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16話

 今にも雨が降ってきそうな曇天の日に、アデリーナはウルフスタン邸を訪れた。

  

 休日だったジェラルドはすぐに彼女を出迎え、応接室へと案内する。侍女はお茶を持ってくるとすぐに退室した。執事に人払いを頼んでいるので、ジェラルドが呼ばない限りは誰もここには近づかないだろう。

 

 ジェラルドは淹れたばかりのお茶を一口飲んだ。対面のアデリーナはいつもと違って強張った表情のままうつむいて動かない。

 顔を合わせるのは墓場で頼み事をして以来だったが、彼女の様子を見るに、頼み事を果たしてくれたようだ。

 

「ジェラルド、これ……」

 

 おずおずとアデリーナが小さな包みを差し出す。手のひらに収まるそれの中身は小さな印章だった。

 

「取ってきてくれたのか。ありがとう。……保管場所を見つけるのも大変だっただろう?」

「いいえ、簡単に見つかったわ。鍵はかかってたけど、すぐに開けられた。暗証番号、お母様の誕生日だったから……」

 

 アデリーナは膝に置いた手を握りしめると、ジェラルドを見上げた。

 

「ねぇ、それがあれば、お父様の不正を暴くことができるのよね?」

 

 あの墓参りの日、ジェラルドはカールの書斎から会社の印章をこっそりと持ってきてくれないかと頼んでいた。初めは驚き拒否したアデリーナだったが、カールが汚職に手を染めており、このままでは社員もろとも共倒れになると告げると、戸惑いながらも引き受けてくれた。

 

「ああ。……これで会社は助かる」

 

 アデリーナに印章を盗ませなくても、カールを殺した後に自分で探して奪い取ればいいだけだ。リスクを犯してまでアデリーナに盗らせたのは、コンラッドを利用したカールへの意趣返しに他ならない。

 

 あの男がわざわざコンラッドに印章を盗らせたのは父への嫌がらせだろう。憎い相手の大切な息子を計画に加担させたかったのだ。

 だから、ジェラルドもアデリーナに同じことをした。カールにとってアデリーナはさほど重要な存在ではない。たとえ後でアデリーナが利用されていたと知ってもショックを受けないだろう。それでも、ジェラルドはアデリーナを巻き込むことを選んだ。

 

「そう。……それなら、良かったわ」

 

 微笑むアデリーナの顔には拭いきれない疑義と罪悪感の色がある。

 年端も行かない無邪気なコンラッドとは違い、アデリーナは成人となる十八歳だ。ジェラルドを信じてはいても自分のしたことの意味をわかっている。他に良い道はなかったのかと、何故自分にこのようなことをさせたのかと多少の不信感を抱いている。

 

 だが、そんなことどうでもいいことだった。彼女がジェラルドの意図に気づく前に、カールと共に始末するのだから。

 

「社長が捕まったとしても、横領に関わりないあなたが罪に問われることはないので安心してくれ。何かあっても、俺が対処する」

「ありがとう」

「気疲れしただろう。……久しぶりにのんびりしていかないか? ピアノも先日調律したんだ」 

「ありがたいけど……あまり調子が良くないから、今日は帰るわ。最近、眠れてなくて」

「……そうか。なら、おすすめのものがある」


 ジェラルドはこの日のために用意していた包をアデリーナに渡した。

 中身はチョコだ。就寝前に一粒食べるとよく眠れるからと渡すと、アデリーナは素直に受け取った。

  

「ああ、あと社長にも以前話していたワインが手に入ったから渡しておいてほしい」

 

 アデリーナは土産を手に、ウルフスタン家の馬車に乗り込んだ。

 

「本当に俺が付き添わなくて大丈夫か?」

「ええ。ちょっと疲れてるだけで体調が悪いわけじゃないし。せっかくの休日なんだし、あなたも休んで。……それじゃあ、またね」

 

 ガラガラと音を立てながら遠ざかっていく馬車を見送る。

 アデリーナは今夜、あのチョコを口にするだろう。一緒に持たせたワインはカールが喉から手が出るほど欲しがっていた年代のものだ。あの男は早速寝酒にするに違いない。

 

 計画を実行するなら今夜だ。既に偽造した遺書も用意しているし、リントン邸の侵入経路も把握済みでいつでも動ける用意はしていた。

 

「今日で……すべて、終わらせる」

 

 呟いたジェラルドの頬に、ぽつりと雫が落ちる。見上げた空から次々と雨粒が降り始めた。この様子ではきっと明日まで雨は続くだろう。人目を避けたい犯行にはありがたい天候だ。

 

 喜ぶべき天の采配を、ジェラルドはしばらくその場に立ち尽くして見上げていた。

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