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12話

 彼女と共に湖を観察する。風を受け、さざめく水面には特段変わったところはなかった。

 

「魔女の沼って一見普通の湖と変わらないんだけど、来たわよって合図をすると招いてくれるらしいのよ」

 

 具体的な合図がどういうものなのか伝わってはいないが、アデリーナは魔女に呼びかけたり湖に石を投げたりと色々試したらしい。

 

「お花とかお菓子も供えたわね。歌も歌ったことあったかしら」

「呼びかけも捧げ物もだめとなると、ここにあるもので何かするんでしょうか」

「もしかしたら、湖の中にあるものかもしれないわよ」

 

 アデリーナはジェラルドの腕から手を放し、湖を覗き込む。

 

「アデリーナ様。落ちないように気をつけてくださいね。この湖は深くて危ないですから」

「子供じゃないんだから。大丈夫よ、これくら――」

 

 湖に沿うように歩いていたアデリーナは、濡れた葉っぱを踏んでしまったのか、足を滑らせた。華奢な体が湖の方へと傾く。

 

「――アデリーナ!」


 ジェラルドはアデリーナの腕を掴み、力いっぱい引き寄せる。反動でジェラルドはバランスを失い、彼女を強く抱えたまま、後ろへと倒れた。

 

 背中を打ち付けるが、たいしたことはない。ジェラルドはすぐに起き上がると、アデリーナの状態を確認する。

 

「足はくじいてないか? 腕を引っ張ってしまったが、痛みは?」

「……」

「アデリーナ?」

「あ……えっと、足は大丈夫……。腕も、痛くないわ」

「そうか……。なら良かった。……どうした?」

 

 アデリーナは怪我をしていないようだが、どこかうわの空だった。倒れる時にかばったつもりだったが、頭を打ちつけてしまったのだろうかとジェラルドは眉根を寄せる。

 

「ふらふらするようなら、少し休もう。座っているのもきついなら、横になってもいい。俺の膝に頭乗せていいから。ほら」

「だ、大丈夫! 平気だから!」

「だが……」

「びっくりしただけ! あなたの口調が、いつもと違うから……」

「……あ」

 

 ジェラルドはそこでようやく、焦るあまりに敬語がとれていたことに気がついた。

 

「申し訳ありません。動揺して、つい……」

「いいの。気にしてないから。……というより、その口調のほうがいいわ。私だって敬語を使ってないんだし、あなたが敬語使ってるほうがおかしいのよ」

「ですが、アデリーナ様……」

 

 ジェラルドはためらった。良い婚約者を演じるのなら、彼女の要望を聞くべきだろう。だが、ジェラルドにとって敬語はある種の線引だった。

 

 砕けた口調をするのは心を許した相手のみ。あの火事で亡くなった家族達と育ての親だけだ。それ以外の人間とは一定の距離をとる。復讐を果たすために生きている人間には、友人や恋人などは必要ない。大切なものができれば、計画の足を引っ張る可能性があるからだ。

 

 だから、ジェラルドは同僚や部下どころか、使用人にさえ敬語を使う。誰ひとり、例外はいなかった。

 

「名前も。さっきみたいに呼び捨てにして」

 

 その頼みを断るのに、彼女が納得するような理由はすぐに思いついた。

 

 平民といえど、良家の女性と結婚するのだから、籍を入れるまでは適切な距離を保っていたい。そう伝えれば、アデリーナは真面目だと呆れながらも、しぶしぶ納得するだろう。カールに頼まれたからと付け加えれば、不満すら飲み込むのかもしれない。

 

 ため息をつき、口を開いたジェラルドを、アデリーナが見上げる。緑の目が期待にきらめく。まるで新緑のようなまばゆさだ。

 

「なら……あなたも名前で呼んで」

 

 ジェラルドはアデリーナの瞳をまっすぐに見つめ返した。

 

「あなたは、親しくない人間をフルネームで呼んでいる。俺はあなたの婚約者だ。なら、名前で呼んでほしい。いいだろう? ……アデリーナ」

「! ええ! わかったわ、ジェラルド」

 

 アデリーナは顔をほころばせる。無邪気な彼女から目を逸らし、ジェラルドはひとつ咳払いをした。

 

「それと、アデリーナ。前々から思っていたが、あなたには不注意なところがある。今回はたまたま俺が助けられたから良かったものの、間に合わなかったら湖に落ちていたよ。下手したら足をつって溺れていたかもしれないし、初夏とはいえ、ずぶ濡れの状態でいれば風邪をひいてしまう」

「……ごめんなさい。はしゃぎすぎたわ」

 

 本当に反省しているのか、アデリーナはうなだれた。

 

「いや、今度から気をつけてくれればいいんだ」

 

 ジェラルドは立ち上がる。アデリーナに手を差し伸べ立たせると、懐中時計を確認する。予想より大分時間が経っていた。

 

「そろそろ戻ろうか」 

「え、もう帰るの?」

「あまり長居すると屋敷に着くのが日暮れになってしまう」

「……確かに、そうね。さすがに婚約者とのデートでも、遅くに帰ったらお父様はいい顔しないでしょうし」

 

 アデリーナは仕方なさそうに肩をすくめたが、声には落胆の響きがあった。久しぶりの遠乗りをもっと満喫したかったのだろう。

 

「また今度来よう。もっと早い時間に来たら、のんびり出来るから」

「ええ。楽しみにしてるわ! 次はお菓子を持って来たいわね。お父様にバレたら面倒だから、街を出る直前に買って……」

 

 うきうきと次回の計画を立てるアデリーナの話を、ジェラルドはにこやかな表情で聞いている。その裏で、彼の心は冷静に今の状況を観察していた。

 そして、心の中で呟く。

 

――このままではまずいな、と。

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