6話:【赤色の島】
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渡り鳥の背に乗っての空渡りは飢えと渇きとの戦いだ。否応なしに乗った初回、この風が本当にどこへ運んでいくのか、渡り鳥の体力はもつのか、何もわからないまま、運よく小島に辿り着いただけだった。
ハイネの読んだ風が長く遠いものであれば、渡り鳥はその先に辿り着けずに羽ばたくのを止め、落ちていくことだってある。飛び立って顔に受ける風に飽きる頃、ふとこの先に辿り着く島のない恐怖に気づいてしまい、ハイネはそうっとガルトに尋ねた。
「なぁ、これ、無事に、次の島へ辿り着けるかな」
肩越しに振り返ったハイネのヘーゼルナッツを、ちらりと見遣り、ガルトは視線を逸らした。おいガルト、と慌てたハイネに、ガルトはくくっと笑った。
「俺はあまり心配してはいないけどな」
「どうして?」
「俺も空を飛んだ経験は三回だけだ」
ハイネを連れて故郷を出た時、【大木の村】を出た時、そして今。ぐしゃっと頭に手を置かれ、なんだよ、とハイネはそれを払う。ガルトは前を向いたまま小さく笑った。
「お前を連れて逃げたあの時は、あの時も襲ってきた誰かの渡り鳥を奪って逃げたんだが」
「ガルト、もしかして渡り鳥泥棒の癖でもあるのか?」
「お前もだぞ」
えぇ、と嫌そうな声が出た。聞け、とガルトに小突かれ、背後を取られているのは不利だなと思った。
「無我夢中で逃げ出して、どうにか安全だと思ったら不安でたまらなくてな」
「先が見えないもんな」
「あぁ、そうだ。だけどな、わんわん泣き喚くハイネがいた」
何の話だと肩越しに再び振り返れば、ガルトはまた小さく笑った。
「なんだか大丈夫な気がしたんだ」
「理由になってないぞ、ガルト」
「こういうのは直感を信じるのも大事だ。つまり、お前の風読みを俺は信じている」
何がつまりなのかまったくわからなかったが、ハイネが不安に思った自身の判断を、ガルトがそう言ってくれるのは悪い気はしなかった。
背中の二人の会話はそっちのけで渡り鳥は二羽並んで悠々と空を飛び続けた。種類と個体差にもよるが、渡り鳥の多くは七日間飛び続けられる。問題はその背中に乗る人の方だ。腹も減る、睡魔も、排泄だってある。器用に用を足すしかないのだが、足元の不安定な場所で、その下が見えないとなると、キュッと縮み上がってしまい、何度か断念した。最終的にどうにか上手くいったとだけ書いておく。
途中から風が強くなったような気がした。速さを比べるものがないので体感だが、渡り鳥の滑空の速度が上がったような気がした。青い空、白い雲を早々に見飽きてしまい惰眠を貪っていたハイネの肩をガルトが揺らして起こした。
「ハイネ、起きろ」
「うぅん……、操縦、交代?」
「違う、島が見えた」
「え!?」
ガバッと顔を上げガルトの顎を打つ。お互いに打った場所を押さえ、摩りながら視線を前にやった。
逃げ出した【大木の村】は振り返った際、遠くから見ても大木そのものだった。だが、今目の前に広がっているのはそれよりも大きな島だった。ハイネにはそれをどう表現していいかわからなかったが、大地を両手で掬ったらその形になるだろう。
赤っぽい四角い箱がたくさん並んでいて、木々がたくさん生えていて、遠い今だからこそ端から端まで見えているが、近づけば近づくほど大きかった。色が多い。赤、緑、茶色、黄色、風に揺れる布は赤と黄色の中間色、それに、ギィギィ、ケーッ、ギャァギャァと、様々な渡り鳥がひっきりなしに島へ着岸している。
「すげぇ! ガルト、あんな種類の渡り鳥がいるんだ!」
「ハイネ、それよりも降りられる場所を探せ。これは、どこにでも降りていいのか?」
「知らない」
だよな、とガルトは言いながら周囲を見渡し、空いている場所を見つけて手綱をぐいと引き絞った。ケーッと金切り声を上げながら渡り鳥は空いている止まり木に降り立った。ケーッ、と再び渡り鳥は鳴いた。
「おう、新顔か? 珍しい」
軽く手を振り、手に木の板を持った男が声を掛けてきた。黄色い布を頭に巻いた赤毛の男だ。服も濃い茶色でこの島では赤系の染料が採れるのだろう。無精ひげの生えた壮年に差し掛かった男は日頃から声を出しているせいか、少しだけ掠れた声だった。茶色よりも赤い髪のひとを見たのが初めてで、ハイネはまじまじとそれを眺め、きょろきょろ見渡した。男は笑い、いいから降りてこい、と二人を呼んだ。上る時はガルトに押してもらうハイネも降りるのは得意だ。ぴょんと飛び降りて足元のギシギシという木の板の感触に、木ではないところまで駆けた。ガルトは荷物を背負い、渡り鳥の足、風切り羽を結んでから合流した。男はハイネを見て笑っていた。
「お、すごい、ここまでの田舎者は久々に見たな」
「イナカモノ?」
「お前、どこか島から初めて出たんだろう? 最初にこの島に来る奴は同じような反応をする。どこから来たんだ?」
【大木の村】と素直に答えそうになったハイネと男の間にガルトが入り込んだ。身長の高いガルトは顎を下げて視線を合わせてもそれなりに威圧感がある。男は、おっと、と少しだけ足を引いた。
「村の名を知らないんだ。たまたま渡り鳥が流れ着いて、冒険を、風に乗ってみようとなったんだ」
「ははぁ、命知らずな。よかったな、ちゃんと島に辿り着けて」
そうやってどこにも行けず、渡り鳥の背で死ぬ奴もいるんだぜ、と男に言われ、ハイネはガルトを見上げた。やはり、風読みに失敗すれば死ぬのだ。大丈夫だ、とガルトに背を叩かれ、背負った矢筒の紐を握り締めた。ええと、それで、と男はこめかみを掻いた。
「初顔ってことはここの決まりは知らないんだよな」
「何かあるのか?」
「問題を起こされても困るから説明してやるよ。俺はこの止まり木の管理人、ダッチェだ」
「俺はハイネ! こっちは兄貴のガルト」
ハイネは胸を張って自己紹介し、そうかいそうかい、と男、ダッチェに笑われた。さて本題、とダッチェはまたこめかみを掻いた。
「まず、止まり木の利用料だ。一回、三リペル。お前ら金あるか? こういう、茶色の硬いやつだ」
「あ、これだ」
ハイネがごそごそと懐から袋を取り出して茶色い薄い板を三枚出して見せた。よしよし、とダッチェはそれを受け取って手元の木の板に何かを書き込み、腰の袋からカランと紐に吊り下げられた木の板を二枚取り出した。ハイネの手のひら大の四角い板だった。そこに何か刻まれていた。
「これを首から掛けて、島を出るまでは外すなよ。これはきちんと場所代を支払って滞在が許された証だ」
ハイネはきょとんとしたまま受け取り、首から掛けるんだよ、と焦れたダッチェに問答無用で掛けられた。ガルトがもう少し説明を求めたところ、ここ、【赤色の島】では止まり木を利用する旅人と商人を歓迎している。ただし、それはきちんと【赤色の島】に対価を支払った者に対してだけだ。金、リペルが払えないのであれば島内で働き、場所代が支払えるまで移動はさせない。一日もまともに働けば支払える額ではあるものの、島の規則に従わない者もいるらしい。
「稀にいるんだ、誰もいない島をたまたま渡ってきたからその島の規則に馴染めなくて、どうしてそんなことをしなくちゃならないんだって奴が」
ハイネにもよくわからなかった。渡り鳥は留まるもので、それは自然な行動だ。空を渡るも女神の思し召しだと習ったので、人がそれを利用していいのか、少し胸がもやりとした。けれどガルトは反論せず、ダッチェが善意で声を掛けてくれたのはなんとなくわかったので、まずは話を聞いていた。
ダッチェはこの島での生活の仕方も教えてくれた。
「水は一人三杯まで、宿でもらうこと。四杯目からは金がかかる」
「ヤドってなに?」
「……随分田舎から来たんだな? 商人の来訪もなかったのか?」
訝しむダッチェの視線にガルトが答えた。
「いや、商人はいつも枝葉の下で休んでいたんだ。それに、小さな島で、寝床を渡す余裕も」
「そのくらいの規模なのか、あー、じゃあ、そうだな」
ダッチェはガリガリと頭を掻いてから同じように黄色い布を巻き、濃い茶色を身に纏った男を呼び、手に持っていた木の板を渡した。それから頭に巻いてあった布を外して手首にまき直し、ダッチェが手招いた。
「来いよ、案内してやる」
ハイネは素直に行こうとしたが、その前にガルトが腕を出して行く手を阻んだ。
「なぜそこまで? ……俺たちの島に来た商人が、少し酷いことをしたので、警戒している」
言葉を濁しながらもガルトは警戒を率直に示し、ハイネはそこまで聞いてそっとガルトの背後に隠れた。いざとなれば弓を構えるつもりでダッチェを覗き込んだ。あぁ、と眉尻を下げたダッチェは大変な目に遭ったんだな、と同情を込めた声で言い、両手を上げてみせた。
「商人に騙された経験があるならその警戒も、まぁ、そうだろうな。信じろっていうのは難しいかもしれないが、お前たちみたいな新人に、それこそこの島で嫌な思いをさせたくないんだよ」
野生動物を呼ぶようにダッチェは腕を広げてみせた。ハイネとガルトは顔を見合わせ、ハイネが頷けばガルトが小さく息を吐いた。ガルトは荷物を背負い直し、ハイネを伴って近づき小さく首を下げた。
「すまない、弟が危険な目にあったので、つい」
「いい兄貴じゃねぇの」
「……そうだね」
ふいっと視線を逸らせばダッチェは大きな声で笑った。止まり木にやってくる渡り鳥も、それに乗る人々もそれに釣られて視線が集まり、おっと、とダッチェはまた頭を掻いてから歩き出した。次こそ三人で歩き始めながらダッチェは言う。
「【赤色の島】は見てのとおり、俺の服もそうだが赤い染料が採れる島だ。それに、結構大きな風が吹くだけあって、あのとおり渡り鳥と商人と、あんたらみたいな旅人が多い」
冒険をする人を、外の人は旅人というのか、とハイネはふんふん頷いた。赤茶のざりざりした土の上に木の板を置いた階段をギコギコ言わせながら上っていく。歩きながら振り返れば島の端にいくつも飛び出した木の止まり木が徐々に細く、遠くなっていく。到着した時には青い色をしていた空は、この島の名に合わせてか赤く染まり始めていた。陽が沈む。ハイネが目を眇めていれば、離れていることに気づいたガルトに名を呼ばれて駆け寄った。その間もダッチェの案内は続く。
「ただなぁ、最近困ったことに雨が降らねぇんだよ」
「どのくらい?」
「もう十五日にもなる」
それはかなりの日数だ。【大木の村】では五日に一度は雨雲に囲まれ、それが木の窪みに恵みの水を貯めてくれていた。それだって島民で回すのにギリギリの量だったのだ。【赤色の島】でどの程度水を貯えられるか知らないが、十五日か、とハイネは唇をつんとさせ考え込んだ。
「そんなこんなで、まぁどこの島もそうだろうが、今はとにかく水が貴重なんだ。飲む以外に使うなよ」
「わかった」
「それと、いいか、あの場所には近づくなよ。それ以外は働くなり、金を稼ぐなり、物を買うなり、出発の準備をすればいい。お前たちは金を払っているから、出発の時にその木の板を返せばそれだけでいいからな」
あの場所、と指された場所を見上げれば、茶色い四角が積み重なった一際大きな塊があり、ハイネは首を傾げた。
「なにあれ?」
「この島の管理人の家だ。村長みたいなもんだ。水の管理もしている」
絶対に近寄るなよ、ともう一度念を押し、ダッチェは言った。
「水を求めて管理人に直談判しに行った奴が、帰ってこないんだ。本当に行くなよ」
ハイネとガルトはこくりと頷き、ダッチェから笑顔が返ってきた。
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