18 攫われて
叔母夫婦へのちょっとしたお土産を買って、私たちは店を出た。
ルッツは、まだいつもの服のまま。
「なんで着替えないのよ。せっかく買ったのに」
「ここで何かあったら変身するかもしれねぇだろ。そのとき汚れたり破けたりしたら、もったいねぇじゃん」
「ああ、そういう事情ね。……買った服、箪笥の肥やしにならないといいけど」
「……デートの時にでも着るさ」
「ふーん」
――それって、全然面白くない。
アクセサリー店に行こうとしたとき、ルッツが急に立ち止まった。
「怪しいやつがいる。帰ろう」
「え? どこに?」
「キョロキョロすんな。摘発した暗殺団の中に、逃げたのがいるんだ」
「もしかして……もう、普通の生活ができないの?」
「ダリオンを訴えただろ。ボスの娘だって、世間にバレちまったからな」
ああ、そうだ。新聞に出たんだった。結婚詐欺のことまで。
この街なら私は“誰でもない”と思ってた。でも、それは勘違いだった。
――後悔はしていない。私が選んだことだ。
やられたら、やり返す。それが裏の世界のルール。
「アクセサリーなんて王都にもある。俺が買ってやるから、今日は帰ろう」
そう言って、ルッツは私の手を掴んだ。
速足で歩く彼の背中を見ながら、怖いはずなのに、少し安心してた。
その夜、迎えの馬車が到着した。明日の早朝、王都に帰る。
ルッツは廊下で警戒して、私は叔母さんと深夜まで話していた。
「私が兄さんに知らせなきゃ、こんなことにならなかったね。悪かったよ」
「ううん。どうせ王都に行かないと、ダリオンを見つけられなかったし。私が選んだことだから」
「兄さんの膝下が安全だなんて、皮肉な話さ」
「うん、今はあの家が安全かも」
「それに、あんたのことはあのルッツが守り抜くさ」
「どうかな。父の命令で動いてるだけだよ」
「アリーに惚れ込んでるよ、あの子。間違いないね」
「まさか。私のこと嫌いで、絶対に好きにならないって決めてるんだから」
「嫌い嫌いも好きのうちってやつさ。ルッツは素直じゃないだけ。あんたも、そうじゃないのかい?」
「私は……」
「ここに来たばかりの頃なんて、あんた、ルッツの悪口ばかり言ってたね。懐かしそうにさ」
「でも、すぐ忘れて結婚したわ」
だってダリオンは優しかった。ルッツみたいに意地悪を言わなかった。
「本当にダリオンを愛してたのかい? 四年も白い結婚なんて、アタシなら耐えられないよ。
本気で愛してたら、相手の全部が欲しくなるし、全部あげたくもなるもんだよ。
あんたは、“結婚”ってものに夢を見てただけなんじゃないの?」
――夢が破れた瞬間、ダリオンへの気持ちは霞みたいに消えた。
「そうかもね。結婚って形にしがみついて、幸せだと思い込んでた。バカよね、私って」
「王都に戻っても、自分を大事にするんだよ」
叔母の言葉がぜんぶ、胸の奥に深く染みた。
──翌朝。
荷物を馬車に積み終えて、叔母さん夫婦と別れを惜しんでいた。
黒豹のルッツはもう先に馬車へ乗り込んでいる。
「気を付けてね! ルッツ、アリーを頼んだよ!」
叔母さんの声に、私は笑って手を振った。
馬車が動き出すと、急に胸の奥が少しざわついた。
「ねぇ、この馬車、暗殺組織に襲われないよね?」
そう言った瞬間、前の席で伏せていた黒豹ルッツが人の姿になった。
「ちょっ、急に戻らないでよ!」
「大丈夫だ。今朝から気配が消えた。昨夜は宿の周りをうろついてたけどな」
彼は膝を抱えながら、ぼそっと言った。
その表情はいつもより真剣で、少し怖かった。
「暗殺組織の気配なの?」
「ああ。殺気が消えたんだ。たぶん──誰かが、奴らを始末した」
「そんな……じゃあ、他にも護衛が?」
「いる。だから、心配すんな」
そう言ってルッツは窓の外を見やった。
王都へ続く街道が見えたとき、突然、馬車が大きく傾いた。
「きゃっ!」
咄嗟にルッツが腕を伸ばして、私の肩を支えた。
御者の声が前から飛んでくる。
「ルッツさん、車輪が窪みにはまったよ! 手伝ってくれないか!」
「しょうがねぇな。アリー、座ってろ」
ルッツは服を着ると外へ出ていった。
少しして──また御者の声。
「すみません、お嬢さんも、ちょっと馬車を下りてくれますか?」
「はーい」
そう返事して扉を開けた瞬間、誰かに手を引っ張られた。
「え──」
口に布を押し当てられる。
薬品の、ツンとした臭い。
「ルッ……ツ……」
呼ぶ間もなく、視界がふっと暗くなっていった。
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