ただしきけいぼ▪︎おまけの小話3▪︎
「……失礼する」
「どうぞ」
息がかかるほどの近さで、リンドとルイスは向かい合っていた。
結い上げていた髪を解くと、女性らしさがぐっと増す。
近しい者にしか見せない姿だと思うと、心臓が一度大きく跳ねる。
緊張を隠しながらそっと両手を出すと、ルイスは目を伏せて俯いた。
両手で包み込んでしまえそうに頭が小さい。
手のひらに熱が伝わってきて、触り過ぎかと力を抜いた。
指の間にするすると髪を滑らせていく。
地肌とは反対に髪は冷んやりと少し湿っているようだった。何度か握っては撫でてを繰り返す。
「手を」
「……はい」
差し出した上に重ねられた手は軽く、とても女性的で、白く華奢だった。それでも貴人のように無傷の美しい手ではなく、少し指が歪み、所々に刀痕が残り、皮膚は固く、武器を握ってきた者の手。
そのまま手首から腕、肩までを撫でながら握る。
張りがあってしなやか、無駄な肉がついていない。
「後ろを向いて下さい」
「……はい」
その背も腰も同じだった。
脚も。日々欠かさず鍛えているのだと分かる。
「……これは?」
屈み込んで足元まで握っていく。
長靴の中に僅かに手応えを感じて、見上げる。
イタズラがばれたようにふと笑いをこぼすと、靴の内側に、するりと指を差し入れた。
出てきたものを見て、リンドも同じように小さく笑いを漏らす。
「靴も脱いで……今と反対の……左だけで構いません」
ルイスは驚いたように少し目を見張る。
続けて口の端の片方を持ち上げると、近くにある椅子の座面に足を乗せた。
かかとの辺り、飾りの帯にうまく隠されていた短い紐を引くと、靴と靴底の間から薄く小さな剣が現れる。
先程、長靴の内から出てきた、太く長い針のような鉄の棒と同様に、卓の上に並べて置いた。
「……よく分かりましたね」
「はったりが効きました」
片膝を突いたまま、にやりと笑って見上げているリンドに、ルイスはくすりと笑って返す。
「これでお終いですか」
「はい、これで全部です」
このほど王陛下に嫁してきた姫君は、隣の小国の末の姫だった。
年若く、随伴してきた者も同じ年頃に見えた。
今朝訪れて、そのまま王宮手前の小さな部屋に通される。
運び込まれた荷は、他の側室方や、その共に比べて格段に少なかった。
それでもやるべきことは同じ。
荷をあらため、個人の持ち物も確認する。
姫君と、侍女たちも同様に。
今まさに続きの部屋で同じことが行われている。
「ルイス レマイベル殿」
「はい」
「こちらにどうぞ」
髪を軽く整え終えるまで、うっかり見惚れてしまう。
はと気を取り直して、声をかける。卓に向かい合わされている椅子を引いて、座るようにと目線で促した。
卓を回り込んで、姫の護衛は素直にその椅子に腰掛けた。
向かい合わせた椅子に自らも回って座る。
「来て早々、申し訳ない。お疲れだろうが、もうしばらく辛抱して下さい」
「辛抱するほどのことでもありません。お気遣いありがとうございます」
「リンド フォルストリアです。近衛師団の長をしております」
「よろしくお願いします、フォルストリア師団長様」
初めて会ったような気がしない。
既知の気分なのは、同じように主人に仕える仲間意識からなのだろうか、とリンドは考えた。
「とてもお若く見えるが、姫君の警護に就かれてどれくらいでしょう」
「警護……は……七、八年ほどになると思います」
「思います、とは?」
「その前……小さなうちから姫様とは一緒に居させていただいているので、いつから、とははっきりと言えません」
「そうでしたか……ずっとお側に」
「そうですね」
「侍女をされているおふたりも」
「はい、同じ頃から」
「なるほど」
「なるほど?」
「いや、とても仲が良さそう……というと失礼ですか」
「いえ、その通り。良くしていただいています」
個別の部屋に分かれて検分すると告げた時、姫君は己の従者に微笑みかけて、じゃあ後でねと軽く手を振ってから、部屋に入っていった。
主人の後ろ姿を見送ってから、目配せをし合い、落ち着いた態度でこちらの意に沿おうとしている。
この他に嫁してきた姫やその従者の中には、失礼だと怒り出す者もいれば、必要以上に怯える者、かなり不安そうにしている者もいた。
それを思えば、ルイスは実に堂々と、余裕があるように見える。
「他の側室がたの護衛は男性ばかりです。後宮には立ち入りできないので、近衛の扱いとして王城側にいますが、ルイス殿は……」
「私は後宮には入れませんか?」
「いいえ、女性ですので入れます」
「では、姫様と一緒に後宮にいても構いませんか?」
「はい……これまで通り、アウレリア様個人の護衛なのは変わりないです。が、扱いとしては近衛と同じになりますので、王城での仕事をしてもらうこともあると思います」
「そうですか……具体的にはどのような?」
「まず我が陛下の出される命は受けてもらいます」
「……はい」
「ああ、まぁそんなに心配しなくても大丈夫です。無茶は言っても、無理は言わないので安心してください」
「……はあ」
「あとは、夜会などで大勢が出入りする際の検分や、衛士の役割ですね、多いのは」
「……ああ、そうですよね。いくら人手があっても足りない」
「おっしゃる通りです」
「というか、逆に良いんでしょうか、私で」
「はい?」
「いえ、こちらの国は女性の騎士はおられないと聞いたので、何かと私の存在は邪魔になるのではないかと思いますけど」
「あぁ。……確かに騎士職は男性だけですが、騎士と名乗れないだけで、同じような立場の女性もおられます」
「あ、そうなんですね」
「名ばかりの騎士より、よほど気骨があって強い方もいらっしゃる」
「それは頼もしい」
「古い慣習の所為で女性は騎士を名乗れないのが、惜しくて仕様がない」
「……私は別に騎士と名乗れなくても構いません」
「そうなんですか」
「心持ち次第です」
「心持ち……ですか」
「私が姫様をお守りすることに、肩書きは重要ではありません」
「……そうですね」
ルイスもその気骨がある類いの人かと、フォルストリアは勝手に口の端が持ち上がっていく。
それなら考え方は、やたらと騎士を名乗りたがる者より、よほど騎士らしいと好ましく思えた。
鍛え方からや、落ち着き具合から、かなりの使い手に思える。
考え方も勇敢な者のそれだ。
「あ……」
「なんですか?」
「いえ、こちらのことです」
「はぁ……」
幼い頃に読んで、心躍らせた英雄物語。
その主人公と、ルイスの名が同じだと気が付いた。家名も似ている。
小さな頃は夢中になって、心酔していたのを思い出して少し恥ずかしい。
妙な親近感の心当たりに、フォルストリア師長は笑いそうになるのをぐっと堪えた。
それなりに多忙であったので、他に任せようと考えていたが、それ以外をあちこちに押し付けたり、前倒しに終わらせたりして、予定を空けた。
理由はいくらでも考え付いたが、一番大きなものを素直に言うとすれば『もっと話がしたい』だった。
王城の案内役は、部下を押し退けて自分がすることにした。
その場にいた部下たちのにやにやと笑っている顔は見ないことにする。
必要以上に時間をかけて、必要以上にくまなく案内して、帰ってきた後もにやにやしていた部下たちに、仕事と訓練を押しつけた。
「……なんだその顔は」
「べっつにー」
「はー……やっとっすねー」
「心配だったんすよねー」
「わかるー。俺もー」
「なー。良かった良かった……」
「……何がだ」
「べっつにー」
声を揃えて答えられ、からかうようににやにやと笑われる。
ルイスに申し訳ない気がして、誤解を生まないように何とは言わずに否定をしておく。
今はまだ、そういうのではない。
今はまだ
……とは?
うぬぬと唸って、頭をもしゃくしゃとかき混ぜる。
周囲の生温かい目もあえて見てないフリをする。
「一目惚れってあるんすねぇ……」
「な……んの話だ」
「なんの話っすかねぇ……」
「勘違いするな!! そんな、見た目だけで判断するなんて、失礼だろう。色々知った上で……ゆっくりと……」
「えー? 何の話っすかぁ?」
「……何でもない!!」
「師長くそ弱ぇぇ……」
「黙れ!」
「そんでくそチョロ……」
全員薙ぎ倒す気で見回しても、その仕様がないモノを見るような目は変わらない。
機嫌が悪い顔をしようが、威圧的な態度を取ろうが、長年の付き合いで慣れているので、新人のように縮み上がったりもしない。
舐めた態度なのは、気の置けないこの場限りのことなので、何も言うことがない。
そんなに分かりやすいか?
そんなに顔や態度に出ていたのか?
というか、そうなのか?
確かに嫌いではないし、というか好みの感じだし、気質も、考え方も、とても良く……。
ん゛ん゛っ?!
「あ、また雪降ってきた」
「今晩も冷えそうだな……」
「ひとりだけ頭の中は春だけどな」
「っ!! ぶふーーっ……!!!」
雪ですね、と眩しそうなものを見る顔だった。
あちらではあまり降らないんですよ、と舞い降りるものを目で追っていた。
かなり積もると話すと、楽しみですとふと笑った。
手を伸ばして雪に触れようとした指先が、薄紅色をしていて、冷えているのかと心配になった。
思わず体の横で自分の手を握りこんだ。
温めてあげたいと思ったのは。
それは駄目だと出そうになった手を気合いで止めたのは。
手の上に乗ってきた雪に、子どものように笑った顔。
胸が押しつぶされたかと思った。
のは。
似たような状況は、他の女性と以前にもあったはずなのに、そのときは何とも感じなかったのは。
彼女でなくてはここまで詳細に思い返そうとも思わないのは。
これは、たぶん。
「ウチのルイが好きなの?」
「……はい?!」
「違うの?」
「え……と、ですね」
「どうなの? はっきりして」
「……それは、その」
「…………まぁ、私にはっきりと言う前にルイにはっきりと言ってからね、まず」
「は……あ、はい」
「いいえ待って、その前に。私の大切な臣下なのよ。師長がルイに相応しいかどうか、私が見極めてからにしてもらうわ!」
「良い判断です、姫様!」
「格好いいです、姫様!」
「ふふん……でしょう? ……わたくしが貴方を認めるまで、わたくしのルイスには無闇に近寄らないで下さるかしら、フォルストリア師長」
「ほど良い障害です、姫様!」
「燃え上がること必至です、姫様!」
「やだ、コレすごく面白いわ!!」
とても良い笑顔のアウレリア姫は、ひとしきり侍女たちとはしゃぎ合う。
こちらに向き直ると、大げさに両手を腰に置いた。
「精々がんばりなさい、フォルストリア師長! 今のところルイは貴方には何の関心もないからね」
「なーーーーんとも、です!」
「これっ…………ぽっちも、です!」
日々接しているから分かることだが、あえて言葉にされるとかなり堪えた。
臓腑が捻られる感じがする。
彼女の関心ごとは常に、今目の前にいる人たちにしか向いていない。
それはいつも顔を見合わせて、とても楽しそうに笑い合う様から常に感じる。
「フォルストリア師長」
「はい」
「ルイを幸せにする自信があるのなら、私とのこの勝負、受けて立つといいわ」
「勝負、ですか」
「真剣なね」
「心得ました」
勝負には、正攻法もあれば、奇策を巡らすこともある。
同時進行で挑もうと心に決めた。
王陛下には頑張っていただいて、さっさとこの将を射落としてもらうことにしよう。
そうでなければどの道いつまでも、彼女の顔は姫君の方を向いたままだ。
こちらには振り向いてもらえない。
「……ああ。楽しいわね、師長」
「そうですか。それは良かった」
「……ルイと同じことを言うのね」
「……気は合うと思っています」
「すごいです、師長様!」
「真っ赤っかです、師長様!」
手強い敵だと思っていた人たちが、この上なく力強い味方だと知るまでに、それから一年ほどの時間が必要だった。
乙女脳リンド始動!! でした。
ごらんの通り、アウレリア姫が初めて王城にやって来たころのお話。
次話が最後となります!! では、どうぞ!!