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10話

 初夏を間近に控えた庭は様々な花が咲き乱れていた。


「ここの庭はいつ見ても綺麗ね。これだけ手をかけてる家もなかなかないんじゃないかしら。これもセドリック・ウルフスタンの趣味なの?」

「いえ。私の希望で整えています。趣味……かはわかりませんが」


 幸せだった幼少期の象徴である色鮮やかな庭を作ることは、ジェラルドにとって亡き家族への慰霊でもあり、復讐心を燃えたぎらせるための燃焼剤でもあり、心の傷を抉る自傷行為でもあった。


「そうなの。ふふ、結構いいセンスしてるのね」


 楽しそうにアデリーナが笑う。どうやら気に入ったようだ。

 彼女は花ひとつひとつに目を止め、感想や質問をジェラルドに投げかける。生き生きとしたその表情はピアノやお菓子を前にした時のものとよく似ていた。


「花がお好きなら、庭で育ててみたらどうでしょう? リントン邸の庭は広いので、やりがいがあると思いますよ」

「そう、ね。それができたらいいんだけど……」

「社長が良い顔をしませんか?」


 アデリーナはやっぱり気づいてたのねと、気まずそうに笑った。


「お父様は、お母様を連想させるものが嫌いなの。ピアノもお菓子も花も、全部お母様が好きなものだったから、なるべく避けないといけなくて」

「しかし、そこまで気を使う必要もないのでは? 社長は部屋に花を飾りますし、お菓子も食べればストリートミュージシャンの演奏を褒めていたこともありますよ」

「それは問題ないの。ただ、私がピアノとか弾いてるのを嫌がってるのよ。……私はお母様と同じ赤毛だから」


 アデリーナは己の赤い髪を指先でつまみながら呟いた。ジェラルドがその意味を問う前に、気を取り直すように表情を明るくした。


「まあ、ここでいくらでも楽しめるからいいんだけど。いつもありがとう、助かってるわ」


 初めて彼女から礼を言われ、ジェラルドは面食らう。そんなジェラルドを、アデリーナはじろりと睨んだ。


「なによ、失礼ね。私だってお礼を言うときは言うわよ」

「ふふ。すみません、いきなりのことだったので。……アデリーナ様に喜んでいただけているなら、幸いです」



 談笑をしながら庭を巡っていると、ガゼボにたどり着いた。白く塗装されたガゼボにはベンチが置かれている。かつてのターナー邸にも同じようなものがあり、幼少の頃はそこでコンラッドと過ごしたものだ。


 ジェラルドはガゼボに立ち寄ることはあまりなかった。家族との思い出に浸ったり復讐心を強めたりするために庭を散策することは多かったが、この場所はコンラッドとの最後に遊んだ記憶の残る場所だ。


 ここでかくれんぼではなく別の遊びを提案していれば、無邪気なコンラッドが利用されず、カールも印章を手に入れるのに苦戦し、もしかしたら家族の死を避けられたのではないかと考えてしまう。


 印章は家族しか知らない秘密の部屋の金庫に隠してあったという。コンラッドの協力がなければ、カールは隠し部屋を見つけることはできなかっただろう。


 そんな悔恨の念に耐えられないため、どうしても避けてしまっていた。


 今はアデリーナがいるので耐えているが、胸にこみ上げる感情は凄まじい。平静を装おうとジェラルドは辺りを見渡す。


 成長して目線が高くなり、どれほど似せてもあの頃の庭ではないとひと目でわかる。それなのに、あの小さな藪の裏からひょっこりコンラッドが顔を出しそうな気がした。


「どうしたの? 何かあった?」

「あ……いえ、なんでもありません。それより、向こうに行きましょう。ちょうど満開の花がありますから」


 首を傾げるアデリーナに、ジェラルドは慌てて取り繕って先を促した。だが、動揺していたためか、近くの茨に服を引っ掛け、破いてしまった。


「あら、大変。すぐに着替えないと――」


 アデリーナがジェラルドの裂けたシャツを見て固まる。ジェラルドはすぐに右手でシャツを抑えて隠した。


 シャツの裂け目から見えるジェラルドの左腕には、火傷の痕が残っている。あの火事でコンラッドの遺体を取り戻そうとした時に負ったものだ。


「あの……」

「……お見苦しいものを。女性の目にこのような醜いものを晒してしまいました」


 何か言いたそうなアデリーナの言葉を遮り、ジェラルドは突き放すように話す。声も表情も強張っているのはわかっていたが、この火傷のことに触れてほしくはなかった。


 ジェラルドの正体がエルドレッドだと暴かれるのを恐れたのもある。だが、それ以上に嫌悪感が優った。


 アデリーナはカールの娘だ。この傷を負う原因となった仇の身内に心配されるのは、我慢できなかった。


「いえ、私のほうこそ、見ちゃってごめんなさい」


 ジェラルドの明確な拒絶にアデリーナはたじろぎ、目を逸らす。


 いささか感情的になりすぎたと後悔したが、後の祭りだ。気まずさの漂う中では先ほどのように話が盛り上がることもなく、アデリーナは早々に帰ることになった。


 ぎこちなくとも、いつも通りにジェラルドはアデリーナを家まで送った。アデリーナも拒むことなく、素直に馬車に乗った。

 あまり弾まない会話をしていると、やがてリントン邸に到着する。


「ありがとう。……それじゃあ」

「ええ。……今度の休日、明けておいてください。晴れたら遠乗りに行きましょう」

「……わかったわ。楽しみにしてる」


 アデリーナは微笑むと、挨拶をして屋敷に入っていった。それを見届け、ひとり馬車に乗り込んだジェラルドは大きくため息をつく。


 上着を脱ぎ、着替えたシャツをまくる。現れた左腕にある引きつった火傷の痕は痛々しく、彼女が顔色を変えて心配そうな顔をしたのも無理もない。当時は痛みに苦しめられたが、十年以上経過した今は触れても何も感じない。

 だが、ジェラルドにとってこの傷は体以上に心に深く苦しみをもたらすものだ。人目に晒したくはなかった。


 しかし、だからといって火傷を見られた時の自分の反応は良くなかった。せっかくアデリーナが打ち解けてきたのに、再び距離ができたら困る。


 別れ際の笑顔を思い出す。あれはどう見ても愛想笑いだった。

 あんな作り物の笑顔は彼女には似合わない。遠乗りに行けば、心からの笑顔を見せてくれるのだろうか。


「休日、晴れてくれるといいが……」


 ジェラルドのひとりごちる声は、車輪の音にかき消された。

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