16 レッドリバー
レッドリバーの夜は、星が青く光ってた。
王都より空が澄んでて、息を吸うたび胸の奥がちょっと冷たくなる。
ルッツは頑なに黒豹のまま。
だから、しゃべるのはずっと私ばっかりで、なんかもう疲れちゃった。
思えば、ファルの時だってそうだった。
私が一方的に話して、あいつは尻尾を振って聞いてるだけ。
「家出するわ!」って言ったとき、スカートの裾を咥えて引き留めたっけ。
──どうして気づかなかったんだろう。
どうして、ファルが獣人だと、考えなかったんだろう。
私の話、いつもちゃんと理解してくれてたのに。
* * *
宿屋の扉が開いて、叔母さんが顔を出した。
「叔母さん、ただいま!」
「お帰り、アリー。大変だったね」
そう言ってから、ルッツを見て目を丸くする。
「おやまぁ、これはファルかい?」
「ううん、ルッツなの。私の護衛なんだけど、置いてもらえる?」
「あぁ、黒豹獣人の──もちろんさ」
ルッツは無言で尻尾を一振り。
部屋に案内してもらうと、ルッツは私の部屋の前で伏せたまま動かない。
「ルッツ、ベッドで寝たくないの?」
「ここでアリーの警護をする気なのかい? 部屋ならあるよ?」
そう言っても、やはり動かない。
「なにか訳がありそうだねぇ、これは」
「……うん」
……私だって、何か理由があるんだろうと思っていた。
それを話してくれないのが寂しくて悲しい。
* * *
翌日から、私は宿屋の手伝いを始めた。
お客は領主に雇われた傭兵や旅人が多い。
ルッツは店の隅で、じっと警戒している。
「黒豹なんて珍しいな」
誰もがそう言う。
黒豹獣人は、この国ではほとんど見かけない。
野生の黒豹でさえ、生息地域は他国で、この国にはいない。
「金なら出す、黒豹を譲ってくれないか?」
そんなことを言ってくる商人もいたけど、冗談じゃない。お断りだ。
そのうち、近所の子どもたちまで見に来るようになった。
「お姉ちゃんが飼ってるの?」
「そうよ、ルッツっていうの。大人しいのよ」
そうやって笑いながら答えるけど、ルッツは知らんぷり。
──おかしいな。
「うるせー、あっち行け!」と怒鳴りそうなのに。
私はもうルッツに問いかけるのは諦めた。王都に戻ればルッツだって変身を解くだろう。
寂しい気持ちも、仕事をしていると忘れる。
そんな日々が続いたある朝、忙しい時間帯も過ぎて、私達は朝食をとっていた。
すると宿の前に立派な馬車が止まった。
黒い車体に、銀の紋章。
──領主のレッドリバー伯爵家の馬車だった。
「ここよ、ここに黒豹がいるんですって!」
外から甲高い声が聞こえた。何事かと顔を上げる。
「落ち着けよ。すぐに手に入れてやる」
男の声。嫌な予感がする。
カラン、と扉が開いた。
現れたのは、見覚えのある顔。癖のある金髪に琥珀色の瞳。領主の息子ミリオンと、その妹のエリザだ。
後ろには、三人の護衛を引き連れている。
「主人はいるか!」
ミリオンが威圧的に声を上げた瞬間、エリザが叫ぶ。
「いたわ! 綺麗! 絶対に欲しい!」
彼女は真っすぐルッツのもとへ駆け寄り、当然のようにその頭を撫でた。
ルッツが低く唸る。
「今日から私がご主人様よ。首輪を買ってあげる。赤が似合いそう、ふふ」
お構いなしに笑うエリザ。
……腹の底からムカついた。
「触らないで! 噛まれるわよ?!」
「妹を傷つけたら殺傷処分だ。おい、主人を呼べ」
領民を見下した態度。
ミリオンと話したことは無いが何度か見かけたことはある。相変わらず嫌な感じだ。
「私が主人ですが」
奥からイアン叔父さんが出てきて頭を下げた。
するとミリオンは、金貨の詰まった袋をテーブルに投げた。
「この黒豹を買い取る」
「申し訳ありませんが、この子は売れません。うちの子ではないので」
「なら、誰のものだ」
──やばい。
獣人って説明していいのかな? 「私のもの」って言うのも、なんか違う。
もう! 初めから人の姿でいればよかったのに! ルッツのバカ!
「その黒豹は──」
イアン叔父さんが言いかけたとき、ルッツがすっと立ち上がり、宿の奥へ走り出した。
「あ、待って!」
エリザが後を追って、私も慌てて走った。
一階は家族用の部屋が並んでいる。でも、廊下にルッツの姿はなかった。
「どこに消えたのかしら? 私のランスロットーー」
「ランスロット?」
「あの子の名前よ。もう決めてあるの」
「あの子はルッツって名前で、私の大事な親友よ。絶対に譲らない」
「ルッツ? それも悪くないわね。でも、譲ってくれないと──この宿屋、お父様に言って潰してもらうから!」
この小娘……十四、五ってとこか。生意気にも程がある。
「はぁ? 潰されるのはどっちよ?」
そのときだった。
「アリー、こっちだ」
──久しぶりに、ルッツの声が聞こえた。
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