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11話

 見渡す限りに広がる平原。馬を駆るジェラルドの頬を爽やかな風が撫でる。雲のない空から降り注ぐ陽光は強く、夏の兆しを感じられる。

 

 ジェラルドの願い通り、遠乗りの約束をしていた休日は晴れだった。だが、朝目覚めて天気を確認しても、ジェラルドは安堵できなかった。

 

 あの日から、アデリーナがウルフスタン邸を訪れることがなかったからだ。

 約束をしていたわけではないし、彼女にも用事はあるだろう。けれど、頻繁だった彼女の訪問がぱたりと途絶えると、やはり庭での一件が尾を引いているのだと考えるのが順当だ。

 

 ジェラルドはアデリーナによそよそしい態度をとられることを予想していた。距離が空いてしまったのなら、時間をかけてでも再び距離を縮めればいい。そう覚悟していたのだが――

 

「ジェラルド・ウルフスタン! 何ぼんやりしてるの! 速度が遅くなってるじゃない。もっと飛ばすわよ!」

 

 前を行くアデリーナがジェラルドを振り返る。溌剌とした笑みを浮かべる彼女の瞳には、ジェラルドが危惧していたような警戒や不信の色はなかった。

 

 リントン邸に迎えに行った時から、アデリーナは今までと変わらない親しげな態度を見せた。取り繕っているのかと思ったが、そうではないようだ。

 

「わかりました。ですが、あまり無茶をしないでください」

「ふふ、誰に言ってるのよ! 倍のスピードを出したって平気なんだから」

 

 得意だと豪語するだけあって、アデリーナは騎馬がうまかった。初対面であるはずの馬とも長年の友のように息の合った走りを見せる。

 

 無邪気な姿は微笑ましいが、彼女は夢中になると周りが見えなくなるきらいがある。室内でピアノを弾くのならばそれほど問題はないが、遠乗りでは少しの気の緩みが重大な事故につながる。適度に休憩をとらせなければならないだろう。

 

「アデリーナ様。この先に湖がありますから、そこで休憩をとりましょう」

「そうね。この子も休みたいだろうし……湖まで競争よ!」

 

 楽しそうに駆けていくアデリーナにならい、ジェラルドも手綱を握りしめた。


 

「久々に走ったけど、楽しいわね」

 

 湖に到着し、アデリーナが満足そうに呟く。そのまま地面に座ろうとしたアデリーナを止め、ハンカチを敷く。

 

「どうぞ」

「……あなた、紳士みたいなことするのね」

「その辺の礼儀は父に叩き込まれていますから」

 

 本当は実父の母への接し方を見て育ったから身についただけなのだが。ただの知人にならここまではしないが、婚約者が相手ならして当然のことだろう。

 

 アデリーナは少し恥ずかしそうにしながら座った。エスコートされるのには慣れていても、こういう扱いは初めてだったのかもしれない。

 

「その……湖、綺麗ね……」

 

 恥ずかしさを誤魔化すように、アデリーナはきらめく水面に視線を向ける。そわそわとどこか落ち着かない様子に、ジェラルドの口角が自然に上がる。

 

「ええ。この地方でも透明度が高いことで知られているそうですよ」

「へぇ……。ここまで綺麗なら、沼地の魔女にも会えそうな気がするわね」

「沼地の魔女なのに湖にいるんですか?」

「ええ。沼地の魔女が住んでるのは不思議なところだから」

 

 沼地の魔女は名前の通り沼の側に住んでいるのだが、ただ闇雲に沼を捜索しても決して魔女には出会えない。魔女は擬態を好む。淀んだ沼を美しい湖に見せかけ、人の目を欺くのだ。

 

 それを知っている者が訪れたとしても、認められなければその門戸は開かれない。魔女が願いを聞くにあたう人間だけを沼地へと誘うといわれている。

 

「沼が擬態してるのは澄んだ湖だと言われてるの。だから、昔は湖を探索してたのよ。あの街に来たばかりの頃は、お母様に会いたくて毎日泣いていたから」

「……魔女は人を生き返らせることもできるのですか?」

「それは聞いたことないわ。だけど、過去のつらい出来事を変えたこともあるって聞いたの。だから、もしかしたらって思って。……結局、魔女の家にたどり着くことはできなかったけど、お母様にはもう会えないんだって気持ちの整理ができたわ。毎日出かけたおかげで乗馬もうまくなったし、体も鍛えられたわ」

 

 懐かしむようにアデリーナは遠くを見やる。彼女にとっては魔女の捜索も良い思い出になっているのだろう。

 

「ただ、願い事とは関係なく、一度は魔女に会ってみたかったわ」

「では、私達も探してみましょうか?」

「ここにはいないわよ。沼地の魔女はルスフォードにいるんだから」

「わかりませんよ? 魔女は沼を湖に擬態できる程の力を持っているんですから、場所すらも超越できるのかもしれません。調べてみる価値はありますよ」

 

 冗談めかして言うと、アデリーナは仕方ないわねと楽しそうに笑った。

 ジェラルドはいつものようにエスコートしようと左腕を差し出したが、アデリーナは一瞬戸惑うような表情を見せ、おずおずと右腕に手を添えた。

 

「アデリーナ様……気遣っていただいてありがたいのですが、火傷は十年以上昔の古傷ですから、触れても痛みはありませんよ。今まで一度も痛がったそぶりを見せたことはないでしょう?」

 

 先日と違って、ジェラルドは冷静だった。火傷を見られておらず、あの日の自分の態度を反省したこともあったせいだろう。

 

「あの火傷は単純に醜いから見られたくなかっただけですよ。自分でもあまり見ないようにしていますし。隠れていればなんの問題もないので、気にしないでください」

 

 適当に嘘で誤魔化していたが、最後の言葉は本心から口にした。だからだろうか、アデリーナは安堵の表情を浮かべる。

 

「そう。……でも、私はこっちの方がいいわ。いつもあなたの左側ばかり歩くのはつまらないし」 

「……確かに、たまには位置が違うのも新鮮でいいかもしれませんね」

 

 でしょ? とアデリーナは笑った。

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