21話
「紹介しよう。私の娘、アデリーナ・リントンだ」
聞いた瞬間虫唾が走った声にジェラルドは目を見開く。
雲ひとつない空を背景に、仇とその娘が並んでいる。何事かと混乱しかけて、ジェラルドは魔女の魔法で過去に戻ってきたのだと理解した。
あれからジェラルドはすぐさま魔女の秘薬を飲み、もうひとつの秘薬をアデリーナに飲ませるよう使用人に命じた。こうして魔法が発動しているということは、アデリーナは薬を飲んだようだ。
目の前に立つアデリーナの顔には火傷がなかった。白く輝く肌は彼女にとって大事なものだ。絶対に火事に遭うのを避けなければならない。
肌だけではない。その髪も瞳も腕も、そして何よりその心を、傷つけることがないように守らなければ。
ジェラルドが心の中で決意していると、アデリーナが戸惑った表情を浮かべているのに気がついた。
どうしたのかと考えて、自分が凝視しているせいだと思いいたる。
「あ……すみません。不躾に見てしまって……綺麗な方なので、驚いてしまったのです」
「ははっ。気に入ってくれたようで良かった。だろう、アデリーナ?」
「……はい」
ふたりでじっくり話してくれ、とカールは前回と同様その場を離れた。
前回はカールがいなくなった途端、アデリーナは態度を豹変させていたが、今回は困惑している。初対面でじろじろ見てくる男とふたりきりになるのが怖いのだろう。
完全に対応を間違えてしまったことを後悔するが、失敗は取り戻せばいいとジェラルドは穏やかに微笑んだ。
「先程は失礼しました。……良ければ庭を歩きながら話をしませんか?」
甘いものを食べながらのほうがアデリーナは喜ぶだろうと思ったが、カールに甘いものを口にしたのがバレて面倒なことになってしまうかもしれない。
警戒している男と向き合って話をするよりも並んで話すほうが気まずくはないだろうと散歩を提案したのだが、アデリーナは嫌がるだろうか。
この時点でのジェラルドはアデリーナにとって今までの婚約者候補と同じく、ただ社長のカールに言われるがままに自分と関わりを持とうとする男でしかない。わざとひどい態度をとって向こうから愛想を尽かして離れることを願われているだろう。
だから、ジェラルドの提案など鼻であしらわれるのではないかと思ったが、意外にも彼女はその誘いに乗った。
殺風景の庭を歩きながら、ジェラルドは最初に簡単な自己紹介をした。アデリーナは大人しくそれに耳を傾けている。聞いてくれてはいるが、どこかうわの空だ。
まだ心を開いていない彼女との距離をどう縮めればいいのかわかっていたジェラルドは切り出した。
「アデリーナ様、ピアノはお好きですか?」
「…………好き、よ。昔はよく弾いてたもの」
「それは良かった。実は我が家にピアノがあるのですが、残念なことに私も父も音楽を嗜まない人間なので、長年ただの置物と化していまして。よろしければ、ひきにいらしてください」
ジェラルドの申し出にアデリーナは何度か瞬きをして彼を見つめた後、頷いた。
アデリーナがウルフスタン邸を訪れるようになって、ふたりは火事が起こる前と同じように親しくなった。
最初の頃のアデリーナはジェラルドを後継者という地位のために自分に媚びへつらう男だと判断していた。カールの顔色を伺って結婚しても、赤毛である自分はそのうち厄介者扱いされるのだろうと。
だが、ジェラルドが亡き養父の派手な置物も大切にしている人間だと知り、ジェラルドを信頼し婚約者として認めた。
「ジェラルド、向こうの薔薇、もう咲いてるわ!」
無邪気に笑うアデリーナに、ジェラルドも笑みがこぼれる。
幸せだった。どうかこのままの日々が続いてほしいとジェラルドは願った。
アデリーナと親密になっていく一方で、復讐の計画も水面下で進めていた。前回復讐を成し遂げたが、この世界のカールはのうのうと生きている。アデリーナを救うために過去に戻ったが、あの男にも鉄槌はくださなければならない。
でなければ、ジェラルドの心が休まらない。
カールへの復讐は果たすが、今回はアデリーナを巻き込まないつもりだ。
元々印章を盗ませたのはアデリーナへの未練を断ち切り、カールと共に葬るつもりだったからだ。アデリーナを救いたい今は、そんなことをさせるつもりはなかった。
すべてが順調だった。カールを始末し、アデリーナをルスフォードではなく、ウルフスタン邸に招き入れた。
これでアデリーナに降りかかる悲劇は避けられた。そう、思っていた。
だが、ジェラルドの喜びをあざ笑うように、不幸は突如訪れた。
「ウルフスタンさん、すぐに帰宅されてください! ご自宅が……!」
強風でランプが転倒し、瞬く間に炎はウルフスタンの屋敷を包みこんだ。
幸い、死者はいなかった。だが、逃げる際に負傷した者が出た。
「アデリーナ……」
腕と顔に包帯を巻き、アデリーナは眠っていた。彼女は目を覚ました時、自分の怪我に何を思うだろうか。
ひどく傷つき、怯えた目を向けるアデリーナが眼裏に浮かび、ジェラルドは拳を握りしめた。