出来事。
少年少女たちの、穏やかな日常の物語。
少し照れ臭そうに笑って、リネは紅いリボンで綺麗に包まれた四角い箱を、両手で持って差し出している。
「……何だこれ?」
差し出された本人であるディーンは、上半身を起こし、箱とリネの顔を交互に見ながら、不思議そうな顔をした。
するとリネは照れ臭そうな表情のまま、ディーンに説明し始める。
「チョコレートだよ。ディーンに食べてもらいたいなぁ~と思って、昨日の夜に作ったの」
「チョコレート? 作ったって……、お前が?」
「うん。だから受け取ってほしいんだけど……、ダメ?」
そう言ってリネは、少し躊躇いがちに尋ねてくる。
ディーンは箱をまじまじと見つめた後、若干眉根を寄せて顔を上げた。
「ダメって訳じゃねぇけど、誕生日でもないのに何で俺に渡すんだ?」
「えっ!? そ、それは、その……。あ、そうそう。何かディーン疲れてるみたいに見えたから、甘い物でもどうかなぁ~と思って」
「……別に疲れてねぇけど? って言うか、甘い物なら何もチョコレートじゃなくてもいいだろ」
会話を重ねていく毎に、徐々にリネの表情が曇り始める。が、ディーンはその事に全く気付いていない。
「な、何だっていいでしょ? あげるって言ってるんだから、素直に受け取ってよ」
少しムッとした表情でリネは言うが、ディーンは相変わらず受け取ろうとしない。むしろ、どうしてここまでリネが頑なになるのかがわからずにいた。
「何ムキになってんだ、お前? チョコレートくらいの事でギャーギャー喚くなよな」
その一言が決定打だった。
リネは差し出していた手を下ろし、僅かに俯く。
「……もういい」
「あ?」
「もういい! 知らない! ディーンのバカ!!」
少し寂しそうな表情で怒鳴ると、リネは足早に部屋を出て行ってしまった。
一方、何が何やらわからないディーンは、しばらく呆然と、開けっ放しになった扉の方を見つめていた。が、やがて溜め息と共に、扉の方から視線を外す。
「……何なんだ? 一人で勝手にキレやがって」
「――やれやれ。女心がわからない人ねぇ」
扉の方から声がして、ディーンはふと顔を上げる。
すると、そこにはいつの間にか、銀色のベールで顔を隠した、不思議な雰囲気のある女性が立っていた。
彼女の名前はエリーゼ・スフィリア。ジンの古くからの友人であり、テルノアリスでは有名な占い師だ。全てを見抜いてしまいそうな翡翠色の瞳が、ディーンをジッと見つめている。
「何の話だ? って言うか、いつの間に……」
「バレンタインデー」
「……は?」
何の脈絡も無く彼女が口にした言葉に、ディーンは怪訝な顔をする。
するとエリーゼは、銀色のベールの下でニコッと笑って、ゆっくりと部屋の中に入ってきた。
「ここジラータル大陸から、遥か東にある島国ではね、女性が男性に手作りのチョコレートをプレゼントするっていう、まぁ一種の催しみたいな風習があるの。私もつい最近知った事なんだけど、それをリネさんに話したら、『あたしもディーンにプレゼントする!』って言い出したのよ。で、昨日の夜、急遽チョコレート作りに励んでたって訳」
エリーゼの説明を聞き終えた事で、ディーンは漸く理解する。認めてしまうのが少し億劫だったが、この事実は間違いない。
「……なるほど。要するに今の俺は、やらかしてるって事なんだな?」
「そういう事」
銀色のベールの下で嫌味っぽく笑うエリーゼに、ディーンは浅く溜め息をついて応えた。
リネとは前にも、似たような感じで喧嘩した事がある。それ以来ディーンとしては、そうならないように気を付けていたつもりだったのだが……。いやはや、女心というものは複雑である。
「ホラホラ。ボサッとしてないで、早くリネさんを追い掛けなさい」
「わ~かってるって」
エリーゼに催促され、ディーンは軽く頭を掻きながら立ち上がる。
そしてふと、ある事を思い付いた。
「――そういえばさ。さっきのバレ何とか言う催し通りなら、もしかしてエリーゼも、俺にチョコレートを用意してくれてたりするのか?」
別に深く気にして聞いた訳ではないが、ディーンがそう尋ねると、エリーゼは悪戯っぽく笑ってみせる。
「ざ~んねん。私はもう渡す相手を決めてあるの」
「決めてあるって……、相手を選ぶ催しなのか?」
「まぁ、一応はね」
「どういう基準で?」
首を傾げて問うディーンに、エリーゼはわざとらしく知らない風を装う。
「さぁねぇ~。リネさんに直接聞いてみれば? ……まぁ、彼女が素直に教えてくれるとは限らないけど」
「はい?」
「いいからホラ、早く行きなさい」
「……?」
何だろう? 彼女は間違いなく何かを知っているようだが、それが何なのか考えてもさっぱりわからない。
若干どころか訳がわからないまま、とりあえずディーンは部屋を後にした。
◆ ◆ ◆
「――とまぁ、外に出てみたはいいものの……」
宿から外に出たディーンは、相変わらず人の多い『テルノアリス』の大通りで、どこへ向かうべきかを逡巡していた。
リネがどこへ行ったのかわからない上、首都『テルノアリス』はとにかく広い。
最近ここを訪れる機会が増えているものの、ディーンにはまだ、この街の全体像を知る事が出来ていない。大通りから道を一本外れれば、それだけで今自分がどこにいるかわからなくなってしまう。
そんな状態の自分が、こんな人の多い街の中から、何の手掛かりも無く人一人を探し出すのは、かなり難しい事だ。
「う~ん……、どうすっかなぁ……」
早く彼女を見つけて謝ってしまいたいのに、そう簡単に事は運びそうにない。
と、そう思っていた時だった。
「こんな所で何をしてるんだ?」
聞き覚えのある声がして振り向くと、そこに立っていたのは銀髪の少年、ジン・ハートラーだった。
彼は不思議そうな顔で、ディーンの方を見ている。
「おうジン。いや、それがさ……。ちょっとリネの奴を探してて」
困り果てた様子でディーンが告げると、ジンの口から意外な答えが返ってきた。
「彼女ならさっきそこで見掛けたぞ」
思わぬ所で意表を突かれたディーンは、一瞬ガチっと固まってしまったが、すぐさまジンに問い掛け直す。
「ホントか? さっきっていつ? そこってどこ?」
「落ち着け」
矢継ぎ早に質問するディーンに、ジンは冷静なツッコミを入れてから、大通りの方を軽く指差した。
「本当についさっきだ。多分まだ二分も経ってない。大通りを城の方向に向かって、真っ直ぐ歩いて行った。走って追い掛ければ、まだ追い付けるんじゃないか?」
「そっか。ありがとな」
短く礼を言って、ディーンがその場を立ち去ろうとすると、ジンが「ちょっといいかディーン」と言って、引き止めるような言葉を掛ける。
「? 何だよ?」
「エリーゼを見掛けなかったか? お前たちが宿泊してる宿に来てくれと言われたんだが……」
「え? ああ、多分まだ俺が泊まってる部屋にいると思うけど」
そう答えた所で、ディーンはふとある事を思い出す。
さっき宿の一室で交わしたエリーゼとの会話。バレ何とか言う催しと、チョコレートの事。
ジンとエリーゼが、昔から長い付き合いだという事は知っているし、二人の仲が良いはずだという事も、ある程度予想出来ている。
という事は、だ。
(もしかして、エリーゼが言ってた渡す相手って……)
「どうかしたのか?」
「へ? い、いや、何でもねぇ」
不思議そうな顔をしたジンに尋ねられ、ディーンは思わず何でもない風を装う。
「あ、でもこれだけは言える。頑張れよジン!」
「?」
最後に余計とも言える言葉を付け足してから、ディーンは首を傾げているジンと別れ、大通りをゆっくりと駆け出した。