Episode 3 悲しき存在
母親と逸れてしまったと言う幼い少年リッツを連れ、シャルミナは街の中を彷徨い歩いていた。
先程『魔女』に関する事を話してから、リッツはシャルミナの事を警戒しなくなったようだ。隣同士並んで歩く二人の間に距離はほとんどなく、リッツは小さな左手でシャルミナの右手を握っている。傍から見れば、まるで本当の姉弟のようだ。
(……本当の事を言ってないのが、少し心苦しいけど)
未だに母親を見つけられない為か、不安そうな顔をしているリッツを見つめ、シャルミナは内心でそんな事を思う。
ただそれでも、この小さな少年の力になってあげたい。そう思うのも事実だった。
リッツの話だと、母親と逸れてからだいぶ時間が経っているらしい。
今頃母親の方も、この少年の事を心配して街の中を探し歩いている頃だろう。早くリッツと母親を引き合わせてあげたいと、シャルミナは強く感じていた。
何かを話していた方がリッツも安心するかと思い、シャルミナはあれこれ考えながら口を開く。
「ねぇ、リッツくんのお母さんってどんな人なの?」
「え……? う~ん……、すっごく優しいママだよ。この前、ボクがお花で作った輪っかをあげたら、とっても喜んで頭を撫でてくれたんだ」
「お花で作った輪っか?」
髪飾りのような物だろうか? と、シャルミナは想像してみる。
昔自分も、鮮やかな色合いの綺麗な花で髪飾りを作り、母親に渡していた事があった。
その母親も数年前に疫病で死んでしまったが、確かにシャルミナの母親も、リッツの母親と同じようにとても喜んでくれた記憶がある。
「リッツくんはそういうの上手に作れるの?」
「うん、作れるよ。お姉ちゃんもほしい?」
「そうだなぁ、リッツくんが作ってくれるなら私も嬉しいなぁ」
「ホント? じゃあ作ってあげる!」
「ありがとう。でも、まずはリッツくんのママを探さないとね。きっとママも、リッツくんの事心配してるよ?」
「うん!」
リッツの顔から漸く子供らしい笑顔が零れた事で、シャルミナは一先ず安心した。この笑顔が陰る前に、早く母親を見つけてあげなければならない。
小さな少年の手を引きながら歩いていたシャルミナが、前方に酒場が見える位置に差し掛かった時だった。
「――あ! ママだ!」
突然リッツがそんな風に明るい声を上げて、シャルミナから手を離して一目散に走り出した。
シャルミナがその方向に眼を向けると、リッツが走っていく道の直線上に、二十代後半ぐらいの歳の女性が立っているのが見えた。
キョロキョロと辺りを見回していた女性はリッツの姿を捉えたらしく、心配そうな顔でこちらに駆けてくる。
(これで一応解決、かな)
そんな風に思い、シャルミナが笑みを零した時だった。
丁度酒場から出て来た、いかにもガラの悪そうな男の集団の一人に、母親の許へと走っていたリッツがぶつかってしまった。
ぶつかった拍子に、リッツは尻餅をついてしまう。するとそのリッツを蔑むように見下ろして、ぶつかられた男が叫んだ。
「痛ぇなこのクソガキ! どこに眼ェ付けてんだ!?」
「おいおい、急にぶつかってくるなんて酷いじゃねぇか。仲間が怪我したらどうすんだ?」
ぶつかられた男の仲間が、尻餅をついたリッツと同じ目線になるように、屈んでそんな事を言う。
最早雰囲気や言葉遣いでわかる。完全に因縁をつけるつもりだ。
するとその場に駆けて来たリッツの母親が、間に割って入るように我が子を抱き抱えた。そして自分たちを囲む五人の男たちに向けて、申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません、この子が余所見をしていたもので……。お怪我はありませんか?」
「ああん? てめぇこのガキの母親か? 母親ならちゃんと面倒見とけオラァ!」
声を荒げながら、ぶつかられた男が屈んでいるリッツの母親の右肩の辺りを思い切り蹴り飛ばした。
ほとんど問答無用の一方的な暴力だった。
その光景を目の当たりにした瞬間、シャルミナはその場から瞬時に走り出していた。
「もう少し教育しといた方がいいかもなぁ」
そう言って拳を握り、リッツの母親に殴り掛かろうとした男の手を、シャルミナは自らの右掌に風を生み出し、その勢いを殺す事で受け止めた。
風を生み出す『魔術』を操る彼女にこそ、出来る芸当だ。
「ああ? 何だてめぇは?」
イラついた口調と顔で睨み付けてくる男の右腕を、シャルミナは軽く捻り上げ、関節が曲がりにくい方向へと無理矢理捻じ曲げた。
「あいでででででででぇぇぇっ!!」
つい先程までの威勢はどこかへ消え、男は痛みに悶えながら悲痛な叫び声を上げる。
「なっ、何しやがんだこの女ァ……ッ!?」
「それはこっちの台詞よ。何、今の? ごめんなさいって謝ってるのに、問答無用で蹴り飛ばすってどういう事よ? 私気に喰わないのよねぇ、あんたたちみたいな虚勢しか張れない連中って」
「あんだとぉ……ッ!?」
他の男たちが飛び掛かって来そうな気配を素早く察知して、シャルミナは風の力を利用して腕を捻り上げていた男を軽く吹き飛ばした。
『魔術』に詳しくない人間が見れば、今のシャルミナはとんでもない力の持ち主に見える事だろう。
だが実際は、彼女が操る『烈風魔法』によって生み出した風の力で、瞬間的に爆発的な力を生み出しているだけなのだ。
それは先程のような相手の攻撃を受け止める為であったり、今のように体重差のある相手を軽く投げ飛ばす事にも利用出来る。
その為シャルミナは、華奢な体格でありながら格闘家のような戦い方が出来る。一見腕っ節の殴り合いには不向きな体格と思われがちだが、彼女は風の『魔術』でその一面をカバーしている訳だ。
「クソがぁ! 畳み掛けてやる!」
男たちはシャルミナを囲むように立ち塞がると、腰に下げていたロングソードや懐に納めていたナイフを手に取った。男たちの眼は獲物を狙う狩人のように鋭くギラ付いている。
「リッツくん。お母さんと一緒に離れてて!」
シャルミナは殆ど怒鳴るように背後のリッツに告げる。
リッツと彼の母親の呆然とした表情を見る事なく、シャルミナは男たちと対峙する。
相手側の数は五人。形勢的には不利な状況だが、『魔術師』であるシャルミナにとっては問題なく戦えるレベルだ。『魔術師』と普通の人間とではそれ程までに力量の差がある。
「オラァッ!!」
猛るような勢いで、男たちは一斉にシャルミナに襲い掛かった。
その瞬間、シャルミナは『魔術』を発動する。
「『旋風』!」
両腕を水平に払うと同時に、シャルミナの周囲に激しい風が巻き起こり、竜巻となって男たちの身体を軽々と吹き飛ばした。
「どわあああああぁあぁっ!?」
四方八方に飛ばされ地面に叩き付けられた男たちは、身体にまともな衝撃を受け、痛みに悶える。
するとリーダー格らしき男が、どうにか身体を起こしながら叫んだ。
「て、めぇ……! まさかその力、『魔術』か!?」
「……だったら何? もしかして『魔術師』に遭うのは初めてなのかしら?」
「牡丹色の長い髪に、風を操る『魔術』……。間違いねぇ! こいつ『ゴルムダル大森林』の『魔女』だ!!」
シャルミナが冷たく言い返した傍から、別の男がシャルミナの容姿を見てそんな風に叫んだ。
するとその瞬間。一連の騒ぎを遠巻きに見ていた野次馬たちからも、驚いたような声が出始める。
「『魔女』だって……!?」
「『魔女』って……、だいぶ前から噂になってる『あの』!?」
「森に入った旅人を襲ってたって奴だろ!?」
「噂は本当だったのね……」
遠巻きにシャルミナの姿を見つめる野次馬たちは、口々にそんな事を呟く。
それをシャルミナは複雑な思いで聞いていたが、言い返す事など出来なかった。
全くの出鱈目という訳ではない。結果として、シャルミナが森から人を遠ざける為に襲い掛かるような真似をしていたのは事実だ。
だがそれが全てではない。
今ここにいる周りの人間が知らない事実が、確かに存在しているのだ。
ただ、それをシャルミナ自身が口にしたとしても、ここにいる誰一人としてその言葉を信じる者はいないだろう。
そう、誰一人――。
「お姉ちゃんが……、『魔女』さん……?」
「!」
背後から聴こえたその言葉に、シャルミナは思わず振り向いてしまう。
胸が張り裂けそうだった。
母親に大事そうに抱えられながら、自分を見つめるリッツの瞳は揺らいでいた。明らかに、少年の瞳には動揺の色が浮かんでいた。
「……ごめんね、リッツくん」
悲痛な思いを抱え、少女は切なく笑ってそう呟く。
結果的にとはいえ、少年に対して嘘をついてしまった事を、シャルミナは激しく後悔した。
こんな形で明かしたくなど無かった。
出来ればちゃんと、自分の口から伝えたかった事だったのに。
(……結局、自分の存在は変えられない物なのかもね)
諦めに似た思いを胸の内に抱え、シャルミナは再び前を向く。その表情には、少年に見せた切ない笑顔は無くなっていた。
今はただ前を見る。
少しでも早く、この状況を収拾する為に。
「恐れが無いなら掛かって来なさい。あんたたちの言う通り、『魔女』が相手になってあげるわ!」
シャルミナさんのお話もこれで三話目。
このまま順調にうp出来ると良いんですが……(笑)