いしおしあて
「はい、これにぺーしてくださいねー」
「ルイさん次こっち、あーんしてくださーい」
椅子に座らされ、右と左からかかる声に、ルイスは素直に応えていた。
「わあ! ずたぼろ。口の中が苺のジャムみたいになってますよ!」
「あら、そんなに? そうならそうと言ってよルイ。さっさと帰ったのに」
「……自分では口の中は見えないので」
ルイスが素直に吐き出したものは、白く美しい磁器に入っている。
アウレリア姫はルイスが吐き出したものを見て、あら本当、苺ジャムねと手をかざす。呪を口の中で短くつぶやいて、目の前にいる侍女に器を返した。
「これくらいでどう?」
「あー。……充分です! さすが姫様! 夜までには作成者を割り出しますね」
「ありがと。お願いね? ルイの方はどう?」
「はい、傷は塞がりました!」
「そう、ありがと。痛みはひどい?」
「……ほとんど無いです」
「ダメよ、痛がらないと。 師長が心配できないじゃない」
「……それ要りますか?」
うふふと笑いながらアウレリアは小さな紙に必要な薬を書きつける。側に控えた侍女に手渡した。
「じゃあこれを師長に渡してきてくれる?」
「はい、承りです!……あれ、でもこの内容だと、医師が見れば不審を持たれますよ?」
「構わないわ、陛下に知れたって。説明する手間が省けて楽だもの」
「なるほど! おっしゃる通りです!」
「ルイは少し寝込んでちょうだい」
「……なぜ?」
「弱いところを売り込まないと、師長が今夜よく眠ってしまうじゃない」
「……それで良いと思いますけど」
「ダメよ、一晩中ルイのことを考えなきゃ」
「……何がしたいんですか」
「ルイのことを考えて師長が眠れなくなれば、私が良く眠れるわ!」
「私も楽しい夢が見られます!」
「ハイ!私も同じくです!!」
「…………それは必要ですね」
「でしょう?」
フォルストリア師長に早速手紙を届ける。
もごもごとなかなか切り出さない師長に、有能な侍女は話をした。
肝心な部分は伏せ、それでも匂わせるように、現状を伝える。わざとらしくならないように、ルイスは大丈夫、心配ないと言っていたと付け加えた。
有能な侍女は哀しげに微笑んで見せ、がんばり屋のルイスだから、きっと無理をしているに違いない、と話を締め括った。
すぐに戻ると言い置いて走り去り、医師から薬を受け取って、行く時と同じ速さで戻ってきた師長の様子を、臨場感たっぷり、身振り手振りを加えて伝える。
その報告にアウレリア姫は満足そうに笑って、その夜はぐっすりと、みなとてもよく眠った。
もうすぐ一年が過ぎようとしていた。
今年の冬は珍しく早く訪れ、昨夜から初雪が舞い降り、止まないまま朝が訪れる。
その日は早くから姫君は城都に降りていた。
側室の嗜みとして、寄附をしている。
子どもたちのための施設を訪れていた。
予定されているのだからと、天候は気にかけず出かけた帰り道。
王城まで後少しの場所で事は起こった。
王陛下の元に知らせが届き、命を受けたフォルストリア師長はその場に参じた。
踏み固められた雪で、地面の黒は覆い隠されていたが、その上には夥しい量の血が散っている。
方々に向いた足跡、あちこちに落ちている体の一部とその持ち主。
横倒しになった馬車と、それを引いていた馬。
連れていた部下たちに、足跡を辿るように指示を出す。ひとりとして襲撃者を逃すなと檄を飛ばした。事は国の威信に関わる。
道を少しそれた草むらの中に、男の死体があった。帯飾りに特徴的なものを見付けて、舌打ちと一緒に毟り取る。
遅れて現れた王騎士の到着と交代するように、師団長は城に取って返した。
王執務室には分厚い毛織物を羽織ったアウレリア姫が、長椅子に腰掛けていた。
飲み物の入った器で両手を温め、時折口に運んでいる。
着ている衣装は元からその色なのかと思えるほど血に濡れていた。
羽織りものや芳しいお茶の香りでも、その鉄っぽい血の匂いは覆えない。
手は綺麗になっていたが、それでも顔や髪に散るままに、もう血は乾いていた。
背筋を伸ばし、わずかに怒りを含んだような表情をしていたが、とても落ち着いている様子に見える。
向かいに座っている王陛下に、その時の様子を理路整然と語った。
いつものように護衛はルイスひとりだった。
アウレリア姫は馬車に乗り、ルイスは馭者と並んで馭者台に座っていた。
突然の襲撃にルイスは応戦し、半数ほどに数を減らしたところで馭者がやられ、馬がやられ、馬車が横倒しになった。
残りの半数を退け、姫を助けに馬車へと走る。
助け出そうとそちらに気を取られ、その時背後から襲ってきた者に肩から胸にかけて剣を振り下ろされた。
「傷は塞ぎました……随分血が出ちゃったけど。まぁ腕は落ちずに済んだから……安心してね、フォルストリア師長」
この傷では治療中に魔力切れを起こすと踏んだ姫様は、応急的に処置して侍女に知らせを飛ばした。
転移を得意とする侍女に連れられて、後宮の部屋に戻ったと話す。
そこからは医師や侍女が走り回り、周囲が慌ただしくなった中、悠然と姫様は王の執務室を訪れた。
衣装からルイスの血を滴らせながら。
自らの手で執務室の扉を開き、腹が立って我慢ができないわ、と姫は陛下に美しい笑顔で告げた。
襲撃者の帯飾りを陛下に差し出す。
それを覗き込んでアウレリア姫は鼻で笑った。
「そうだと思った」
帯飾りには紋が刻印されている。
姫の生国、王室の紋章だった。
「嫌になっちゃう。今さらなに?……もしかして最近陛下と仲良しなのが気に食わないのかしら」
ああやだやだと、手に持った器を侍従に返す。
「でもお話したら、少しすっきりしたわ。聞いて下さってありがとうございます、陛下」
「……溜まった借りを返したいがいいか?」
「あら。こんなところで返さないで? もっと別の時に返して下さる?」
「……これは流石に捨て置けない」
「そうかしら?」
「舐められたままでいろと?」
「……ご随意にどうぞ」
「貴女は大人しくしていろ」
「わたくしも舐められたままなんてご免です」
衣装がごわごわするから帰りますと、姫君は後宮へ帰っていった。
太いため息を吐き出して、控えていた文官にいくつか指示を出す。
振り返って師長を視界の中心に据えた。
「お前、しばらく謹慎だリンド」
「は?!」
「なんか今回の責任を取れ」
「なんかとはなんですか!」
「ああ、じゃあ、うるさいから謹慎な」
「承服できません」
「顔が怖いんだよ、顔が」
「……元からこうです」
「……いいから引っ込んどけ。私情を挟まない自信があるか? 明後日の夜会にはアウレリアの身内が来る。そいつらが国から出るまで謹慎だ」
副長と交代なと軽く謹慎を言い渡して、その副長に執務室からぽいと摘み出された。
素直に言うことも聞けず、膨れ上がるばかりの不条理感を、かといってどうすることもできず。
もやもやをどうにか発散させなければと、足は後宮の方に向かった。
もちろんそちらには入れないと分かっているので、その手前の中庭に出る。
前日までは茶色っぽい緑だったのに、今は白から濃淡様々な灰色の景色になっている。
中ほどまで歩いていき、雪の中からいつもルイスが座って休んでいる岩を探して、そこに腰掛けた。
私情を挟まない自信はない。
でも挟んでも仕事をこなす自信はある。
それはそれと、割り切ることも難しくはない。はずだ。
確かに腹は煮えて、辺り構わず暴れてやりたいが、それをするのは筋違いだと分かっている。
自分の想いと、今回の件とを一緒に混ぜて考えてはいけない。
心配と同情も別、それを分けて考えなくては、失礼に当たる。
そこまで考えて、割と冷静でいる自分に力無い笑いをこぼした。
どのくらいその場でぼんやりしていたのか、そろそろ日暮れかと、暗くなってきた空を見上げる。
「師長様、師長様!」
声のする方を見ると、王城と後宮を繋ぐ渡り廊下の窓から、姫君の侍女が手招いていた。
「ココさん?」
「はい、ココさんですよ! 丁度いいところに、師長様! こっちに来てください!」
周りを気にしているふうの侍女の方へ、なんとなく早足で近寄った。
「……ルイス……さんのお加減はどうですか?」
「はい……お辛そうですけど。……まぁ、生きています!」
「……そうですか」
「それでですね、師長様。お願いがあるのですが」
「なんでしょうか?」
「お見舞いに来てください!」
「い……や、それは無理です。分かってますよね」
「もちろんです!」
王とその子ども以外の男性は、後宮に入るべからず。当然ルイスは、後宮内、姫君の部屋の隣にある従者用の部屋に居る。
「無理ですよね」
「コレ内緒の話なんですけど、この建物の裏口って、結構な人が出入りしてるんですよ」
「そうなんですか?」
「はい。ホラ食材とか日用品とか買うのに、商人の方とかよく来るし」
「男が、ですか?」
「そうです。さらに内緒ですけど、そういう意味で、陛下以外の男性もちらほら見かけます」
「そういう意味で、とは」
「それは私の口からはっきりとは」
「……そんな……」
「まぁそういうことなんで、裏側からなら入れますから。ぜひぜひ」
「……いや、仮にそうだとしても、私が行く訳には」
「あらら。ルイスさんが心配ではないのですか?」
「心配です」
「顔を見たいんじゃ?」
「はい、それはもちろん」
「会いたいんですよね?」
「……会いたいです」
「お待ちしています!」
「……い、いや、待っていただきたい」
「っえええ? 男らしくないですよ、師長様ぁ」
「男らしさの問題ではなくてですね」
「このままじゃゆっくり休んで眠れません」
「……もしかして、ルイスさんがそう言っ」
「姫様が!」
「はい?」
「私たち侍女もです!」
「う、うん?」
完全に日が暮れた後の時間を言い残して、侍女はぱたりと窓を閉じた。
いやいやいやいやと声を漏らしながら、とりあえず落ち着こうと、リンドは一度自分の部屋に戻ることにした。