四話 古の森
『やっと私達の旅が終わったね』
可憐さと明るさを併せた女性の声が聞こえる。
今までパーティーのリーダーとして一緒に頑張っていた女性の声だ。
強くて優しくて、明るくて時々グウタラになる彼女。ルビーの輝きを持つロングヘアは間違いなく彼女の証。
『ねぇヴォルフ。今までの旅はさ、楽しかったよね?』
リーダーである彼女が男……ヴォルフに声をかけていた。なら彼はパーティーの一員として何か声を返すべきだっただろう。
今は旅の総決算が終わった直後。
もしかしたら何もできず、全員が生きて帰れずに終わったかもしれない旅なのに、偉業を成し遂げたのだ。
偉業を成し遂げた戦友、親友として彼女の質問に答えるべきだった。
ああ、そうだな。とか。
帰るまでが旅だろ? とか。
まだ旅は終わらないさ。とか。
『…………なんで』
けれど彼が正解を言う事はなかった。
ただ涙を流すだけで目の前に迫る差し伸べた彼女の手を見る事しかできなかった。
体が紅い宝石に蝕まれていく彼女を見る事しかできなかった。
『…………ねぇヴォルフ』
彼女の質問は結局返ってくる事はなく、数秒経ってからまた彼女が声をかけてきた。
いつもの力強さは消え、けれど芯の優しさは消える事はなく。ただただヴォルフのこれからを思って一言。
『自分の命を大切にして行動して……ね?』
耳にタコができるほど聞いた言葉。
けれど冒険中に聞いた時より優しく言ったその言葉を最後に。
彼女は紅い宝石となった。
「………………はぁ」
懐かしい悪夢を見ていた。
目が醒めれば馬が走る音が聞こえて、日光を殆ど通さない馬車の中に居た。
特別な鉄で作られた扉の窓から外を見れば移り変わり続ける景色が見え、恐ろしい速さで移動している事が分かる。
しかし己が馬車の揺れではなく悪夢を最後まで見て起きられたのは、ミナーシャが手配した最高級の馬車だからだろう。
通常の馬車の数倍の速さで移動し尚且つ車内は快適。しかも特殊な魔法が掛けられているおかげで交通事故共々に安全も保証されている。
平民では一生乗る事がないだろう高級馬車は性能を遺憾無く発揮されていた。まあ今回はその性能に少し恨みを持ちたくなったが。
「ヴォルフ様、お目覚めになられましたか」
鬱々しい気持ちをよそに、年老いた声が聞こえる。
声の発信源はこの馬車の御者。およそ一メートルしかない身長に全身を隠したマントとフードを羽織った老人だ。
「ええ、はい。エンコウン街まであとどれくらい掛かりますか?」
「約半刻でしょうな。しかしミナーシャ様から頼まれた時は時間が掛かるとは思っていましたが、まさかこうも早く帰れるとは」
時刻はまだ昼前。
霧がかかるほど寒い時間にクエストを頼まれたヴォルフだったが、そこから街を出て目的地に着いてから一時間足らずで用事を済ませていた。
国から禁忌級と指定された紫ハンコ付きのクエストだというのに。
「安全にやれるなら仕事は早い方がいいでしょう」
「禁忌地に向かった人が言う言葉ではありませんね……それはそれとして、なぜエンコウン街に戻るのですか? ギルドならエンコウン街より近い場所がありますが」
「ミナーシャのお願いですから。今回は色々調べたい物がありまして……特にコレです」
ヴォルフが袋から宝石を取り出せば、暗い馬車の中が少しだけ紫色の輝きで明るくなる。発光源は彼が左手で持っている宝珠石だった。
「宝珠石ですか。ですが大聖女の審査で問題ないと判断が出たのでは?」
「この宝珠石自体は問題ありません。ミナーシャが気にしているのはこの中身ですよ。特別な魔力の動きです」
(ふむ、よく見てみればこの宝珠石は一段と濃いな……)
御者は仕事柄、何度か流通している魔法石を見た事があり宝珠石もその例に漏れない。何年も見続けてきた彼は魔力の内包量と魔法石の色の濃さが比例する事を知っている。
ではヴォルフが持つ宝珠石はどれ程のものか?
「その宝珠石。魔力の特別性を抜きにしてもいい値段になりますな」
具体的には二年は遊び放題になれる程。
ただヴォルフは売るつもりはないし、そもそもこれはお金とは全く別の重要な意味を持っている。
「売るつもりはありませんよ。最近コレの魔力が活発になっていますから」
資源としては内包されている魔力が高い方がありがたいが、魔力源がアレでは話は変わってくる。
聖女によって紫色の魔力そのものに安全が保証されていても、それにつながっている魔力の主人が安全になる訳ではない。
幾つもの街を血の海と灰色の瓦礫まみれに変えた魔王ならなおさら。
「………………つまりそう言う事ですか?」
「えぇ。認めたくはありませんがその可能性はあります。あくまで可能性ですが」
「参ったものですな。エンコウン街のように、やっと明るい色に戻った場所が沢山あるというのに」
「………………」
今でこそ繁盛して栄えているエンコウン街だが、終末事変の時は酷い有様だった。凶暴化した魔物や魔族によって逃げ遅れた老人と子供は無惨に殺され、人々の営みを表していた建物も粉々に砕かれていた。
勇者達が来てくれたから、逃げ回れた人は何とか生き残る事ができた。だが街は火の海となりそこにあった思い出も塵と変わってしまったのだ。
エンコウン街は一度、街として完全に死んでいる。
ギルドが建ち売店や宿が建って人々の交流が始まって……そうやって街に生きる風が舞い戻ったのは終末事変後から十年以上経っての事だ。
元気に紫に輝く宝珠石。
嫌になるほど見たその輝きの塊をヴォルフは力強く握った。その時に目を細めたのは決して石の輝きに目が眩んだ訳ではない。
「……杞憂であって欲しいな」
そう小さく嘆いた彼の声は誰にも聞こえる事なく闇へと消えた。
────
緑と紫で彩られている森の中。
そこに二人の女性冒険者がいた。
「うわぁー。すごい輝いていますね!」
「魔力がそれだけ溜まってるんだよ。いいもの手に入れたね。これならギルドからのクエスト評価も高くなるかも」
「本当ですか! やったー!」
太陽の光に当てられて輝く紫色の魔法石を見ながら、リッカは喜んでいた。彼女のもう片方の手を見ればギルドから支給された採石道具があり汚れている。
指名手配された狼を倒してから一時間未満。
彼女達は目的の『古の森跡』に着いていた。既に採掘作業も始めており、彼女達の周りを見れば取り出してある宝珠石が沢山ある。
宝珠石はどこから採ったのか。
それは地中から生えたように存在している岩から採ったのである。
木の隣を見れば岩。岩の隣に木があって木の隣に岩があって。木と岩のペアがそこら中にあるのが『古の森跡』の景色だった。
とまあこんな場所なので森の中は自然の緑と太陽光の反射で輝く宝珠石の紫で彩られていた。
森の中だとボコボコ生えている岩と紫色の宝石があるのは場違いに見えるが仕方がない。今までの鉱石や魔法石の常識と少しズレているからこそ宝珠石は価値があるのだ。
「さてさて感動するのはいいけど、回収作業は怠らないでよ?」
「そうでした、すみません!」
せっせと回収と採掘作業を始めるリッカを見ながらエリスは周りを見渡すが、前に来た時と同じ光景が広がっているだけだった。立派に成長した木に多少見える岩肌とそこから生えている宝珠石が見えるだけ。
魔物もいつも通り少なくて静かなまま。
今いるのは森の入り口付近。
比較的魔物や魔獣が少なく、居たとしてもそこまで脅威になる敵は居ない。冒険初心者にはオススメの場所だ。
逆に言えば奥に行けば行くほど凶暴で強力な魔物が出現する訳だ。例えばここに来る道中で遭遇した狼とか。
(何かあると思ったけど、驚くほど変化ないなー)
そう狼だ。
本来なら古の森跡の中層より奥にいる筈の魔物が、あんな離れた所で遭遇した。
ダンジョンの奥に住んでいる魔物が浅い所までやって来る理由は色々考えられるが、冒険者として一番気にすべき理由はたった一つ。
強大な魔物があの狼を追い払った。
(と思ったんだけどその予兆は全く見られない、か……)
入り口から徒歩五分ぐらいにいる場所で彼女達は作業している。宝珠石がギリギリ手に入るラインに彼女達は立っている訳だが、流石に手前すぎて何の手掛かりも得ていないようだ。
(せめてもっと強い奴と遭遇したら判断できるんだけど)
魔物の縄張りに変化が確認できた場合はギルドに報告する義務が冒険者にはある。が、いかんせん判断基準になる魔物が微妙すぎた。
強さとしてはベテラン冒険者が複数人で警戒して戦えば確実に倒せるレベル。
あくまで賞金首が出ていたのは人間の殺し方を熟知していたから。被害の範囲としては他の賞金首には全く届かないレベルで、単純な強さも同様。
自然界の弱肉強食ピラミッドで言うと真ん中より下である。
(報酬金もぶっちゃけ大した事ないし……群で動くならともかく単体なのも分かりずらいんだよねぇ〜……)
とまあエリスは悩んでいた。
すると森の奥の方から緑色の光の玉が現れる。それはふんわりと動きつつも確実にエリスの方へ向かっていた。
敵ではない。エリスが簡易的に契約した下級クラスの精霊だ。念の為に精霊に森の奥の方へ視察を頼んでいたのだ。
「どうだった……?」
「────」
「……そうか、何も変化なしか」
"古の森跡に変化なし"
妖精の言葉がエリスを決断させる情報になった。
もう少しここに居よう。宝珠石が指定した量まで溜まってから出る事にした。
ただその前に。
「リッカ」
「は、はいっ。何ですか?」
振り返ればピッケルを振り下げている彼女がいる。
腰が引けてたり腕のスナップが効いてなかったり、魔力の流し方など所々指摘できる部分があるがそれは一旦置いておこう。
リッカは汗だくで、指導に徹しているエリスの頬にも一滴の汗が流れている。今の時間は朝と昼の間くらい。太陽の光はこちらへと完全に辿り着いており、寒かった朝と比べて気温も上がってきている。
体調管理も冒険者の立派な仕事の一つだ。
だからこそ道具袋から水が入った皮袋を出してエリスは言う。
「休憩しよっか」
「はいどうぞ。キンキンに冷えてるよ〜」
「ありがとうございます……うわぁー冷たい。もしかしてコレって魔法が使われている物ですか?」
「そうそう。エンコウン街も盛んになったからか、新しく氷の魔法使いが経営してる店が出てたんだよ。そこでこの水筒を買ったわけ」
「やっぱり。昔、村の神父様からエンコウン街の事を聞いたんですが、その時と比べてだいぶ発展しましたね」
周りに魔除けの簡易結界を張り、エリスとリッカは結界内で倒れた木に座っていた。
リッカの手には木製のコップがあり、冷たい水が注がれている。持ち手から感じる程よい冷たさは汗をかいた彼女にとって癒しになっていた。
「でもすごいですね。コップをここで作れるなんて」
「風系統の魔術はこう言う時に便利だからね。リッカも時間があるなら学んでおいた方がいいよ?」
会話しつつ手に持った木の破片にエリスは魔力を流し込む。すると木のかけらが手の平サイズのコップに変化した。
変化する前はガサガサだった木の肌はツルツルに変わり、水を入れても問題なく容器として機能できる。
ただその変わり様は簡単な魔法によって形が変わったと言うには説明しきれない大きな変化だった。
「思ったんですけど、それができたら町の販売店に色々問題が起きるのでは……?」
リッカは関心しつつ懸念点を言うがまさにその通りである。この魔法さえできれば食器やそれ以外の道具もタダで作れるのだ。
ただエリスは問題ないと言う。
「これはあくまで魔法を発動している時限定だよ。魔力を絶てばただの木片に戻るよ」
そう言うと水を飲み干されたエリスの木のコップは、彼女の言う通りに木片と戻った。まるで時が戻ったか変化にリッカの目は驚愕に染まる。
「この魔法は最新の狩人が緊急用にと一般に広げた魔法だからね。あくまで短時間しか効果がないからこんな使い方はしないよ。私は魔力操作の鍛錬ついでにやってるだけだし」
エリスの口から放たれたのは否定の言葉。
持って五、六分保てばいい方。これがこの世界における一般的な基準である。
しかしエリスは続けてこうも言う。
「これを極めた人は物体変化の効果をほぼ永続にできたり、体の一部さえ再現できると言われてるけど」
「えーいや、それは流石にありえなく……はないですね」
言葉だけ聞けば与太話と切り捨てられるが『伝説の旅』を読んだ彼女達には無理な事だった。
伝説として語られる程に無茶苦茶な冒険が描かれているが、同時に過去で実際に起こった事だと理解しているからだ。
「それじゃあ休憩はやめ」
手を叩いたエリスは自然の椅子から立ち上がり前へ歩き出した。彼女の歩く先は森の奥。
「場所を変えるよ。これからは何度もここを訪ねる事になるだろうし、今のうちに少し危ない場所も紹介しないとね」
「エッ、チョットアブナイトコロ?」
「大丈夫だよ。魔物の出現率はこことあんまり変わんない」
古の森跡は文字通り、かつて『古の森』があった場所だ。
『古の森』は三メートルは優に超える木が沢山並んでいて、古代から生き続けた自然の力強さを感じさせる場所だった。
自然があり触れているこの世界でも観光スポットとして成り立つ程には強大な自然の美を誇っていたのだ。
十数年前に勇者パーティーと強大な魔物の戦いが起こるまでは。
魔王が現れその影響で各地の魔物が活発化し、街や村を破壊した。エンコウン街も一緒で強大な一匹の魔物を筆頭に侵略を受けていたのである。
魔力が集まりやすい『古の森』はその魔物達の基地として使われていて、同時に人間達との激戦区になっていた。
「今から行く場所は過去の英雄達が戦った場所。魔物の侵攻をできるだけ妨げるように罠が設置された場所だよ」
まあ多すぎて今でも残ってるけど、と彼女は言いながら歩き続ける。
結局並の冒険者達では魔物達の数を減らせても親玉を倒す事まではできなかった。罠も時間稼ぎがやっと。
闇の魔力に魅入られた魔物達の侵攻がキッパリと消えたのは、勇者パーティーが親玉と激闘を繰り広げ古の森一帯を吹き飛ばした後の事だった。
「ほらほらリッカ行くよー!」
「は、はーい。怖いなぁ……!」
十数年経った今でも戦いが激しかった故に、森の中心地は直径一キロのクレーターがあると言われている。
しかしそれは今の彼女達には関係無い話だった。