8話
応接室に移動し、執事に紅茶を淹れ直してもらい、アデリーナと向かい合って座る。
「今日、我が家に来られたのは確認したいことがあるとのことでしたが……」
ジェラルドは本題を切り出すが、アデリーナの反応はない。不審に思い、様子を窺うと、彼女はじっとジェラルドを凝視していた。いや、正しくはジェラルドの背後を、だ。
アデリーナの行動の意味をすぐに理解したジェラルドは、苦笑を浮かべた。
「随分と珍しい置物でしょう?」
ちょうどジェラルドの真後ろには、子どもの背丈ほどの大きな木彫りの置物がある。遠い南方の異国に代々伝わる家の守り神らしく、原色をふんだんに使った目を引く色合いをしている。
外装も内装も自国の文化一色なのに、この応接室にだけこのような馴染みのない異国文化が色濃い場所があったら、驚くのも無理はない。
「そうね、あまり見たことないわ……。あなたの趣味なの?」
「いえ、これは父の趣味です。会社経営時代の伝手を頼りに手に入れたそうで」
義父の趣味にとやかく文句は言いたくなかったが、さすがにこの奇抜な置物を応接室に置くのはどうかと、ジェラルドは一度苦言を呈したことがある。
『ははっ。何を言ってる、客が驚いた顔をするからいいんだろうが』
そう一蹴されて終わった。ジェラルドは納得しなかったが、厄介になっている身でそれ以上言うことはできなかった。
「でも、もうあなたがこの屋敷の持ち主でしょ? 気に入ってないのに、片付けたりしないの?」
アデリーナの指摘に、ジェラルドは虚をつかれた思いがした。
この屋敷にあるものはすべてセドリックのもので、養子の自分が好き勝手にしていいものではない。そう思い込んでいたから、撤去するという発想がなかった。
「確かに……そうですね」
「……気乗りしないの?」
ジェラルドは振り返って、派手な守り神を見る。改めて見ても、やはり何故ここにこれを置いているのか理解できない。
だが、義父はここに置くことを決めたのだ。目立ちはするが、さして邪魔にはならないし、無理にどかす必要もないだろう。
「自分でも意外なのですが……これがここにあるのに慣れてしまいましたから」
「……そう。仲が良かったわけでもない義理の父が残した厄介な物なんて、私ならすぐにどかすわ。あなた、結構義理堅いのね」
呆れたようにため息をつきながら、アデリーナは紅茶を飲む。その口元はわずかに綻んでいた。
「まあ、悪くはないと思うわ。……少なくとも、今までの人たちよりはずっと」
婚約者候補の男たちのことだろうか。カールはアデリーナが彼らと良い関係を築けなかったと話していたことを思い出していると、アデリーナがそろそろ帰宅すると立ち上がった。
「ご要件は良かったのですか?」
「ええ。もう目的は果たせたから。お見送りは結構よ」
「まさか、歩いて帰るおつもりですか?」
「歩いて来たんだもの、歩いて帰るわ。まだ明るいし、この街は治安がいいから問題ないでしょ。凶悪事件だって、十年前の火事の事件以来起きてないんだし」
「……そうですが、やはりお送りします。女性、ましてや婚約者をひとりで帰らせるなんて、できません」
しばらく押し問答をした結果、馬車でリントン邸まで送ることになった。
「あなたって、強引なところがあるわよね。普段はこっちの言うことは何でも受け入れる、みたいな態度のくせに」
馬車に揺られながら、アデリーナがジェラルドを恨みがましく見る。本人は少しでも威圧しようとしているのだろうが、ジェラルドにはかわいらしい反抗にしか思えなかった。
「譲れないものがあるだけです。……それに、こうしてお送りすれば、少しでもあなたと一緒にいられるでしょう?」
「……減らず口ね」
アデリーナは顔を背けてしまったが、ジェラルドが話しかければ応えを返した。それほど話が弾んだ訳では無いが、彼女と過ごしている間、一度も一方通行の会話にはならなかったのは初めてのことだった。
やがてリントン邸へと到着し、アデリーナを馬車から降ろしていると、カールが姿を現した。
「どこに行っているのかと思ったら、ジェラルド君と一緒だったのか」
「お嬢様と過ごさせていただいておりました。報告が今となり、申し訳ございません」
「いや、いいんだよ。すまないね、きっとこの子がアポもなく君の家に押しかけたんだろう?」
カールはやれやれとアデリーナを見やる。
「だって、暇だったんだもの。彼は婚約者なんだから、いつ会いに行ったっていいでしょ? そもそも、婚約者だからもっと積極的に親しくしなければならないと、お父様が言ったんじゃない」
おや、とジェラルドは目を瞠った。アデリーナがジェラルドを婚約者と呼んだのはこれが初めてのことだ。隙があれば婚約破棄に持ち込もうとしていたのに、大きな心境の変化があったらしい。
カールもアデリーナの発言に驚いたようで、目を丸くしてジェラルドと顔を見合わせる。
当のアデリーナはふたりの様子を気にかけることもなく、疲れたから部屋で休むとジェラルドに軽く挨拶をして屋敷に戻って行った。
「仲が良いと聞いていたけれど、男嫌いのあの子があそこまで君に心を開いているとは思わなかった。……今日、なにかあったのかい?」
「……応接室で話をしまして。我が家の趣味を面白がってくださったようです」
生前の養父に応接室に招かれたことのあるカールは置物の話だとすぐに気づいたようで、ああと納得したように頷いた。
「女性は意外な一面というのに惹かれやすいと聞くからね」
ジェラルドはあえてピアノのことを伏せた。
カールにはアデリーナがピアノに興じていたことを知らせてはならない。何故だか、そう思った。