第65話 指輪騒動
ドレスチーフとドレススーツ、パンプスをセットで各三〇〇〇ずつ。
その狂気じみた生産を終えたというのに、私はまだアトリエに籠もっている。
理由は一つ——収納指輪の最終調整や。
マジックバックのような機能を付けた指輪。
あれはもう完成している。完成しているが、空間魔法というのは繊細や。ほんの僅かな魔力の揺らぎで挙動が変わる。
銀合金の輪の内側に刻んだ三重の空間魔法陣。
魔力認証式。生体収納不可。暴走遮断機構付き。
過去に一度、空間が歪みかけて壁が軋んだことがある。
あんな肝の冷える思いは二度と御免や。
「……よし、安定。」
最後の循環確認を終え、私は指輪を右手にはめた。
昼。リビングへ向かうと、アンナさんが整然と配膳している。
「今日はごぼうサラダと蟹の味噌汁、鰤の照り焼きです。」
すっかりこの世界の料理にも慣れとるな。
私はキッチン横でティムカルテットの餌を用意する。
〈紅白、赤白、サクラ、楽白、ご飯やで!〉
わらわらと三匹が駆け寄る。
そして、ぷるん、と弾む透明な身体。
サクラはスライムや。半透明の身体の中央に淡い桜色の核が揺れている。尻尾などない。
〈本日も質素ですのぉ〉
優雅な口調でそう言いながら、乾パンを体内に取り込み、ゆっくり溶かしていく。
「文句言わんとき。」
紅白と赤白がマウスを奪い合い、楽白は静かに食べている。
食卓では、私と宥子の箸が激突。
「そこウチのや!」
「先取ったんはこっちや!」
関西弁が飛び交う。
その隙にアンナさんが最上部を確保。
「油断大敵ですね。」
「くぅ……!」
食後、私はウェストポーチを差し出す。
「ほれ、頼まれ物。」
宥子は嬉しそうに受け取る。
「ありがとうな、容子!」
アンナさんには空間拡張付き。
「内部の刺繍魔法陣、綺麗です。」
「手ぇ抜いてへんからな。」
そして、アンナさんの視線が私の右手に止まる。
「その指輪は?」
来たか。
「ただのアクセや。」
「違いますよね?」
宥子がにやりと笑う。
「収納指輪やろ?」
私は観念して指輪を外し、テーブルへ置いた。
「容量は中型マジックバック以下。安全優先設計や。魔力認証付き。」
アンナさんが魔力を流す。
空間がわずかに揺らぎ、内部ストレージが展開する。
「軽い……安定しています。」
「何回も作り直したからな。」
ぷるん、とサクラが跳ねる。
〈指輪に収納とは実に優雅ですのぉ〉
身体表面が柔らかく波打つ。
〈その技術、見事でございますのぉ〉
一人称はない。ただ事実を評するように言う。
「スライムに指輪は無理やで?」
〈装着せずとも、価値は理解できますのぉ〉
紅白と赤白が笑い、楽白は無言で様子を見ている。
アンナさんは真剣な顔だ。
「これを商品化すれば、Cremaの評価はさらに上がります。」
「せえへん。」
即答や。
「供給が安定せん物は看板にできへん。うちらは冒険者や。今は移動先の商業ギルドに卸す形やろ?量産できへん物は信用落とすだけや。」
宥子が腕を組む。
「限定数ならどうや?」
「将来な。」
サクラが静かに揺れる。
〈未来に可能性を残すのもまた一興ですのぉ〉
どこまでも優雅な口調。
私は指輪をはめ直した。
これはまだ切り札や。
私たちだけの秘密兵器。
「そのうちな、ほんまに余裕できたら考える。」
〈楽しみにしておりますのぉ〉
透明な身体が淡く光る。
尻尾はない。
だが、その存在感は誰よりも強いスライムや。
私は再びアトリエへ戻る。
次の街へ向かう前に、もう一度だけ魔力循環を確認する。
切り札は、完璧でなければならへんのやから。




