5話
小高い丘に建てられたリントン邸は殺風景な広い庭に囲まれている。裕福な家は興味がなくともある程度庭を色鮮やかな花々で飾り立てるものだが、カールはそういうことに関心がないようだ。
申し訳程度に植えられた木々は、本館や別館が豪奢な分、余計に寂しさを煽る。
所持する人間が違えば華やかであったであろう庭は、何度見てもエルドレッド――ジェラルドを苦い気持ちにさせた。
「あなたって、こんな何もない庭が好きなの?」
呆れが滲んだアデリーナの声に、ジェラルドは庭から彼女に視線を移す。
ジェラルドの左腕に手を添えているアデリーナはとても退屈そうだ。
父親から注意でもされたのか、顔合わせ初日のようなこちらを試すような金遣いの荒さは見せないが、アデリーナはジェラルドと顔を合わせる時はいつも仏頂面をしていた。
婚約を破棄したい男に無理やりつきあわされているのだから、彼女の反応も理解はできる。ジェラルドも復讐のためでもなければ、こんな億劫なことはしたくない。
「好きかどうかはわかりませんが……珍しい庭だなと思いまして。社長の趣味でしょうか?」
「そうじゃないの? お父様が建てたんだから。特別な思い入れがある場所らしいし」
「……そうですか」
ジェラルドは鼻で笑いそうになるのをどうにかこらえた。
特別な思い入れがあるのも当然だ。なにせ、友人一家を殺めてまで手に入れた戦利品のひとつなのだから。
この屋敷だけではなく、父が築いた会社も財産も慈善事業も何もかもあの男は奪い取った。父の筆跡を真似、コンラッドを騙して印章を盗ませ、遺書を偽造して自分がすべてを受け継ぐ権利を得たのだ。
「何よ。娘のくせに断言できないのがそんなにおかしいの?」
眉をしかめ、アデリーナがジェラルドを睨む。
この娘は気性が荒く面倒なところはあるが、感情は素直に表に出す。カールのように邪悪な本性を隠さないから、接しやすくはあった。
「いえ。……私も、父の趣味のことなどは詳しく知りませんでしたから」
父、ハロルド・ターナーは一代で会社を築いた才覚のある人間だったが、彼は家族を第一に考える人だった。常に妻子のために動き、友人に家族が趣味みたいだとからかわれていたこともある。
『仕事も重要だけど、大切な人を最優先にしなさい。仕事は他の人に任せることもできるけど、大切な人はそうはいかないからね』
父は自分の息子達によくそう言い聞かせていた。
「そう? あなたの父親の趣味ってわかりやすいんじゃない? とにかく派手なのが好きで」
「……え?」
「会ったことはないけど、セドリック・ウルフスタンが派手好きだっていうのは有名な話でしょ」
実父ではなく養父の話かとジェラルドは合点がいった。同時に、自分が赤子の頃に捨てられ孤児院で育った設定だったのを一瞬でも忘れていた失態を反省する。
もっと気を引き締めなければ。ほんの些細な綻びから正体を見破る者もいるのだから。
義父セドリックがまさにそうだ。彼は隣町の孤児院で目立たぬように息をひそめて潜伏していたジェラルドの正体と復讐心にひと目で気づいた。
セドリックは早くに家族を事故で亡くし、後妻をとることもなくひとり生きてきた年老いた資産家だった。気まぐれに慈善を施そうと訪れた孤児院でジェラルドに出会い、残り短い人生の楽しみをその復讐に協力することに見出した。
彼の協力のおかげで、ジェラルドはカールの悪逆を正確に把握し、必要な情報と能力を得られ、こうして仇の娘の婚約者となれた。
復讐を果たす前に彼がこの世を去ったのは残念だが、きっとジェラルドの雄姿を見てくれているだろう。
「そうでしたね。父は、何かと派手で楽しいことが好きな人でした」
「……ふーん」
「おや。何か気になることでも?」
「別に。ただ、意外だと思っただけよ。あなたはセドリック・ウルフスタンに気に入られて養子になったって聞いてたから。……そう。そこまで父親とは仲良くなかったのね」
その言葉にわずかな同調の響きを感じ、ジェラルドは目を細めた。
初めて会った時から察してはいたが、アデリーナは父親を恐れているようだ。嫌悪している節もある。そして、その思いを誰かと分かち合いたいと願っている。
望み通りの復讐を果たすには、彼女を懐柔できるかが鍵になる。付け入る隙があるのなら、みすみすそれを逃す手はない。
ジェラルドはやや大げさにため息をついた。
「隠しても仕方ないですね。……亡くなったご子息そっくりとのことで父は私を引き取りましたが、早々に興味を失ってしまったので、さほど親しくはありませんでした。幸い、教育は施していただいたので、社長の部下を務めることができていますが」
アデリーナはジェラルドの言葉に表情ひとつ動かさない。だが、彼女のまとう空気がほんの少し和らいだ。
思っていた以上に御しやすい人間なのかもしれないと、ジェラルドは内心ほくそ笑んだ。
「父とは馬が合いませんでした。育てていただき感謝はしておりますが……それだけです」
「……親不孝な子どもね」
「ええ。ですが、仕方がありません。それが私という人間ですから」
アデリーナは無言だった。ジェラルドに目を向けることもなく、ただ無骨な庭を眺めている。
ジェラルドが次の言葉を探していると、ふいに突風が吹いた。彼女の艷やかな髪が強風にさらわれ、空にたなびく。ジェラルドの視線に気づいたアデリーナが揶揄の笑みを浮かべた。
「不気味な髪でしょう? 妻にするには向いてない色よ。あなたも気に入らないのなら、今すぐ――」
「何度持ちかけられても、婚約破棄はしませんよ。私はもちろん応じませんし、社長も絶対に了承はしないでしょう。あの方の後継に相応しい人間は私以外にいませんから」
「……あなたって結構な自信家よね」
「事実を申し上げているだけです。……それに、私は赤毛に差別意識を持っていません。やたらと赤毛を貶めていたのは曽祖父世代までの話で、今は忌避する者も少なく、むしろ綺麗だと好いている者もいるでしょう。特にあなたの髪は鮮やかで青空によく映えますから」
アデリーナが目を丸くする。驚いた表情は彼女をいつもより幼く見せた。
「そんなこと、初めて言われたわ」
髪を押さえ、アデリーナはうつむいた。照れているようだ。
ジェラルドは口を開いたが、すぐに閉じた。
ここで彼女の髪を褒めればさらに距離を縮められるだろうが、到底それをする気にはなれなかった。
柔らかな風が彼女の髪をなびかせるのをジェラルドはじっと見つめる。
焼け焦げた臭いが鼻孔をくすぐった気がした。