3 黒豹ファル
「ねぇ」
あまりに退屈で、つい口が勝手に動いた。
「……なに?」
「もし、あんたに《番》が現れたら、どうする?」
「ふん、くだらねぇ。俺は人間だぞ。《番》なんて関係ねぇ。誰が相手だろうが知ったこっちゃねぇよ」
「獣人みんな、最初はそう言うんだってさ。《番》なんか関係ない、って」
「……俺なら絶対裏切らねぇけどな」
「へぇ、あんた……恋人いるんだ」
「当たり前だろ。こんないい男、女が放っておくわけねぇ」
それは確かにそうだと思って、悔しいけど何も言い返せなかった。
馬車が大きく揺れて、膝の上に置いた手がふわりと浮く。
ルッツは窓の外に視線をそらして、ぼそっと言った。
「……《番》、旦那にもし現れたら、どうすんだよ」
「どうしよう。……捨てられちゃうのかな」
浮かんだのはダリオンの顔。胸が痛む。
「俺が潰してやるよ。タマタマを」
「ちょっと! 下品なんだから!」
ルッツはケラケラ笑って、「ボスなら本当にやりかねないけどな」と肩をすくめた。
私も……そう思った。
「もし夫が浮気したら……その時は私が潰すわ」
「お~怖ぇ怖ぇ」
冗談みたいに聞こえるかもしれないけど、本気だ。
相手が《番》でも関係ない。絶対にダリオンを取り返すんだから。
そこからは何も話さず、馬車はひたすら王都に向かって進んだ。
途中いくつかの町で休んで、辿り着いたのは真夜中だった。
門を開けて馬車から降りると、ルッツは「じゃあな、これでおしまい」と言い捨てて消えてしまった。
──相変わらず気まぐれだ。
屋敷に向かって歩き出したときだった。低いうなり声が背筋を震わせる。
「グルゥゥゥ……」
闇に光る二つの目。
そうだ、すっかり忘れてた!
うちの庭には番犬……じゃなくて、番豹がいたんだ。
夜になると、黒豹を数頭、放し飼いにしている。
獣人ではない、本物の黒豹だ。
招かれざる者は、何人も黒豹の牙と爪の餌食になってきた。
「ルッツのヤツ……私を殺す気?!」
黒い影が二つ、音もなく近づいてくる。逃げなきゃ、と思った瞬間──
一頭の大きな黒豹が、私の前に立ちふさがった。
その黒豹が低く唸ると、二頭は怯えたように尻尾を巻いて逃げていった。
「ファル? ……あなた、ファルなの?」
黒豹がすっと近づいてきて、頭を低く垂れた。
思わず私はその大きな体に腕を回した。
抱きしめると、ゴロゴロと喉を鳴らして、まるで子猫みたいに甘えてくる。
「元気だった? ほんとに……助けてくれてありがとう」
そっと鼻先にキスをすると、ファルは嬉しそうに私の頬をぺろぺろ舐めた。
くすぐったくて、どうしようもなく愛おしい。
その時、屋敷の扉が開いて、庭の暗闇にふわりと明かりが広がった。
「お嬢様。おかえりなさい。……お一人ですか?」
声をかけてきたのは、ピンクのガウンを羽織った執事のアランだった。
長い銀髪をかき上げて、どこか気だるそうな、いつもの調子だ。
「ただいま、アラン。ルッツがいたんだけど、どこかに勝手に消えちゃったわよ」
ファルを抱きしめたまま、そう答える。
「そうでしたか。ではお部屋へどうぞ。昔のままになっております」
アランは年齢不詳の中性的な男性で、長年の父の恋人でもある。
私は父の婚外子。母親のことを何一つ知らない。
父は失恋してから結婚もせず、男女問わず、多くの恋人と付き合っていた。
そして、年を重ね、残った恋人がアランなのだ。
扉を閉める瞬間、ファルの瞳が寂しそうに揺れた。
「おやすみ、ファル」
――数年ぶりの再会なんだもんね。また明日、会えるよ。
「今すぐ父と話したいんだけど」
「ボスはもうお休みです。明日の朝になさってください」
ダリオンの行方を早く知りたいのに!
「はぁ……わかったわ」
私は一人、かつての自分の部屋へと歩き出した。
扉を開けると、懐かしい匂いが胸いっぱいに広がった。
複雑な家庭で育った私は、ここでいつも普通の家庭を夢見ていた。
ただ、平凡な幸福が欲しかった。
ベッドに横になった途端、疲れが一気に押し寄せて、そのまま眠りに落ちた。
――朝方。私はダリオンの夢を見た。
「俺の《番》なんだ。アリー離婚してくれ!」
そう言って私から逃げていく彼を、泣きながら追いかけていた。
目が覚めると、思わず声が漏れた。
「あーもう、最悪……」
朝食を自室で済ませると、父から呼び出しがあった。
「待ってました!」
体に力が入り、速足になる。書斎へと続く廊下で私は祈った。
――どうか、ダリオンの行方がわかりますように!!
読んで頂いて有難うございました。




