13話
鳥のさえずる声が聞こえる。春を迎えたばかりの風は少し冷たく感じるが、柔らかな陽の光が体を温めてくれる。
咲き始めた花々を横目に、庭に敷かれたタイルを辿っていくと、明るい声が耳に届いた。
『ぼくがお茶をいれるよ!』
『お手伝いするのは良いことだけど、ポットは重いし、熱湯だからちょっと危ないんじゃないか?』
『大丈夫よ。私が傍で見ているから。それにこの子、毎日勉強を頑張っているお兄ちゃんになにかしてあげたいみたいで』
『……そうか。じゃあ、うんと美味しいの淹れてあげよう。兄ちゃんきっと喜ぶぞ』
『うん!』
ガゼボで親子が楽しそうにお茶会の準備をしている。みんな笑顔で、幸せな家族の光景だ。
朗らかで少々過保護な父、時に優しく時に厳しい母、無邪気でやんちゃな弟。そして――
『あっ、兄ちゃん! やっと来た!』
『お勉強、疲れたでしょう? 熱心なのはいいけれど、休む日も作らないとだめよ』
『さあ、座りなさい。エルドレッド』
家族が自分のために用意してくれたお茶会に参加しようと、エルドレッドは胸を弾ませながら一歩足を踏み出した。
――その瞬間、炎がすべてを飲み込んだ。
焦げた臭いがエルドレッドの鼻孔を満たす。轟々と音を立てながら、白亜の屋敷が燃えていく。
膝をついて火事を見ていることしかできないエルドレッドの体は至るところから強い痛みを訴える。その中でも一番激しくエルドレッドを蝕んだのは、胸の痛みだ。
家族を殺され、遺体すら焼かれる惨劇はエルドレッドの心を確実に殺めた。
全てを失った哀れな少年はただ空を仰ぐ。
一面に広がる青に、赤い炎が揺らいでいた。
目覚めは最悪だった。
初夏にも関わらず、体がひどく冷えていてだるい。頭は霞がかかったかのように重いのに、先ほど見た光景は鮮明にジェラルドの脳裏にこびりついている。
「また夢に見たのか……」
ジェラルドを定期的に苛む夢。決して忘れるなと戒めるように過去の記憶を何度も繰り返し見せる。家族との幸福な日々も目を覆いたくなるような地獄も、毎回必ず同じように始まり同じように終わる。目覚めた時のジェラルドの反応もいつも同じで、復讐を固く誓い、日常に戻るのが常だった。
だが、今日は違った。今回この夢を見たのは無意識の警告だとジェラルドにはわかっていたから。
「俺も腑抜けになったものだな」
利用するつもりだったアデリーナに絆されていることは自覚していた。どんな人間であろうとも、憎い男の娘だ。復讐の駒以上の価値はないはずなのに、ジェラルドは彼女に惹かれてしまった。
彼女が評判通りの悪女ならこんなに葛藤することはなかった。もし幸せに生きてきた無邪気な少女であっても気の毒に思いはすれども、それだけだ。
だが、実際のアデリーナはカールの被害者で、周囲の人間を信用せず偽りの姿を演じてきた。少し自分と似たところがあるから、共感して警戒心を緩めてしまったのだろうか。彼女が最初にジェラルドに好意を抱かなかったのも大きいのかもしれない。
「気を引き締めないとな」
長い溜息を吐き、ジェラルドは身を起こした。
街の外れにある墓地は静謐な空気で満ちていた。
墓守により定期的に清掃と修繕が施された道を歩き、ジェラルドは目的の墓の前に立つ。
「いつもより早いけど、会いに来たよ」
膝をついて触れた墓石には亡き弟の名前が刻まれている。ターナー一家の遺体は、友人想いと言われるカールの手配により、ここに埋葬されたのだ。
コンラッドの墓の隣にはターナー家の者たちの墓が三つ並んでいる。父ハロルド、母クラリッサ、そして兄エルドレッド。
すべての墓にはあの焼け跡から発見された遺体が埋葬されている。火元とされる一階の部屋付近で見つかった遺体は損傷が激しく、顔の識別はできなかったが、背格好からエルドレッドだと判断された。
消火して家族を守ろうとした勇敢さと優しさは評判の良いエルドレッドに違いないと人々の美談を求めた憶測もその誤認を後押しした。その遺体は、彼は、下働きのブライアンだというのに。
火事に気付いたブライアンはすぐさま消火活動にあたったが命を落とした。エルドレッドと間違われた挙げ句、彼自身は恩ある主一家を殺害して金品を奪って逃走した悪党として汚名を着せられてしまった。
ブライアンも評判の良い少年だったが、彼は孤児だった。孤児はそれだけで軽んじられ、疑われやすい。まだターナー家に来て日が浅いことも災いし、ブライアンは善人の皮を被った悪鬼だと思われたのだ。エルドレッドひとりだけが逃げ延び、その後も何故か行方をくらませていることよりも、下働きの犯人が悪事を犯して逃げたと考えるほうが自然なのもあるだろう。本当の悪鬼は別にいるというのに。
ブライアンの汚名も必ずそそがなくてはならない。
ジェラルドはコンラッドの墓に目を落とす。どんなに忙しくても月に一度、必ずここを訪れてきた。今月は既に墓参りに来ていたが、決意を新たにするため会いに来たのだ。
彼らは弔うための墓こそあるが、遺体は無惨に焼けている。燃やされた体は魂ごと消失してしまうと考えられているため、彼らの魂もきっと既に存在しないのだろう。
それを思うと、深い悲しみと怒りがこみ上げてくる。カールへの憎悪が増し、なんとしてでも復讐を果たすとの思いが強くなる。
「あともう少しだ。もう少しで、すべてを終わらせられるから」
ジェラルドがこれから成すことを知れば、心優しい彼らは止めるだろう。
だが、彼らはもういない。人の心があったエルドレッドもあの火事で死に、ここにいるのは復讐者であるジェラルドだけだ。
ジェラルドは立ち上がった。己の立場を再確認し、非情に徹しようと誓ったその時だった。
「ジェラルド?」
聞き慣れた声がジェラルドの足を止める。顔を上げると、そこには大きな花束を抱えたアデリーナが立っていた。