Episode 5 少女が夢見た世界
大変遅くなりました。
これにてシャルミナさんのお話、終幕となります。
「――全く、散々な眼に遭ったわ」
少々窶れた表情で、レイミーは『ギルド』の建物から出た。
取り調べの為に、結局二時間も室内に閉じ込められていたのだ。何だか久しぶりに吸ったように感じる外の空気が、否応なく開放感を与えてくれる。
「勘弁してほしいわよねぇ……。同じような質問何度も何度も繰り返してきてさぁ」
「確かにな。あ〜、何か肩凝ってる気がするぜ」
だるそうな声を出すレイミーの隣で、ジグランも肩を回しながら疲れた声で言う。
その二人の背後。少し間を開けて歩くシャルミナは、前を歩く二人とは違った意味で俯いていた。
「ごめんね、二人とも。私のせいで余計な事に巻き込んで……」
かなり萎れた声でシャルミナが呟くと、レイミーとジグランは慌てた様子で振り返る。
「あ、いや、別にシャルミナのせいにしてる訳じゃないのよ? ねぇジグラン」
「お、おうよ! 何も気にする必要ねぇって。首都に向かう『ギルド』の遠征隊が来たら、さっさとこの街から出て行こうぜ」
『この街から出る』
その言葉を耳にしたシャルミナの胸に、ズキッとした痛みのようなものが訪れる。
その原因は言うまでもない。
彼女は後悔し、そして考えてしまうのだ。
本当にこのままでいいのか、と。
あの少年、リッツに謝りたい。謝らなければならない。
自分の正体を隠していた事を。自分が『魔女』と呼ばれている存在だという事を。ちゃんと自分の口から、説明しなければならない。
(……いいえ。今更そんな事しても、きっと意味なんてないよね)
自問自答を繰り返してみるものの、結局行き着く答えはそれだった。
今自分が少年の前に現れたとしても、あの少年は、きっと笑顔を見せてはくれない。あの現場にいた野次馬たちと同じく、畏怖の対象としてシャルミナの事を見るだろう。
そんな事になるのだけは耐えられない。
そんな事になるぐらいなら、いっそ何も言わずに消えた方がいい。その方が、辛さとしては充分マシだ。
「――シャルミナ。何かあったんじゃないの?」
暗い気分に支配され、僅かに俯いていたシャルミナは、全てを見透かしたようなレイミーの言葉で顔を上げる。
シャルミナを見つめるレイミーの表情は、真剣なものだった。その傍らにいるジグランも、何かを察しているらしい。飄々としている普段の様子とは違って、レイミー同様真剣な顔付きだ。
「一人で抱えんなよシャルミナ。オレたちはもう、赤の他人じゃない。一緒に旅をする仲間なんだぜ?」
「……」
そんな二人を前にして、シャルミナは思わず言葉を失う。
素直に嬉しかった。
眼の前の二人は、自分の事を本当に心配してくれている。仲間だと思ってくれている。そう素直に感じる事が出来た。
だからこそシャルミナは打ち明ける。二人が駆け付ける前に、一体何があったのかを。
シャルミナが言葉を紡ぐ間、レイミーとジグランは黙って彼女の言葉を聞いていた。口を挟まず、茶々を入れず、ただジッと、シャルミナの言葉を聞き続けてくれた。
「――そう。あの時あそこにいた男の子と、そんな事になってたのね」
「チッ。何も知らねぇ奴らが好き勝手ほざきやがって……! オレがその場にいれば、一人残らずブン殴ってやったってのに」
酷くイラついたように顔を顰め、ジグランは両拳を乱暴に打ち付け合う。
それを横目に見ながら、レイミーは呆れたようにジグランを窘める。
「止めなさいって。今更そんな事言ってもどうにもなんないでしょ?」
「だけどよぉ……!」
「もういいんだよ二人とも。そう言ってくれるだけで、私は充分嬉しいから」
また言い合いをし始めそうな二人の間に割って入りながら、シャルミナは苦笑してみせる。
「結局同じなのよ。何をどうしたって、私が『魔女』と呼ばれてる事に変わりはない。人から恐れられる存在だって事は、変えようがない事なんだよ、きっと……」
自分自身を貶めるような言葉を吐く事で、シャルミナは諦めようとしていた。
リッツへの思いを。少年と接した、あの優しい時間を。
もう二度と戻れないと言うのなら、未練がましく持っているこの思いの全てを、跡形も無く消し去ってしまおう。そうすれば、今より少しは楽になれる。
そうシャルミナは思っていた。
だが――。
「それはちょっと違うんじゃない?」
「!」
そんなシャルミナの考えを打ち破ったのは、レイミーのその一言だった。
「レイミー……?」
思わず問い返してしまったシャルミナは、不思議な気持ちでレイミーを見つめた。
彼女は一体、自分に何を言おうとしているんだろう?
「確かにあんたは『魔女』と呼ばれてる。実際、アタシたち二人だってそう呼んでた訳だし、ここらの地域に根付いた噂や伝説は、そう簡単に取り除けるものじゃないんだろうね」
レイミーはまるで自分を皮肉っているみたいに、苦笑しながらそう告げる。
だが次の瞬間には笑みを消し、真剣な表情でシャルミナを見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「でもさ。どんなに根が深いとはいえ、それはたったそれだけの事だろ? 確かに難しい問題だろうけど、絶対に変わらないなんて証拠がどこにある? なのにあんたは、たった一度の挫折で全てを諦めるの? 諦める事が出来るの? 本当に諦めたいの?」
「それは……」
的確に痛い所を突かれ、シャルミナは言い淀む。
結果として、それが他ならぬ答えになっていた。
本音を言えば当然、諦められるはずがない。諦めたくないに決まっている。
僅かに俯き、唇を噛み締めるシャルミナに、レイミーは追い討ちを掛けるように続ける。
「思い出してごらんよシャルミナ。『ゴルムダル大森林』でアタシたちが会った『アイツ』は、そんな簡単に諦めてたかい? どんなに困難な状況でも、最後の最後まで戦い抜いてたはずだろ?」
「……」
レイミーに言われ、シャルミナは思い出す。あの森で出会った、紅い髪の少年の事を。
彼女の言う通り、あの少年は決して諦めようとはしなかった。最後の最後まで、自分の存在を利用した『魔術師』を追い詰める為に、決死の覚悟で戦っていた。
それに比べて今の自分は……?
「『アイツ』を見習えとまでは言わないさ。アタシだって、そんな大層な事言える立場じゃないしね。――でもさ。あんたを自由の身にしてくれたのは、他でもない『アイツ』自身だろ? だったら、その『アイツ』に恩を返す為にも、諦めず立ち向かう事も必要なんじゃない?」
「まぁ、ちょっとお節介が過ぎる気もするけどな、あの紅髪――ぐはぁっ!」
余計な横槍を入れたジグランの鳩尾に、レイミーが鋭い肘鉄を喰らわせる。
微かに震えながら悶絶しているジグランを尻目に、レイミーはシャルミナの方を軽く叩いた。
「それにね、シャルミナ。この世界ってヤツは、多分あんたが思ってる程酷いものじゃないみたいよ」
「え?」
レイミーの言葉の真意がわからず、シャルミナは僅かに首を傾げる。
と、その時だった。
「お姉ちゃ~ん!」
「……!」
通りの向こうから聴こえてくる、幼い子供の声。
その声はシャルミナ自身、もう二度と聴く事など出来ないだろうと思っていた声だった。
そう。それは間違いなく、シャルミナが望んでいた声。
明るい笑顔と共にこちらへと駆けてくる、少年リッツの声だった。
「そんな……。どうして……?」
本当は嬉しいはずなのに。
本来は喜ぶべき事のはずなのに。
真っ先にシャルミナの口から出たのは、疑問の言葉だった。
驚きのあまり硬直しているシャルミナの腰の辺りに、駆けてきたリッツが勢い良く抱き付く。
「さっきは助けてくれてありがとう! お姉ちゃん、とってもカッコ良かったよ!」
「え……?」
「ママが言ってたんだ。助けてもらったんだから、ちゃんとお礼しなきゃいけないって」
一旦リッツから眼を離し、シャルミナが通りの方を見ると、確かにリッツの母親が立っているのが見えた。
気不味いのか、リッツの母親は近付いて来ようとはしない。だがシャルミナたちと眼が合うと、母親は申し訳なさそうに深々と頭を下げた。
なぜそんな申し訳なさそうな顔をするんだろう?
なぜこの少年は、何の恐れも無く自分に抱き付く事が出来るんだろう?
何もかも不思議としか思えないシャルミナは、ゆっくりとリッツに視線を合わせ、そして問い掛ける。
「リッツくん……、私が怖くないの? 恐ろしくないの? 私は悪い『魔女』なんだよ?」
シャルミナが恐る恐るそう口にすると、リッツは「怖くなんかないよ!」と断言し、何の迷いも無い瞳で続けた。
「だってボクとママを助けてくれたお姉ちゃんが、悪い『魔女』さんな訳ないもん!」
リッツはシャルミナをジッと見つめる。
迷いの無い、揺らぎの無い瞳で。
そんな少年の瞳を見つめ返し、シャルミナはただ黙り込む事しか出来なかった。言葉を失っていた。
「あ、そうだ。――これ、お姉ちゃんにあげる!」
リッツは唐突に何かを思い出し、自分のズボンの小さなポケットをゴソゴソと探ってから、両手をシャルミナの方へ差し出してきた。
その小さな両手に収まっていたのは、花の茎で作られた、小さな輪っか。
「もしかして、花飾り……?」
小さな花の輪っかを受け取りながら尋ねると、リッツは笑って頷く。
「約束したでしょ? お姉ちゃんにも作ってあげるって」
「リッツ、くん……」
少年の優しさに、何よりも無垢で純粋な優しさに、シャルミナは声を詰まらせる。
泣いてしまいそうだった。いや、実際シャルミナの眼には、涙が溜まっていた。
それでもシャルミナは、涙を零す事はしない。
眼の前の小さな少年を、不安な気持ちにさせる訳にはいかなかったからだ。
「ありがとう。本当に本当に、ありがとう……」
微かに震える声で、それでもシャルミナは笑顔で礼を言った。小さな少年の身体を、ゆっくりと優しく抱き締めながら、心から幸せそうに。
少女はずっと、外の世界に憧れを抱いていた。自由になりたいと、ずっと夢見ていた。
だが現実の世界は必ずしも、常に優しさに溢れている訳ではない。
辛い事もあれば、悲しい事もある。それは紛れもない事実だ。
ただ、それでも。
『魔女』と呼ばれた少女はもう、一人ではない。
シャルミナさんのお話、いかがだったでしょう?
少し無理矢理な終わらせ方かも知れませんが、作者的にはこういう終わらせ方もありかなと思っております。
ただ、少しジグランが空気になり過ぎてたような気がするんですが……w
さぁ、次はどんな外伝を書こうか……、って前にも書いたなこの台詞w
とりあえず、次の更新を待って頂けると幸いです(__)