1話 ボス
裏路地のさらに裏に、知る人ぞ知る劇団が一つある。
名前は――劇団 茶風臨。
表向きは喜劇専門の劇団だ。
二百席ほどの小さな劇場。だが安っぽさはない。
照明は最新式、舞台は清潔に磨かれ、役者も三十人ほど所属している。
ただし客だけが少ない。
今日も三人。
噂では――演技が下手なのではなく、脚本がいまいちだと言われている。
俺はその劇場の裏手にある事務所へ向かって歩く。
茶風臨には“裏”がある。
暗殺者の俺が当たり前のように出入りしている時点で察せる話だ。
事務所の扉を開けると、そこにいた。
ドレッドヘアーに派手な服。
車椅子に座り、高級そうな机の向こうから俺を見下ろす男。
俺が“ボス”と呼んでいる人物だ。
劇団の脚本も、暗殺の台本も――
全部ボスが書いている。
俺の人生の台本も含めて。
「今日も面白い喜劇になったか」
笑った顔で、低い声が事務所に満ちた。
「面白いかどうかは分からないけど……台本通りやった」
「……台本通り、ね。お前、間違えただろう」
「……やっぱりバレてた」
「台本通りにやらなかったペナルティは、後日な」
「えー……まぁいいか」
「で、どうだった。俺のギャグは笑っていたか」
「ああ、笑ってたよ。……なんか変なタイミングだったけど」
「俺のギャグは遅れて面白いと感じるからな」
「あー……そういうことか」
ボスは自信ありげに頷く。圧倒的な自信だった。
俺には面白さは理解できないが、声と表情だけで――
ボスが本気で言っているのが分かった。
「まぁ、ボスが面白いって言うなら、面白いんだろ。俺には分からんけど」
「あぁ。俺のお笑い道を学べば、いつかは喜劇王になれる」
「まじか……王かぁ……かっけぇ」
「そうだ。音鳴」
名前を呼ばれる。
それが俺の名前だ。本名じゃない。
記憶を失ってから、自分の本名は分からない。
だからボスが“音鳴”と名付けた。
特に気に入ってるわけでもないが、名前を気にしたことがないのでどうでもよかった。
「話は変わるが依頼だ」
ボスは小冊子を縦に投げてよこした。
俺はそれを受け取り、表紙を見る。
《お嬢様の笑顔》
中身をめくりながら思った。
いつもと全然違う。
「ん? ボス、これ……悪人じゃなくて一般人を殺すのか?」
「違う。今回は護衛任務だ」
「護衛任務?」
初めて聞いた。
俺がこれまでやってきた仕事は全部暗殺。
でも今回は逆、守る側だ。
「……俺にできるのか」
「お前が持っているものを見ろ」
言われて手元を見ると、台本。
「ああ、そうか。台本あんじゃん」
「そうだ」
ボスは少し笑って続けた。
「俺の台本通りにやれば、どんな悲劇も喜劇になる。
お前の記憶のなくした悲劇も、いつか喜劇になるさ」
「まじか……かっけぇ」
俺は感心しながら台本をリュックにしまった。
「じゃぁボス、任務終わったらまた来るよ」
「あぁ」
事務所を出る。
向かう場所は台本に書かれていた。
目的地――高級住宅街の中でもひときわ目立つタワーマンション。
台本さえあればいつも通り楽勝だ。
……そう思っていたのだが。
あんなことになるなんて。




