7話:初めての外の食事
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宿というのは、寝る場所を借りることらしい。ダッチェの案内で連れて行ったもらったのは茶色い四角い箱の中の一つだった。【大木の村】で木のうろに、もしくは矢のため、肥料のため、木を削って穴を作ってそこで生活していたハイネには新しい発見だ。これは土に特殊な木の実の汁を混ぜて作られているそうで、雨でも崩れず、風にも土が飛ばないらしい。廊下に木の板が敷き詰められ、コトコト、ゴトゴト、木の音がするのは安心した。扉などはなく廊下と部屋は繋がっている。隣の部屋の会話も全部筒抜けだ。ハイネは部屋に穴があるのに驚いて身を乗り出し、ガルトに首根っこを掴まれた。
「危ない! 身を乗り出すな!」
「だって! ガルト、部屋に穴だぞ、四角い穴!」
「なんだ、お前の村には窓もなかったのか? どんな村だったんだよ」
ダッチェが首を傾げながら名称を教えてくれた。部屋に空いているのは穴ではなく窓、雨が降ったら窓の外にある枯葉の束を横に引いて、入らないように防ぐのだという。窓から顔を出して左右を見てみれば、上に紐があり、そこに輪っか状にして引っ掛けられた枯葉の束があった。これを引くのか、とハイネが試しに広げていれば、背後でガルトが礼を言っていた。
「初対面、本当にすまなかった。助かる」
「いいさ。水の扱いには気をつけてくれ、それから、渡り鳥の飯は自分たちで調達だ。その餌代のために働く奴が多い」
「どんな仕事がある?」
「今は正直そんなにない。手持ちが三十リペル以上あるなら、自分たちと、渡り鳥の飯だけどうにかして、風が吹いたら早く島を出た方がいい。……雨が降らなければ、それだけ島民の苛立ちが増すからな。恥ずかしいが、そういう苛立ちは外様に向けられる」
窓から身を戻し、さんじゅうりぺる、と繰り返しハイネは革袋を覗き込んだ。大丈夫だ、とガルトがその背を叩き、ダッチェに向き直った。
「渡り鳥の疲れが取れ、風が吹くなら旅立とうと思うんだが、【風渡りの絵】などは」
「それならあそこだ」
窓へ行きダッチェは外を指差した。この宿の少し下に木の棒が立っている家があった。ガルトはわかったと答え、ハイネは狭い窓、男二人の間からまた外を覗き込んだ。ほら、と場所を譲りながらダッチェはガルトへ尋ねた。
「他に聞いておきたいことはあるか?」
「貨幣の価値に不安がある。だいたいの価格を知りたい」
あんた堅実だなぁ、とダッチェは笑い。わかった、と胸を叩いた。
「【風渡りの絵】を見に行くのもついていってやるさ、どうせ俺も晩飯を買って帰るだけだ。対価として飯を奢ってくれ」
「すまないな」
いいさ、と話がとんとん拍子にまとまってしまい、ハイネはつま先で丸を描きながら待っていた。ほれ坊主、行くぞ、と改めて手招かれ、暗くなり始めた外に出た。
ハイネにとって日の沈んだ後の外出は逃げ出すための闇だった。夜目は元から利く方で、だからこそ脱走を繰り返した。ここではあちらこちらからカラカラという音がする。ガルトが持っている光り石を細い木で覆うようにしてある細長い筒に入れ、それを人々が振りながら歩いているからだった。光り石は衝撃を与えなくては光らない。それを振りながら歩き、地面を照らし、陽の光を失った闇の中でも人々は移動ができるのだ。
「すごい、あんな筒あるんだ」
「ランタンっていうんだぞ。ああやって揺らしておけば、中の光り石は闇を照らすからな。結構便利だぞ」
「ダッチェは持ってないのか?」
「いつもならある。職場に忘れてきちまった」
カラカラとランタンとは違う音でダッチェは笑い、先ほど指差していた建物に着いた。ここでは店の中に吊るされたランタンの中に虫が入れられていて、それが逃げ出そうとして揺れる衝撃で光り石が緑色を放っていた。虫の影と揺れるランタンの影で少し見づらいが、そういうものだと思うしかないだろう。
この建物にはハイネたち同様、外様の者たちが多いようだ。きょろりと見渡せば様々なものがあった。人々が手にしていた空のランタン。店主のその背の奥に置いてある光り石。ガルトが商人から奪った麻袋や木の実。水を入れるための木製の水筒、商人向けらしいこの島の工芸品。ダッチェは店主に挨拶をした後、ランタンの多く掛かっている壁を指差した。
「そら、【風渡りの絵】はこれだ」
淡い緑の明かりの中、平たく大きい木の板に白い何かでいくつもの線が描かれていた。赤い丸から赤い丸へ。直線のものもあれば曲がっているものもあり、ハイネはじっとそれを見て首を傾げた。
「これ、もしかして渡り鳥の飛ぶ風なのか?」
「お、鋭いな坊主。そうだ、今いる【赤色の島】はここだ」
とん、とダッチェの指が真ん中の丸を叩き、ハイネはそこから広がる白い線をいくつも辿ってみた。【大木の村】からは西から東へ吹く風に乗った。途中、小島で休み、そこから南に向かってきたので、【大木の村】はこの辺り、と視線が動く。この島から移動するとしたら、東に吹く風が多そうだ。ダッチェは感心した様子で顎を撫でていた。
「風読みは坊主の担当なんだな?」
「すごい、わかるのか?」
「そんだけ熱心に見てりゃな。どこを目指してるんだ?」
「特に決めてはいない。空の女神の思し召しに従い、いい場所があれば、そこに住む」
そうかい、とダッチェは【風渡りの絵】を辿り続けるハイネの頭をわしわしと撫でた。
「明日明るくなったらまた来てみろ。腹が減った、そろそろ飯と行こうや」
確かに空腹だ。明日はここで買い物をしろよと言われ、頷いた。【風渡りの絵】を見るのなら、店に対価として何か買い物をしなくてはならないという。今回はダッチェの顔を立てるために店側が譲歩してくれたらしい。ハイネはガルトにぽそりと囁いた。
「そういう対価もあるんだな」
「ダッチェへの飯も対価だ。何かをしてもらった時、その心に返すものとして、金はわかりやすい指標なんだ」
「ちょっとわかったかも」
ふふん、と胸を張ればガルトが小さく笑った。茶色い箱が横に広く、一面だけ壁のない建物に辿り着いた。入り口も出口もなく、開かれた食堂のようなものだった。空いた席に促され丸太の椅子に座る。テーブルは木の棒を四隅に嵌めた石のテーブルだった。ハイネは触ったことのない感じのものだ。つい撫でまわして感触を覚えようとしてしまった。ダッチェはその間に注文を行った。
「こっち三人、酒と、マッマルトと、ポム! あーそれから、坊主、ポテムラ食ったことあるか?」
「何が何だかわからないから、任せる」
「んじゃ、そんなもんで!」
ダッチェの注文が終われば先に出てきたのは酒とマッマルト、それからポムだった。酒は饐えた臭いのする酸味が強い果物酒。ポテムラは少し待たされた。酒を手にダッチェが挨拶をした。
「さぁ、【赤色の島】へようこそ、晩飯ありがとうよ」
「これ飲めるのか?」
「坊主は酒も初めてか? 水は限りがあるからな、酒を造って薄める方が量が飲める」
ふぅん、と言いながらくんくん嗅いでしまう。ほら、こうするんだ、とダッチェがガルトのコップにぶつけ、ハイネも真似をした。なんだか楽しかった。成人もまだだが酒はいいのかとちらりとガルトを窺えば仕方なさそうに笑っていた。水が少ない、貴重と言われているので、飲めないとは言えない空気なのだ。ハイネは酸味を感じるにおいに鼻の奥をつんとさせながらくぴりと飲んでみた。においのとおり舌を刺すような酸味があって喉に詰まる。うぐっと一度飲み込むのを躊躇して、ごくりとどうにか押し流した。息を吐けば少しだけ甘みを感じ、不思議な心地だった。
「まぁ飲みなれてなきゃそうなるさ」
ダッチェが笑い、ほら、食え、とマッマルトを差し出された。焦げた葉を外すと中からこんがりと焼けた手のひら大の塊だった。つついてみれば周りは少し硬く、香ばしい良い匂いがしている。
「これなに?」
「マッマルトっていう昆虫さ。【赤色の島】ではよくとれる食べ物だ、美味いぞ」
焼きたてで少し熱かったが指先で持ち、ガリッと噛んでみた。周りがパリパリといい歯ごたえで、中からトロリとした味の濃い白いものが溢れだした。今まで野菜や木の実で育ってきたハイネはこの濃さに驚いた。甘く、クリーミー、こってりとしたとろみ。鼻から息を抜けば少しだけ果物のような香りも抜けて、美味しい。ただ、周りがパリパリしているせいで中身が零れる。慌てて巻いてあった葉を皿にしてハイネはその美味しいものが零れないようにバクバクと食べた。そこに酒を流し込むと、なんだかいい感じだ。
「美味しい!」
「酒にも合うな」
「ははは! そうだろう! 二人ともいける口だな」
次にポムと呼ばれた木の実。これはそのまま火で炙ったものらしく、真っ黒になっている皮を剥いて中身を出した。やや黄色みがかった中身はほっくりと湯気を立てていて、ダッチェが大きな口でかぶりつくのを真似をした。歯を立てて熱を感じ、一度離した。もう一度かじりついてようやくほろっと実が崩れ、口の中に転がり込んできた。ホクホクとした実は少しねっとりとしていて、喉に詰まるような不思議な窒息感と、甘みがある。これも美味しい。それになんというか、すごく腹に溜まる気がした。初めて食べる美味いものにハイネは夢中だった。ポムが喉に詰まり慌てて酒を飲み、ぷはー! と息を吐く。ダッチェはそれに笑いながらガルトとこの先の島々について話していた。
「商人から聞いた話ばかりだが、ここからずっと東に大きな島があるらしい。商人の島で、かなり活発にやり取りがあるそうだ」
「この島へ戻る風もあるのか?」
「少ないけどあるらしい。まぁ、ここはどっちかっていうと休憩地点だ。そんなに数はいないさ」
空の女神は気まぐれだというので、その気まぐれが西に吹く風なのだろう。
「お待たせしました、ポテムラです」
少女が大きめの葉の器でそれを置いて立ち去っていく。そこには焼き色のついた平べったい塊があった。
「さっき食ったポムがあるだろ、あれを潰して、マッマルトの身を混ぜたやつだ」
「別々に食べたのに、合わせるの?」
「まぁ食ってみろって!」
ハイネは手の中であちあちとポテムラを躍らせ、はぐっと齧りついた。なるほど、これは混ぜてこうして食べるべきものなのだ。齧りやすく、モチモチとした食感に変わっていて、甘みが増し、これは、美味い。あっという間にぺろりと平らげてしまい、空になった葉の皿を眺めていればガルトが半分に割ってハイネに差し出してきた。視線でいいのかと問えば、ガルトは小さく笑みを浮かべて頷いた。
「ありがと」
受け取り、次はもう少し味わって食べた。すっかり満腹になった。少しだけふわふわした心地だ。支払いはガルトが行い、金についてダッチェが何かを話していたが、ハイネは眠くてたまらなかった。
「坊主は酒に弱いんだな」
「宿で水を一杯もらって飲ませるさ」
「おう、そうしろ。俺は明日も止まり木にいるから、何かあったら来いよ」
ありがとう、おやすみ、と大人たちが挨拶しているのを聞きながら、ハイネはガルトの背でむにゃむにゃと返事をしたつもりでいた。
ガルト、美味かったなぁ、あれ。と言った気でいたが、あれは夢だっただろうか。ハイネはガルトの小さな笑い声を聞きながら、揺れる背で夢の中に落ちていった。
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