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11 浩一への言葉

 浩一くん。泰子さん。ご結婚おめでとうございます。わたくし、ただいまご紹介いただきました、加藤ともうします。本日は僭越ながら友人を代表してご挨拶させていただきます。


 浩一くん。僕は君と出会った日のことをよく覚えています。新入生歓迎会の喧騒から逃れて体育館の外階段で、僕は君とはじめて話した。大好きな曲を聴きながら、君は言いましたね。「ときどきうまく歩けなくなることもあるけれど、この曲を聞くとちょっと前に進もうという気持ちになれる」と。そのときに僕は切実に思ったのです。ああ、この人と友達になりたい、と。


 それ以来、ほんとうに君には仲良くしてもらいました。あの大学での日々を思い出すとき、どの場面を思い浮かべても僕のとなりには君がいた。公園で謎の宴会をしたときも、学校で肝試しをしたときも。僕がふられてへこんでいたときには、その気持ちを慰めるためにクリスマスバイキングに誘ってくれた。クリスマスに男二人は目立ちましたが、あのときのケーキの味は忘れられません。


 君は僕にとって間違いなく親友でした。しかしそんな君のことを、かつて僕は疑った時期があった。覚えていますか。誰もが恐れる報道部への突然の転部。君は興味もなかったはずなのに。僕たちと一緒に文芸サークルにいたいと言ってくれていたのに。その気持ちはもう冷めてしまったのかと、残念に思ったものです。


 しかし真相を知って僕はそう思った自分を恥じたよ。冷めたどころか、君の気持ちは逆だったことを知って。あれはあるひとりの友達の名誉を守るためだったんだね。そして僕を守るためでもあった。僕たちのことを思えばこそ、君はあの行動に出たんだ。そんな君の思慮を思いやることができなかった当時の僕を、僕は叱りつけてやりたい。どうか許してほしい。そして今更だけどありがとうと、言わせてください。君は本当に勇敢で優しく、思慮深く、思いやりがあって……。そんな君と一緒に学生時代を過ごせたことは、僕にとってこの上なく名誉なことでした。


 その勇敢さや優しさや思いやりを、君はきっとこれから一番に奥さんに注いでゆくのでしょう。君は言った。「妻は、親友のような人だよ」と。それを聞いたとき、僕はああ、奥さんはなんて幸せな人なのだろうと思ったのです。僕やほかの友達がもらった何倍もの喜びやぬくもりや思いやりを、浩一くんの生涯で一番の友達であり伴侶である泰子さんは受けることができるのだから。


 そして、たとえうまく歩けなくなるときがあったとしてもきっと、あの水滴の染みわたるような歌を口ずさみながら、君は泰子さんとちょっとずつ前に進みつづけてゆくのでしょう。


 この結婚を祝福せずにはおれません。おふたりにはこれからたくさんの幸せを手にしてほしいと、心から思います。ほんとうにおめでとうございます。

 ありがとうございました。


     〇


 挨拶の文を読んでいる間、ずっと、紙を持つ手が震えていた。広い会場を埋める式の出席者たちの顔も、テーブルに並ぶ料理も、シャンデリアも、なにも見えなかった。そんな余裕はなかった。ただ精一杯だった。震える手から文を書いた紙を落としてしまわないように。声が裏返ってしまわないように。言葉を間違えてしまわないように。


 僕はこう見えて人前に立つのが苦手だ。しゃべるのも上手じゃない。仕事ではそれで何度も失敗してきた。緊張し、パニックになり、うまく説明できなくて相手に失望されてしまう。


 緊張した。とにかく緊張した。式場に入るときから緊張していて、挨拶をはじめてからも緊張していた。そして不安だった。僕のこの新郎新婦に向けた挨拶は、ここに集った人々にそして浩一と泰子さんに喜んでもらえるのか、と。


 上手な文章かどうかはわからない。人様に聞かせることのできる水準かどうかも。少なくともプロには遠く及ばないだろう。しかし、気持ちは込めたつもりだ。浩一に伝えたい、祝福の気持ち。彼と彼を伴侶に選んだ人を、そして彼らを祝って集った人々を喜ばせたい。その気持ちだけに支えられて、震えそうになる足でマイクの前に立ち続けた。たとえ声が震えても、手が震えてもかまわない。うまくしゃべれなくて誰かにあきれられたとしても、僕はこの場に立って、この気持ちを伝えたい。


 挨拶を読み終わっても、まだわずかに腕が震えていた。しかし大きな失敗をすることもなく無事に全文読み終えることができた。それだけで満足だ。安堵に大きく息を吐きながら礼をする。


 静寂が、僕の頭の上に降る。

 ゆっくりと顔をあげる。


 会場全体から大きな拍手が沸き起こる。参列者の笑い声やどよめきと一緒に。その思いもかけない大きさに戸惑いながら、しかし僕は悟る。会場の人々の拍手と笑顔が、僕に教えてくれた。この挨拶は、成功したのだということを。


 この式の主人公はもちろん言うまでもなく新郎新婦だ。僕なんか脇役の脇役だ。しかしその暖かい拍手につつまれて誇らしかった。自分はこのおめでたい日を盛り上げるのに役立つことができたと思えたから。


「いいスピーチをありがとう、ヒロポン」


 挨拶のあと、固い握手を交わしながら、浩一は満面の笑顔でそう言ってくれた。


 席に戻ると、同じテーブルにいた風間が、親指を突き立てる「グッド」のジェスチャーをした。他の同席者も拍手で僕を迎え入れてくれる。

 そんな人々の表情を眺めながら、ある思いがふと僕の胸によぎる。思い上がりかもしれないけれど、僕には、僕の生み出したものには、人をこのように笑顔にさせる力が、ひょっとしたらあるかのもしれない。と。


「なかなかいい挨拶だった。俺の情報提供も役に立ったようで、何よりだよ」

 椅子に座ると、さっそく風間がからんできた。まだ式は中程だというのに、もう酔っぱらっている。

「ところで、この前一緒に話を聞きに来た面白い彼女……元ミスコン六位は今日はどうしたんだ」


 彼の言葉を聞いて、僕は口に運びかけたグラスをおいた。じつは今日、ずっと気になっていたことだ。この結婚式に、浩一のもうひとりの親友である鳴美の姿がない。今まで挨拶のことで頭が一杯で、考えるのを後回しにしていたけど、その緊張から解放された今、やはりそれはおかしいことだと思う。


「僕が見過ごしていただけかと思っていたんだけど、やっぱり来ていないのか」

「ああ。式が始まる前から俺はその辺をうろうろしていたが、彼女の姿は見ていない。席の名簿にも名前はのっていないようだ」


 風間のさしだした、どの席に誰が座るか示した表にも、確かに彼女の名前はなかった。ということは、急用や突然の事故というわけではあるまい。この日は、鳴美は欠席の予定だということだろうか。


 普通に考えればそうなのだろう。最初から彼女は出席できないことが決まっていたのだと思えば、鳴美があんなに僕に挨拶文を書かせたがった理由も説明がつく。式に出られない自分の分まで浩一を祝ってくれということだったのだろう。


 だが、一方で疑問が残る。そういうことならなぜはじめからそういってくれないのか。数週間前、久しぶりに訪れた公園で理由を訊ねたときに、そういえばよかったじゃないか。だけど彼女はあのとき、「うまくいえないんだ」とだけしか言わなかった。とても寂しい笑みを浮かべて。僕がはじめてみたあの哀しげな表情が、ただ式に出席できないということだけを指しているようには、とても思えない。


「ま、まあ、どうしても予定が合わないなんてこともあるさ。二次会から出席なんじゃないか」


 風間がとりなすように言ってくれる。自分がいつのまにか難しい表情になっていることに気づいた僕は、風間に「そうだね、ありがとう」と笑みを向けて、グラスのワインをあおった。


     〇


 結局、二次会にも鳴美は姿を現さなかった。


 帰り道、駅までの道すがら、彼女に電話をかけてみた。思えばいつも連絡は彼女の方からで、僕から彼女にかけるのははじめてのことだった。しかし通じない。コール音が留守電のアナウンスに切り替わるたびに、言い知れぬ不安がつのった。


 四度目の試みが失敗に終わってスマホを鞄にしまった僕は、明日鎌倉を訪ねる決心をかためた。鳴美はずっと実家住まいだったはず。彼女の家に直接いってみよう。そうすれば必ず会えると思うから。


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