23話
「来てくれてありがとう、ジェラルド」
手慣れた様子で淹れた茶をジェラルドに差し出すアデリーナは、少し疲れた様子だった。
カールの葬式から二週間経ち、目まぐるしく変わった環境にまだ馴染めていないのだろう。遺書が公表されてから周囲の自分を見る目も冷たくなったに違いない。
「ありがとう。あなたの淹れるお茶が飲めて嬉しいよ。……ところで、体調はどうだ? もし、眠れないなどの問題があるなら――」
「大丈夫だって何度も言ったでしょ? 私は子供じゃないのよ。もう、あなたはほんと過保護なんだから」
アデリーナは呆れたように言うが、その表情は柔らかい。
「あなたが心配して色々手配してくれたおかげで平気なの。警備はちょっとびっくりしたけど」
今、このリントン邸には昼夜を問わず、警備をする人間を配置している。メイドも通いから住み込みに変え、アデリーナがひとりになることがないようにしている。
「あなたには財産があるし、この屋敷に住むのが女ひとりになったことは街中の誰もが知っている。治安がいい場所であっても、どんな輩が潜んでいるかわからない。用心するに越したことはないよ」
「……そうね。確かに前と違う態度を取る人が増えたもの。……あ、と言っても、たいしたことはないのよ。ただ少し冷たくなっただけで支障はなくて。それに、気分転換できてるから問題ないわ」
アデリーナは部屋の隅に目を向ける。そこには真新しいピアノがあった。
カールの死後、ジェラルドが彼女にプレゼントした物だ。高価なのでアデリーナは当初は驚き断ったが、ジェラルドは半ば強引に贈った。
「そうか。気に入ってくれたなら良かった」
「家にピアノがあるって最初は不思議な感じがしたけど、目が覚めてすぐに弾けるのってすごくいいわね。気分が違うわ」
ウルフスタン邸に彼女を招き入れたこれまでの夢でも、アデリーナは朝一番にピアノを弾くことが多かった。カールのことを思い出して塞いでいても、ピアノを弾けば明るい表情に変わった。
だから、ジェラルドはピアノを贈った。これからまた何があっても彼女の心の拠り所となるように。
ジェラルドは居住まいを正した。ジェラルドの雰囲気が変わったのを察したのか、アデリーナの表情が若干強張った。
「アデリーナ。今日来たのはあなたに話があるからだ。……申し訳ないが、あなたとの婚約は解消させてくれ」
アデリーナは目を瞠った。膝に置いていた彼女の手が強く握られるのがジェラルドの目に映った。
「どう、して? ……お父様が悪人だから? 悪人の娘だから、結婚したくないの? でも、あなたはそんなことで婚約をやめるような人じゃないわ」
彼女からの信頼は嬉しい反面、ジェラルドの罪悪感を煽る。そこまで信じてくれる彼女を突き放すのはつらかった。
「いいや。あなたがカール・リントンの娘だから、結婚できないんだ」
「嘘……だって、あなた、今まで何も……」
カールの罪が公になってからも、ジェラルドはアデリーナへの態度を変えなかった。むしろ、贈り物をしたり使用人を増やしたりと気遣った。だから、アデリーナはますますジェラルドを信頼した。
今更こんなふうに突き放すのはアデリーナにとってひどい裏切りだろう。
ジェラルドはまっすぐにアデリーナを見据え、告げた。
「あなたと結婚できないのは、俺がエルドレッド・ターナーだからだ」
「え……」
「覚えているか? エルドレッド・ターナー……あなたの父親が殺したターナー一家の長男だ」
齟齬が出ないよう、ジェラルドはカールの葬式までは大体同じ行動をしている。アデリーナに印章を取らせないこと以外はほぼすべて同じと言ってもいいだろう。
今回の夢でも、墓場でアデリーナにターナー一家を襲った悲劇を話していた。
「でも、長男は亡くなったって……」
「生き延びていたんだ。墓に入っているのは犯人の汚名を着せられたブライアンだ」
青ざめながらもまだ信じられないアデリーナに、ジェラルドは己の半生を語った。エルドレッドとして幸福に暮らしていたこと、カールが引き起こした惨劇と復讐を誓って生きてきた日々を、感情を排して。
「あなたとの婚約もカールへの復讐のための道具でしかない。最初から、俺はあなたとは結婚するつもりはなかった」
解消することが前提の婚約。愛のない婚約者。それが揺らいでしまったのはいつからだろうか。
「あなた個人には罪がなかったから、しばらく面倒は見た。……今後は赤の他人であることを忘れないでくれ」
ジェラルドが語り終えても、アデリーナは口を閉ざしたままだった。衝撃が大きすぎたのかもしれない。
もっと穏当に婚約を解消する方法があったのかもしれないが、ジェラルドへの信頼が篤い以上、すっぱりと未練を断ち切ってくれる方法が一番に思えた。
火事が起こる日は近づいてきているため、なるべく早くに関係を終わらせたかった。
「だから、なのね……だから、私は今、こんなことになってるのね……」
「……アデリーナ?」
ひとりごとのように呟かれた言葉にジェラルドは眉をひそめる。だが、アデリーナはジェラルドの様子を気にすることなく、彼を見て微笑んだ。
「わかったわ。そういうことなら、仕方ないわよね。……今までありがとう、ジェラルド」
アデリーナは力なく笑った。今にも泣き出しそうな表情にジェラルドの胸が締めつけられたが、そのままリントン邸を後にした。
アデリーナに別れを告げて五日経ち、その日が訪れた。
「今回は上手く行ってくれるといいが……」
今までの火事はすべてジェラルドとの婚約中に起こった。それが無くなった今、何かが変わるかもしれないとジェラルドは期待した。
だが、現実は無情だった。アデリーナの居住するリントンの本邸で火災は起こり、火は容赦なく彼女を襲った。