SAN値とともに夢を見る
身体が、熱い。
全身を内側から焼かれているような熱に、息がうまくできない。
「っ……は……」
身体が痛い。
いや。
なんだ、これ。
腕が。
足が。
身体が。
ぐちゃぐちゃに溶けていく。
「…………っ!」
声を出そうとしても、喉から漏れるのは意味の分からない音だけだった。
手がない。
足がない。
代わりに、ぐにゃぐにゃとした何かが何本も生えている。
視界が、ぐるりと回った。
身体の上を、目玉が動いている。
(なんだよ、これ……)
鏡に映っていたのは。
もう、人間とは呼べない──。
◇◇◇
「──っ!!」
ガバッと身体を起こした。
「はっ……はぁ……」
息が荒い。
心臓が、ばくばくと鳴っている。
「…………」
慌てて、自分の身体を見る。
手。
「……ある」
五本の指を開く。
握る。
もう一度、開く。
足も、ある。
ちゃんと二本。
触手なんて一本も生えていない。
(……いや、まだだ)
俺はベッドから飛び降りると、鏡の前へ向かい、恐る恐る、覗き込む。
いつもの顔が映っていた。
目は二つ。
鼻も、口も、ちゃんとある。
試しに頬を引っ張ってみる。
鏡の中の俺も、同じように間抜けな顔になった。
「…………はぁぁぁ〜〜」
身体から力が抜けた。
「なんだ……夢かぁ……」
そのまま、ぼすんとベッドへ倒れ込む。
「びっくりしたぁ……」
「……修也?」
「うおっ!?」
隣から声がして、また身体を起こした。
梓が布団から顔だけを出している。
「どうしたの……?」
「いや、なんかすげえ夢見た」
「夢?」
「おう。俺が怪物になる夢」
「怪物ぅ?」
梓が眠そうに目を擦る。
「どんな怪物?」
「なんかこう……ぐにぐに?とした肉の塊で。触手がいっぱい生えてるやつ」
「うわぁ」
「目も身体の上をぐるぐる動いてた」
「うわぁ……」
「なんだよ」
「だって、気持ち悪そうなんだもん」
「まあ、気持ち悪かったけど」
改めて思い出してみる。
身体はぐちゃぐちゃ。
触手が何本も生えていて、目玉が身体の上を移動する。
「いや〜、でもよく見るクトゥルフTRPGで見る眷属っぽくて、なかなかに面白かった!」
「修也、よく動画見てるもんね〜」
「そうそう。ああいう感じ!」
夢だと分かってしまえば、さっきまでの恐怖もどこかへ消えてしまった。
「そういえば、修也はTRPG、自分ではやらないの?」
「無理無理」
即答した。
「実際にやるなんて、咄嗟に喋ったりしないといけないだろ?俺には難しいって」
「そうなの?」
「ロールプレイとか絶対無理。何喋ればいいか分かんなくなりそう」
「ふふ。修也、プレゼン発表もめちゃくちゃ練習するし、事前に話すこと考えないとテンパるもんね〜」
「だろ?それに見てるだけで十分面白いから!」
配信を見ながら、ああでもないこうでもないと勝手に言っているくらいがちょうどいい。
「俺は安全なところから『うわ、SAN値やべえ!』って言ってるくらいでいいんだよ」
「あはは。なにそれ」
「最高の楽しみ方だろ」
「はいはい」
梓が笑いながら、ベッドから起き上がる。
「ほら、そろそろ起きないと遅刻するよ〜」
「……今何時?」
「七時半」
「マジ?」
慌ててスマートフォンを確認する。
「うわ、ギリギリじゃん。準備準備っ」
「私は朝ごはん作ってくるね〜」
「頼んだ!」
梓が寝室を出ていく。
俺もベッドから降りて、大きく伸びをした。
「…………」
もう一度、自分の身体を見る。
どこからどう見ても、いつもの俺だ。
なんだか妙にリアルな夢だったけど。
夢は夢。
顔を洗ってから着替えて。
梓と朝メシを食べて。
仕事へ行く。
いつもと何も変わらない朝だった。
◇◇◇
その日の夜。
仕事を終えた梓と駅前で待ち合わせて、二人で夕飯を食べに行った。
「食べすぎた〜」
「俺も。最後のデザートいらなかったかも」
「頼んだの修也じゃん」
「梓も半分食っただろ」
「だってくれたから」
「俺のせいみたいに言うなよ」
そんなくだらない話をしながら、二人並んで家までの道を歩く。
季節は初夏。
夜になれば昼間の暑さも少し和らぎ、吹き抜ける風が気持ちよかった。
「明日の休み、どうする?」
「んー。家でいいんじゃね?」
「えぇ〜」
「最近出かけすぎだろ。たまには家でゴロゴロしようぜ」
「じゃあ映画観よ。ほら、去年一緒に何回も見に行ったあの映画!ネットで配信開始されたんだよね〜」
「お!いいじゃん!見る前に炭酸とポテチ買っとかないとな〜」
明日のこと。
これからのこと。
そんな当たり前の話をしていた。
そんな時。
「──うおっ!?」
突然、足の裏に妙な感触がした。
ぐらりと身体が傾く。
「修也!?」
「うわっ……!」
咄嗟に手をついたものの、そのまま派手に転んだ。
「いってぇ……!」
「ちょ、大丈夫!?」
身体を起こし、足元を見る。
「……ん?」
落ちていたのは、小さなマスコットキーホルダーだった。
丸いとも、四角いとも言い難い、ぐにゃりとした身体。
そこから何本もの触手のようなものが生え、目玉が二つ付いている。
「……これか?」
なんか見覚えがある。
「あ!修也が夢で見たって言ってたやつってこんな感じかな〜?」
「あっ、それか!なんか既視感あると思ったんだよな〜」
拾い上げ、まじまじと眺める。
「でもなんだこれ。キモいのによくこんなの売ってるな〜」
「でも、ちょっと可愛くない?」
「これがキモカワとでもいうのだろうか……」
「ふふ。気に入った?」
「いや、踏んで転ばされたから嫌い」
「あはは!」
「笑うなよ。普通に痛えんだから!」
持ち主が探すかもしれない。
ひとまず道の端の、目につきやすい場所へ置いておく。
「ったく……」
服についた埃を払い、また歩き出す。
そのすぐ横を、親子が通り過ぎていった。
母親と、小さな男の子。
仲良く手を繋いだ、どこにでもいる親子だった。
「あ、痛い!」
「ん?」
後ろから聞こえた声に、なんとなく振り返る。
「どうしたの?」
「なんか刺された〜」
さっきすれ違った男の子が、首筋を押さえながら母親と話していた。
母親が、男の子の首筋を覗き込む。
「蚊じゃない?」
「えー!もう蚊いるの?」
そんな親子の会話を聞きながら、俺は前へ向き直った。
「……もう蚊いるんだな」
「いるでしょ〜。初夏だよ?」
「マジか。今年もいっぱい刺されんのかな」
「修也、またいっぱい蚊に刺されちゃうのか〜」
「確定事項みたいに言うなよ」
「だって毎年いっぱい刺されてるじゃん」
「梓が刺されなさすぎなんだって」
「日頃の行いかな〜」
「じゃあ俺の行い悪すぎだろ」
笑いながら、またなんでもない会話を楽しむ。
もう、後ろの親子を見ることはなかった。
「で、映画どうする?昼から?」
「午前中はゆっくり寝たいしな〜。お昼食べてからでいいんじゃないか?」
「じゃあ昼食べて、食後に買い物行って、戻ったら映画を見る流れで!」
「プリンも買おうぜ」
「いいねぇ。しょっぱいの食べたら甘いものが欲しいよね」
「まあそれ関係なくいつも食べてるけどな」
明日は映画を観よう。
炭酸とポテチを買って。
プリンも買って。
そのあとは、家でのんびり過ごせばいい。
そんな、いつもと変わらない話をしながら。
二人並んで、家までの道を歩いていった。
エンド3:身代わり




