19話
天高く昇る太陽が暖かな日差しを地上に降り注ぐ。花々は鮮やかに咲き誇り、小鳥は陽気に歌う。
穏やかな光景とは正反対の沈鬱な気持ちを隠す余裕すらないジェラルドが辿り着いた場所はルスフォードで一番大きな診療所だった。
階段を上がり、看護師に聞いた病室の前で足を止める。閉ざされた扉の向こうにはアデリーナがいる。
『ルスフォードへ到着する直前の事故だったそうです。乗り合い馬車が転倒し、乗客の煙草が車体に引火しました。不運にもアデリーナ様は車体に腕を挟まれ身動きがとれず……』
執事の言葉を信じられなかった。信じたくはなかった。
人の口を介する内に話が大きくなっていっただけで、彼女は軽傷ではないかと思いたかった。
ジェラルドは意を決し、ゆっくりと扉を開ける。
アデリーナはベッドに座っていた。細い腕に巻かれている包帯が痛々しい。長い髪に隠れて、その表情はわからない。
微動だにせずぼんやりと手鏡を眺めているアデリーナの様子に、ジェラルドはノックをするのを忘れていたことに気づく。
今更だと思いながらも、ジェラルドは扉を軽くノックした。
「アデリーナ」
アデリーナが顔を上げる。ジェラルドに気づき、その瞳が驚きに丸くなる。
対するジェラルドも、アデリーナを見て息を呑んだ。彼女の左頬から首元にかけて赤くなっていた。彼女は肌が白いだけに、その火傷は距離があってもはっきりとわかった。
女性の顔に傷がついてしまった。アデリーナはどれほど傷ついているのか。どう声をかければいいのかジェラルドが言葉に迷うと、アデリーナの瞳に怯えと失望と拒絶の色が走った。
「や……見ないで!」
顔を隠し、アデリーナは悲鳴を上げる。身を守る用に縮こまるアデリーナは小さく震えていた。
ジェラルドは一言、すまないと謝罪の言葉を残して病室を後にした。
看護師にアデリーナの様子を見てくれるように頼み、医師にアデリーナの状態を聞いた。
「転倒時の打撲は軽症です。すぐに回復するでしょうし、後遺症などもないでしょう。ですが、火傷は……あの年の女性には酷なことですが、痕が残ってしまいます」
「そう、ですか……」
「特に腕は重症です。治療方針としては……」
医師の説明に耳を傾けながらも、ジェラルドの頭は先ほどのアデリーナの姿が焼き付いて離れなかった。
ひどく傷つき、悲しみを浮かべた表情にジェラルドの胸が痛む。彼女にあんな顔をさせるつもりはなかった。カールの死により負った傷をルスフォードで癒して欲しかった。
アデリーナの怪我は不幸な事故だ。
わかってはいても、ジェラルドの罪悪感は拭えない。自分がルスフォード行きを提案しなければ、もう少し出発を遅らせていれば、アデリーナを絶望に叩き落とすことはなかったのではないか。
だから、ジェラルドは精一杯のことをした。今の診療所ではこれ以上の治療は期待できないと判断し、用意していたルスフォードの屋敷にアデリーナを移し、名医を呼び寄せ、希少と言われる万能薬も買い求めた。金は惜しまなかった。
けれど、どれだけ手を尽くしてもアデリーナを完治させることはできなかった。
屋敷には日当たりの良い中庭のあるのだが、アデリーナは部屋に引きこもって外出を拒んでいるとメイドから報告を受けている。
アデリーナは鏡を見て落ち込み、ジェラルドに顔を見られて激しくショックを受けた。それほど彼女にとって顔にできた傷は耐えがたいものなのだろう。
せめて顔の火傷だけでも治すことができれば、彼女は前向きになってくれるのではないか。その一心でジェラルドは治療法を探し続けた。
乗り合い馬車での事故から半年。ジェラルドはアデリーナに拒絶されてから一切彼女に会っていない。会わせる顔がないからと言うのもあったが、一番はまたあの怯えた目を向けられるのが怖かったからだ。
その間にアデリーナから婚約解消を求める手紙が届いたが、ジェラルドは返事をしなかった。できなかった。顔を合わせなくても、彼女にかける言葉が思いつかなかった。
アデリーナから届いた手紙を読み終えた時、ジェラルドは呆然とした。
ジェラルドとてカールの葬儀が終わってから婚約解消を考えてはいたが、まだその時ではないと先延ばしにして誤魔化していた。
だが、彼女から申し込まれて一気に現実味を帯びる。
婚約者でなくなれば、アデリーナとの繋がりは絶たれる。今はまだ婚約者という立場で強引にアデリーナの世話をしているが、他人となってしまえば断られるだろう。
そうすれば、彼女は火傷の完治を諦め、一生屋敷にこもって過ごすのかもしれない。
「それは駄目だ……」
アデリーナは温かな日差しの中で笑っているのが一番似合っている。
『ジェラルド・ウルフスタン! 何ぼんやりしてるの!』
遠乗りをした時の彼女の溌剌とした姿が脳裏に甦った。当時は複雑な心境ではあったが、振り返れば幸福な日々だった。
ジェラルドは失った幸せの欠片を拾い集めるように、アデリーナと過ごした思い出を反芻した。彼女が奏でたピアノ、彼女が見せた笑顔、彼女が話した言葉。
『ルスフォードには沼地の魔女がいるのよ』
不意に思い出した言葉にジェラルドは目を見開いた。
ただの言い伝え。子供に読み聞かせるようなおとぎ話。理性では冷静に判断できたが、疲弊した心は縋らずにはいられなかった。
ジェラルドはすぐに行動に移した。会社を信頼できる部下に託し、アデリーナの世話と治療をこのまま続けるように指示し、ルスフォードへと向かった。
正気の沙汰ではないと自嘲しながら。