Episode 2 無垢な少年
澄み渡る空の下、シャルミナは快調な足取りで、『ファレスタウン』の通りを歩いていた。
道幅が二十メートル程の通りの両側には、商店や酒場といった人が集まりそうな建物が多く乱立している。
(こんな風に街の中を歩ける日が来るなんて思わなかったな……)
森林地帯から出た事のないシャルミナにとって、街の風景というものは非常に新鮮なものだ。
彼女には商店で品物を買ったり、酒場で酒を飲むなどと言った行動そのものの知識はあるが、それを実際に自分の眼で見る事が初めてなのだ。ゆえに、周りの人々の一挙手一投足が気になって仕方ない。
(あっ! あの男の人、店で野菜を選んでるのかな? ……あれ? 野菜を受け取る代わりに何かを渡してる……? ――ああ、そっか。あれがお金を払うって事なのね)
シャルミナは声に出さず、心の中で街の様子を実況する。
彼女が見ている通り、少し離れた位置にある商店では、中年の男性が商店の主人からキュウリやキャベツを受け取り、代わりに野菜の代金を支払っている。
こんな普通の人間からすればごく当たり前の光景でも、シャルミナにとっては初めて見る光景だった。
(……建物にもそれぞれ大きさや形が違う物があるのね。造りも煉瓦だったり木だったりして……。あ、お店っぽい看板が掛かってないのが、人が住んでる家って事なのかな?)
傍から見ると挙動不審な者に見える程、今のシャルミナは忙しなく周りをキョロキョロと見回している。
自分はまだまだ世界の事を知らない。
世界には、もっと面白いものがたくさんある。
街の通りを歩くだけで、自然とシャルミナはそんな風に考えていた。
「――あれ?」
ウキウキした気分で歩き続けていたシャルミナは、視界の端にあるものを見つけた。
それは短く茶色い髪の少年。歳は四、五歳といった所だろうか。
その少年は通りの隅の方で蹲り、膝を抱えるようにして俯いている。どうやら泣いているらしい。
(……何で誰も声を掛けてあげないんだろう? あんなに小さい子なのに……)
通りには多くの人が行き交っている。シャルミナより年上の人間も多くいる事だろう。
だが大人たちはその少年に見向きもしない。或いは本当に、その視界に少年を捉えていないのかも知れない。
とにかく誰一人として、少年に声を掛けようとする者はいなかった。
(泣いてる……のかな?)
ゆっくりと少年の方に歩み寄りながら、シャルミナは逡巡していた。
こういう時どうすればいいのだろう? 自分より年下の、況してこんな小さい子に話し掛けるなんて初めての事だ。
怖がられたりしないだろうか?
嫌われたりしないだろうか?
色んな不安が一気にシャルミナの心を駆け巡ったが、それでもやはり、なぜ少年が泣いているのかという事が気になった。
まさに恐る恐るといった感じで、シャルミナは声を掛ける。
「えっと……。ボウヤ、どうしたの……? 何で泣いてるの?」
出来るだけ優しい感じが出るように注意しながら、シャルミナは慎重に言葉を選んだ。
すると俯いていた少年がゆっくりと顔を上げ、茶色い大きな瞳でシャルミナの事を見つめ返してきた。
やはり泣いていたのだろう。その大きな瞳は紅くなり、少し腫れているように見える。
「ママが……、いなくなちゃったんだ……」
「ママ? お母さんと一緒だったの?」
「うん……」
少年は寂しそうに呟くと、また顔を俯けてしまう。
シャルミナは困りながらも、辺りの様子を窺ってみた。
周りの人間は相変わらず、我関せずといった様子で通りを歩いている。この少年を探している様子の人間も見当たらない。
それならばと、シャルミナは少年を元気付ける為に明るい声で言った。
「じゃあ私が一緒に探してあげる。一緒にママを探しに行こう?」
「……え? いいの?」
少年は顔を上げ、眼を丸くしてシャルミナに尋ね返してきた。当然シャルミナは拒否などせず、明るく笑って言う。
「もちろん! いいに決まってるよ!」
◆ ◆ ◆
「――そういえばボウヤ。名前は何て言うの?」
少年を連れ立って歩き始めたシャルミナは、少し間を開けて隣を歩く少年に声を掛ける。
シャルミナ自身自覚している事だが、やはり少年の方は少し、シャルミナの事を警戒しているようだ。隣同士で歩く両者の距離が、それをあからさまに表している。
「……リッツ」
「リッツくんかぁ。可愛い名前だね」
シャルミナが笑顔でそう言うと、少年リッツは照れたように少し俯く。
(可愛いなぁ。私にも弟がいたら、こんな感じなのかな?)
自分の隣をテクテク歩く少年を見つめて、シャルミナは不意にそんな事を思う。
すると今度はリッツの方が、シャルミナにおずおずと尋ねてくる。
「……お姉ちゃんは、何て名前なの?」
「私? 私の名前はシャルミナ・ファルメ。――どう? 覚えられる?」
「……う~ん。……お姉ちゃんって呼んだ方が呼び易い」
「フフ、そっか。じゃあそれでいいよ」
何だか思っていたよりも自然と会話出来ている事に、シャルミナは少し安心していた。
リッツの方がどう思っているかはわからないが、とりあえず返事は返してくれる。
あの森から出て、レイミーとジグラン以外で初めに会話したのがこんな小さな少年というのは、何だか変な話だ。
そんな風に思いながら自分でクスッと笑い、シャルミナはリッツの歩幅に合わせて、ゆっくりと歩き続ける。
「――ねぇ、お姉ちゃん」
不意にリッツの方から声を掛けられ、シャルミナは笑顔で振り向く。
「ん? 何?」
「お姉ちゃんって、『魔女』さんなの?」
「!!」
リッツの無邪気とも言える唐突な質問に、シャルミナは思わず立ち止ってしまう。
一体どういう事だろう? なぜこの少年の口から、『魔女』という言葉が飛び出したのか?
少し動揺したものの、シャルミナは何とか顔には出さず、その場に屈んでリッツと目線を同じにする。
「どういう事かな? 何でそんな風に思ったの?」
「……ママが言ってたんだ。この街の近くの森には、ピンク色の髪をした『魔女』さんが住んでるって。その『魔女』さんに悪い事されるから、森には近付いちゃダメなんだって」
「……そっか」
何も知らないリッツの言葉に、シャルミナは返す言葉が見つからない。
確かにリッツの言う通り、彼女が『魔女』と呼ばれていた存在である事は間違いない。
しかしそれは、複雑かつ様々な事情が絡んで引き起こされた結果に過ぎない。正しいと言えば正しいし、間違っていると言えば間違っている。
だがそれをリッツに、こんな子供に話して聞かせても、到底理解など出来るはずもないだろう。
それに例え相手が大人だったとしても、シャルミナの言葉を受け入れてくれる人間はいないはずだ。
彼女の事実を、真実を知っているのは、ごく少数の人間だけなのだから。
「……う~ん、そうだねぇ。リッツくんはどう思う? リッツくんから見て、私はその悪い『魔女』さんに見えるかな?」
質問された事をはぐらかしている事は、彼女自身もわかっていた。それでもシャルミナには、事実を打ち明ける事が出来なかった。
認めてしまえば、この少年が恐れ怯える事は明白だろう。そうなってしまう事への恐怖が、シャルミナの口を噤んでしまう。
事実を知らず、また告げられなかった少年リッツは、少し照れ臭そうに笑って言う。
「……ううん、見えない。優しいお姉ちゃんだよ」
「……そっか。ありがと、リッツくん」
少年に嘘をついているような気分に苛まれながらも、シャルミナは笑って、リッツの頭を優しく撫でた。
書いていて思った事なんですが、シャルミナさんの性格が若干変わってしまっている気がします(笑)
そこは作者である自分自身が把握してなきゃいけない事なんですけどねぇ……。
う~ん、やっぱりキャラ性を出すってのは難しい事なんだなぁ……。