2 父の使者ルッツ
話をしていると、イアン叔父さんが声をかけてきた。
「そろそろ夕飯にしよう。アリーも、今日はゆっくり休みなさい」
料理上手でやさしい彼は、メリサ叔母さんの夫。
彼は鳥族で、かつては私の父の部下だった。
けれど叔母さんと恋をして、私の父に《去勢》を強いられた気の毒な人。
去勢された獣人は《番》を認知できなくなる。
そして同時に、変身する力も失う。
怒った叔母さんは私の父から離れ、この街に来て、夫婦で宿屋を始めた。
そこへ十三歳だった私は、二人を頼ってやってきたのだ。
あの頃は「去勢」の意味なんて知らなかった。
でも今ならわかる。二人には、もう子どもが授からないのだと。
「大丈夫。夜は忙しいでしょう? 手伝うね!」
私はエプロンを結びながら、そう答えて台所に向かった。
ふと頭に浮かぶのは婚家のこと。義母の腰痛なんて嘘。
家事くらい、あの人がやればいい。
大事なのはダリオンだけ。
宿屋に立ち寄る傭兵たちにも夫の行方を尋ねたが、誰も知らなかった。
今は父からの返事を待つしかない。
──《番》。
その言葉が、ずっと頭を回り続ける。怖くて、ダリオンとも話せなかった。
出会う確率は低い。でも出会ったら最後、理性も吹き飛んで相手に夢中になる。
父のかつての恋人もそうだった。猫獣人の恋人は、結婚直前に《番》と出会って、父から逃げた。
だから父は獣人を嫌っている。
「……部下の大半は獣人なのにね」
なんて、つい独り言が漏れる。
ダリオンが獣人だと知ったら──父は去勢を命じるのだろうか。
安心かもしれない。けど、子どもを持てないのは嫌だ。
異種族同士の結婚で生まれた子は、見た目や能力が半々の確率で遺伝する。
つまり獣人の女性が人族の子を産むことだって可能だ。
反対に人族の私が、夫と同じ犬族の子どもを産むことだってできる。
しかも女性獣人は出産すれば《番》を認識できなくなる。
母性愛が勝つのだ。
いろいろ考えながら一週間が過ぎたころ、ようやく父からの使者が現れた。
宿屋の入り口に現れたのは、同じ年のルッツだった。
「ボスが待ってる。王都に戻るぞ、お嬢様」
着崩した派手なシャツに、面倒くさそうな顔。
“来たくて来たんじゃねぇ”って態度がにじみ出てる。
私の天敵だ。昔からずっと、生意気で、喧嘩ばかりふっかけてきた。
「……なんで、あんたが来るのよ」
「仕方ねぇだろ。ボスの命令には逆らえねぇ。護衛だよ。お嬢様のご・え・い」
嫌な記憶が蘇る。
父がスラムで拾ってきた、小汚い子どもだったルッツ。
かわいそうに思ってパンを差し出した私に、あいつは睨みつけて──
『いい子ぶりやがって! 死ね!』
パンを叩き落として、踏みつけた。
あの時から、私はルッツが大嫌いになった。同じく彼も、私のことが嫌いだ。
「……仕方ないわね。王都に戻るわよ」
私が答えると、ルッツは鼻で笑った。
「へっ、素直じゃねぇな。心配なんだろ? 旦那のこと」
「……あんたには関係ない!」
「だよな、へへ……」
その、ふざけた笑顔も嫌いだ。
「……パンの恨み、忘れてないからね」
「おまえもしつこいな。まあ、あの時思った。お前のことだけは絶対好きにならねぇってな」
「安心した。私もあんたを好きになる未来なんて、絶対ないから」
「だな。じゃあ、お互い様ってことで」
宿の前でくだらない言い合い。
──嫌い。だけど、少しだけ気持ちが軽くなるのが悔しい。
その後すぐに、叔母夫婦に見送られて街を出た。
王都へ向かう馬車の中、私とルッツは向かい合って座っていた。
がたん、と大きく揺れるたびに、お尻が痛くなる。
「なんであんたまで同乗してんのよ」
腕を組んで睨むと、気の抜けた声が返ってきた。
「俺に、歩いてついて来いってか?」
「暇なのね」
「そうでもないけど?」
にやり、と笑う。憎らしい顔。
「……で、ダリオンのこと。知ってるんでしょう?」
核心に触れると、ルッツは目を細めた。
「さぁな。俺に聞いても無駄だ」
「無駄なら、わざわざ迎えに来なくてもいいじゃない。手紙で十分でしょ」
「知らねぇよ。……あー、ケツ痛ぇ」
それきり窓の外を見てルッツは黙り込む。
小汚かった子どもが、今は金色の髪に薄い青の瞳を持つ綺麗な青年になった。
──残念なヤツ。黙っていれば、どこかの貴族に見えるのに。
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