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6話

「すまないね、本当なら君は今日休みだったのに」


 仕事が一段落し、休憩をしようとしていたジェラルドにカールは申し訳無さそうに謝った。


「お気になさらず。社長の負担を減らせるのなら、いつでもお力になりますよ」


 欠片も思っていない台詞を吐き、顔に笑みを貼り付ける。もう慣れてしまってはいるが、この世で最も憎い仇に媚びを売るのは反吐が出るほどの苦行だ。


「一時期よりは良くなってはいるんだがね……医者が少しは休めとうるさいんだ」

「お医者様の言う通りですよ。社長が倒れられた時は、私達のほうが心臓止まるかと思いました」

「いやぁ、その節は迷惑をかけたね。……ところで、ジェラルド君。娘とはどうだね?」

「良好です。先日も観劇に行きました」


 アデリーナと庭で話をしてから二週間が経過し、わずかだが彼女の態度が軟化してきている。相変わらず笑みひとつ見せることはないが、不機嫌な表情をすることが減ったのだ。


 それでも一緒に過ごすと必ずひとつはわがままを言う。まるでノルマのように。


「アデリーナ様は……大変かわいらしい方ですね」

「はは、そうか。これまで何度か社員と会わせたことがあったが、うまくいかなくてね。少し心配していたが、仲が良いなら良かった。君とは相性がいいのかもしれない。これからもよろしく頼むよ」

「はい。……ですが、本当に私で問題なかったのでしょうか?」


 カールは不思議そうに目を瞬かせた。本当になんのことかわからないようだ。


「お嬢様との結婚です。どこの馬の骨とも知れない私が大事なお嬢様の結婚相手となることに不安はありませんか?」


 アデリーナの婿は、年々成長している将来性のある会社の跡取りとなる。ジェラルドが頭角を現すようになる二年前までは貴族の血も流れている男達が彼女の婿候補だった。


 突然婚約者の座に収まったジェラルドを快く思わない者もいる。実際に会社の同僚達からは孤児風情がと貶されることもあった。


「ああ、そのことか。……あの子の婿の出自など、気にしたことはないよ。重要なのは会社を継げる能力があるかどうかだからね。君は一番適していただけの話さ」


 当然のことだろうとジェラルドは内心で吐き捨てる。

 幼い頃から勉学に励み、養父の元でも学ぶことを怠らず、入社してからも貪欲に知識を吸収し続けた。そして、何より正統な会社の跡取りだ。ジェラルドは誰よりもこの会社を受け継ぐ権利がある。


「実力があり、信頼できるものに任せたい。なにせ、この会社は亡き親友から託された、命よりも大切なものだからね」


 ジェラルドの手が震えた。湧き上がる怒りに唇を噛みしめる。そうしなければ、あらん限りの罵詈雑言をぶつけてしまいそうだった。


 落ち着けとジェラルドは自分に言い聞かせる。この男の厚顔無恥な言動は今に始まったことではない。

 燃えるターナー邸の前で大切な友を亡くした男として愁嘆場を演じ、偽の遺書が発表戯れた時には涙ながらに親友が自分に残したものを大切にすると周囲にほざいたことすらあったのだ。


 わかっていても、ジェラルドの心は鎮まらない。カールの元で働くようになって数年、怒りを抑えることに長けたつもりでいたが、家族の話を出されるとこうも揺らいでしまうとは思わなかった。


「すまないね。君にプレッシャーを与えるようなことを言ってしまったかな?」

「……いえ。社長のご友人への想いに感銘を受けておりました。それほど大切になされている会社を引き継ぐのですから、私も気を引き締めねばと思いまして」

「ははは。相変わらず、君は真面目だね」


 カールはジェラルドの差し出したお茶を飲みながら、朗らかに笑う。ジェラルドの抱く殺意に全く気がついていないのが滑稽だった。


 この男は狡猾な手段で父からすべてを奪ったが、鈍い男でもあった。父の面影を残すジェラルドの髪が茶色に変わっただけで、その正体に気づきもしないのだから。


 あの特徴的な髪色でしか、認識していなかったのだろうか。ありえそうだとジェラルドは思う。


 カールは人を見る時、髪色を重視するところがある。彼は会社を引き継いだ時から赤い髪を蛇蝎のごとく嫌っており、赤毛の人間は採用しないほどだった。

 当時在籍していた社員はクビを恐れて慌てて赤い髪を染めるようになったと愚痴っていた。赤毛を穢らわしいと言うなど、いつの時代の人間だと。


 身の回りからそこまで排除したいほど赤毛が嫌なのだろう。確かに社内には赤毛の社員はいない。だが、彼のとても身近なところにひとりいる。


「アデリーナ様は見事な赤髪をお持ちですね。あれほど鮮やかな色の髪は初めてみました」


 空気がピリと張り詰める。どうやら、アデリーナの髪の話はタブー中のタブーだったようだ。


 アデリーナの髪について話した時の彼女の動揺や口ぶりから察するに、これまでの婚約者候補は一度も彼女の髪を褒めたことはなかったのだろう。

 それどころか、彼女の赤い髪を見て、複雑な表情をしたのかもしれない。この会社に在籍している者は、赤毛は禁忌だと刷り込まれているから。


「そうだね。あの子の髪と目の色は、母親譲りなんだ。顔立ちは私に似ているがね」


 カールは何事もなかったかのように、微笑んだ。


 アデリーナと同じ吊り目がちでありながらカールにきつい印象がないのは、彼がいつも浮かべているこの笑顔のせいだろう。


 本性を知っている人間には白々しい笑みにしか思えないが、何も知らない者は彼を鷹揚な人間と捉える。かつてのジェラルドもそうだった。


 カールはお茶に再び口をつけると、明日の商談についての相談をし始める。

 ジェラルドはそれ以上アデリーナのことは言及せず、淡々とその日の業務をこなした。


 予定通り午前で仕事を終えたジェラルドが帰路につこうとしていた時だった。


「来たわね、ジェラルド・ウルフスタン」


 会社を出た途端、聞き覚えのある声が耳に飛び込んでくる。顔を上げると、アデリーナが眼の前に立っていた。


「アデリーナ樣。どうされましたか?」

「あなたを待ってたのよ。今日は午前中だけ休日出勤って聞いてたから」


 先日のデートの時に何気なくそう言ったことをジェラルドは思い出す。そっぽを向いていたから聞き流しているのかと思っていたが、きちんと聞いていたらしい。


「そうでしたか。お待たせしてしまい、申し訳ございません」

「……ふん。別に待ってないわよ。さっき思いついて、来ただけだから」

「それなら、良かったです。……せっかく来てくださったのですから、街に行きませんか?」


 アデリーナは首を横に振る。珍しくためらいの色を見せながら、ジェラルドを見上げた。


「あなたにお願いがあって来たの」

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