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2話

 澄み渡るような青い空の下でジェラルドが出会ったのは、燃えるような赤い髪をした少女だった。

 吊り目がちの緑の瞳は気の強さをうかがわせ、こちらを値踏みするその顔は警戒心に満ちている。


「あなたが私の婚約者だなんて、がっかりだわ。お父様ももっとマシな人を選んでくだされば良かったのに」


 心底不満だと少女は鼻を鳴らす。つい先程まで愛想はなくとも最低限の礼儀はあったというのに、監護者たる父親がいなくなった途端、豹変したのだ。


 だが、無礼な態度を取る少女に、ジェラルドは偽りのない穏やかな笑顔を浮かべる。平凡な茶の髪と瞳は笑顔に温かみを与えることをジェラルドは知っていた。女性には評判の良い笑顔だが、目の前の少女は汚らわしいものを見たかのように眉をしかめた。


「そうやって、お父様に取り入ったのかしら? 悪いけど、私はあなたみたいなうさんくさい笑顔の人、大嫌いなのよ」

「それは残念です。ですが、私はアデリーナ様に惹かれております。せっかくできたご縁です。政略結婚とはいえ、いずれ夫婦になるのですから、互いを知って親しくなれればと――」

「嫌よ」


 すげなくはねつけられても、ジェラルドは笑顔を崩さない。


 機嫌を損ねてしまったアデリーナ・リントンの関心を引こうとジェラルドは温和な態度で様々な話題をふるが、彼女はつんと顔を背けて聞こうともしない。十七の娘とは思えないその態度に、ジェラルドの笑みが深まる。


「ジェラルド・ウルフスタン。あなた、いつまで馬鹿みたいにひとりごとを言ってるつもりなの? いい加減黙ったらどう?」


 反応がないことも気にせず、立石に水とばかりに一人語りを続けるジェラルドに耐えきれなくなったのか、苛立ちもあらわにアデリーナが口を開いた。


「ひとりごとではありませんよ。現に、アデリーナ様はこうして聞いてくださっているではありませんか」

「聞いてないわよ! 音の外れたピアノみたいで聞き苦しいから、やめなさいって言ってるの!」


 声を荒げるが、アデリーナは席を立とうとはしない。父親にジェラルドと一日共に過ごすよう命じられているからだ。

 わがまま娘と評判の彼女も、さすがに父親に逆らうことはできないのだろう。


 ジェラルドはこの数年、アデリーナの父であり慈善家と名高いカール・リントンの部下としてその能力を発揮し、リントン家の跡取りに相応しいと判断された男だ。自他ともに認める秀でた能力の持ち主であり、婚約者として申し分ないと自負している。


 アデリーナの婚約の話はこれまで何度も持ち上がったそうだが、どの男も婚約者候補止まりだった。相性を見るためにデートを数回させたそうだが、アデリーナのあまりの傲慢さに、みな音を上げたらしい。


 カールがジェラルドを候補者ではなく最初から婚約者としたのは、どんな不条理でも笑顔で対処してきたジェラルドの性格を信頼してのことだろう。

 アデリーナは相手が誰であっても嫌がるのだから、彼女の意思よりも婚約者の度量を重視したのだ。


 予想通り、彼女はジェラルドに不満を見せた。誰に対してもこのような態度だったのだろうかとジェラルドは少し気になった。

 もしかしたら、ジェラルドが孤児上がりであるから余計に反発しているのかもしれない。孤児は生活苦からすりや窃盗などを犯すことがあり、世間一般的に婚約者として歓迎されない。本人がどれほど誠実であろうと、簡単に冤罪を着せられてしまう。その程度の存在だ。


 渋面を作るアデリーナに、ジェラルドは涼やかに笑んだ。


「私達はまだ出会ったばかりでお互いのことをよく知りません。社長に許可も頂いていますし、街へデートに行きませんか?」


 アデリーナは答えない。その顔にはありありと拒絶の色があるが、ジェラルドは自分に都合よく捉えた。


「了承をいただけて嬉しいです。さあ、アデリーナ様。お手をどうぞ」


 気は乗らないが、父親に外出する旨を伝えられているのなら家にこもったままでは後で叱責されるかも知れない。

 そんな葛藤をしていたのか、アデリーナはしばし躊躇した後、差し出された左腕に嫌々手を添えた。





 ウルフスタン家所有の馬車に乗り、ふたりは中心街へと訪れた。

 馬車の中でもアデリーナはジェラルドとの対話を拒絶し、目を合わせることすらなかった。取り付く島もないが、ジェラルドは怒ることもめげることもせず、むしろどこか嬉しそうにしていた。


 その様子は街についても変わらず、接客をする店員も困惑の表情を見せた。


「ああ、気にしないでください。私が彼女を怒らせてしまっただけなので。今日はお詫びの品を買いに来たんです。……アデリーナ様、お好きなものを選んでください。ここにないものがほしいのなら遠慮せずおっしゃってくださいね。あなたが望むものなら、なんでも用意いたしますよ」

「……そう。なら、そこの棚の物」


 アデリーナが指したのは、大きな宝石がついた見るからに高級そうなアクセサリーの棚だった。

 目を丸くしたジェラルドが尋ねる。


「この棚の物を……全て、ですか?」

「ええ。棚の上から下まで、全部よ。……何、もしかして無理なの?」


 嘲笑を浮かべるアデリーナに、ジェラルドは鷹揚に微笑んだ。


「まさか。言ったでしょう。あなたの望むものならなんでも用意いたしますと。……あなたが答えてくださって、感激しただけですよ。その棚だけでよろしいのですか?」


 面を食らったようにアデリーナはジェラルドを見る。きっとジェラルドには払えるわけがないと高を括っていたのだろう。

 ジェラルドは亡き養父の資産を元手に投資によって増やした財産があり、この店のすべての品を買う余裕はあった。


「……ふん。よろしいわよ」


 アデリーナはつまらなそうにため息をつくと、踵を返して退店した。ジェラルドも支払いや荷物の届け先の指示を手早く済ませ、彼女の後を追う。


 まだ一軒目のお店を見ただけなのに、アデリーナは既に馬車に乗り込んでいた。


「見たいものは見たわ。帰りましょう。私はもう休みたいの」


 窓の外に目を向けたまま、アデリーナは決定事項を告げる。ジェラルドの意志など聞く気がないようだ。

 ジェラルドはもう少し街を散策しようと提案するが、無下に断られ、諦めて彼女を屋敷に送ることにした。


 当然のように帰路での会話もジェラルドの一方通行で、ろくな交流はできなかった。それでも、ジェラルドは不満を見せなかった。


 別れ際、アデリーナはジェラルドの目を見て言った。


「あなたって演技がうまいのね。少なくとも、私が出会った人の中で、一番自然な笑顔をしてたわ。他の女性なら、あなたが心から喜んでいるように勘違いしたでしょうね」


 リントン邸をあとにし、ひとり馬車に揺られながらジェラルドは彼女の言葉を反芻する。自然と口角が上がった。


「当たり前だろう。演技ではなく、本当に喜んでいたんだからな」


 むしろ、アデリーナが無礼な恥知らずで感謝までしている。

 これから父親と共に地獄に突き落とす彼女が外道でいてくれたほうが、罪悪感なく復讐を果たせるのだから。

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