さくきこのさき
異国の姫が輿入れしてきたのは、秋も深まりをみせた頃だった。
もう数日で霜も降ろうかというほど朝晩は冷える。冬の支度もそろそろ本腰を入れようと、城内はそちらの方に気を取られていた。
嫁してくる姫を歓迎する様相はない。
上等な出迎えはなく、おおよそ貴人を迎えているとも言えない雰囲気だった。
栄えてはいるが、小国のこと。
あらゆる手を使い、うまく金を撒いて成り上がったと、周辺の国はそう揶揄していた。
和合に応じたのは大陸一の領土を誇る強国の王。
『数人いる姫のうち、中でも取り分け美しいと評判の、末の姫を、王の方から指名された』
瞬く間に広がったそれは、小国側が流した噂。
実際は『姫のうちの、中でも取り分け厄介者を、持参金と共に押し付けた』というのが大方の見立てだった。
迎えた側の者たちもそう考えていた。
掃いて捨てるほどいる側室のうちのひとり。
その中にあって若い姫は飼い殺されるだろうと、城中のものが呆れたようにささやき合う。
我が王にも困ったものだ。
もの好きにも程がある、いくらなんでも、あれはない。
重臣たちはそうと分かりやすく王に進言もした。
重臣たちのいうあれというのは、小国の我が国に対する姿勢のことだった。
姫の輿入れの行列はささやかで、葬列の方がまだ賑やかだと思えた。
夜の闇を纏って国を渡り、朝靄に紛れるように城を訪れる。
下級の貴族でももう少しましだと思えるような小さく質素な馬車に乗り、まだ夜も明けきらぬ時間に王城に参じた。
紺にも灰色にも見える靄をかき分けて現れた列は、生者の国から来たとは思えない、異様な風情を漂わせていた。
ひとつも輿入れの華々しい雰囲気はなく、少ないと思っていた侍女や護衛、馬車すらも、城に着いた途端に引き返す。
城門の前に残ったのは、姫と侍女ふたり、そして護衛。
四人はそのまま後宮の隅に案内されて、そのまま静かにひと冬を越した。
王城と後宮の間には、広場があった。
城の奥まった場所に位置するそこは、王の私室に近く、側室たちのいる後宮を繋ぐ場所。
侵入者を許す訳にはいかないので、四方が建物に囲まれた中庭になっている。
囲まれているとはいえ、周囲の建物の背は低く、広さもあるので、陽の光も風も、隅の方までよく届いた。
緑の絨毯が、一応は見栄えよく刈り込まれただけの、庭というには殺風景な場所。
本当にただの広いだけの場所なので、誰も足を止めない。そこを眺めたり、休めるような四阿も、もちろんない。
王の私室に近い場所から、後宮に繋がる通路が長く渡っているだけの、ぽかりと忘れられたような空間だった。
ただでさえ王城の奥深く、その更に奥は後宮と、そもそも限られた者しか入れない。
要するにその場所に人が来ることがほとんどない。
ちょうどいい大きさの岩に腰掛けて、肩や背から力を抜いて、陽の光を浴びる。
ひと時ばかりと気を抜いているところに、王城側の建物から声がかかった。
「ルイス殿、申し訳ない」
丸いのにはきはきとした声のする方に顔を向ける。
生真面目に敬称を付けている相手に頷いて、立ち上がり、そちらに向かって歩こうとした。
「いや、そのまま」
声を掛けてきたのは、王の近衛師団の長、フォルストリア師長。
側に控えた部下から紙を受け取ると、あろうことか窓枠を飛び越えて、中庭に入り込む。
王とその子ども以外の男性が入ることは許されない後宮だが、中庭はまだその手前、人が人ならお咎めを受けそうな、非常に曖昧で微妙な場所だった。
駆け寄ってきた師長は、厳ついくせに人懐っこい顔で笑っている。
「邪魔をして申し訳ない」
「いえ、ぼんやりしていただけですから」
ルイスは見たら分かるだろうといった風情で、少しだけ肩をすくめる。
「なにかありますか?」
「ええ、次の夜会の警護体制と……こちらが招待客の名簿です」
「ああ、わざわざありがとうございます。今度から、言っていただければ、取りに伺いますから」
「いえ、お見かけしたついでです」
師長から手渡された図面や、名簿に並ぶ名前を見ていた紙の上に、師長の頭の影が落ちる。
ルイスは顔を上げて、師長の目線を追った。
「双剣使いが珍しいですか?」
「あ。いや……居ないことはないが……まあ、そうですね。ルイス殿のそれは、珍しい……失礼、不躾に」
「失礼ではありませんよ」
「稽古をなさっていたんでしょう?」
「……そうですね」
「是非そのうち手合わせを」
「私が? 師長と?」
「ええ、是非」
上司を呼ぶ声に短く応えて、フォルストリア師団長は、ではとルイスに軽く挨拶をして戻っていく。
王城に窓から侵入すると、呆れた顔の部下にいたずら小僧のように笑って、丁寧に窓を閉じた。
「目敏いですね」
「……たまたまだ」
「ていうか、見過ぎです」
「……そうか?」
「すごくきれいですもんね、ルイス殿」
うっかり気安く『さん』付けで呼んだ奴に、自然石より硬い拳骨が飛んできた話は、まだ記憶に新しい。
自分にはそんな礫が当たらないように、殿の辺りを強調しておいた。
さっきまでの人懐っこさは抜けて、今は厳ついしかない顔が部下を見下ろしている。
ちなみに色は真っ赤だ。
「……その顔やめてもらって良いですか? 面白すぎる」
「その不埒な考えをやめるんならな」
「不埒て……これは十人いたら八人くらいは普通に抱く感想ですよ。師長が不埒なこと考えてるから、不埒に取れるんじゃないですか?」
「…………そ? んなことは……ない」
「わっかりやすーい」
「何がだ」
「心配しなくても、誰も師長の邪魔はしませんて」
「何の話だ」
「……それで執務室なんて入ったら、すぐに陛下から爆笑がいただけますよ」
「……ほっとけよ」
「俺の甥っ子でももう少し上手にごまかしますよ?」
冬の訪れと一緒にやって来た、王の新しい側室には、ふたりの侍女と、護衛があった。
ルイスという名の姫の護衛は、フォルストリア師団長に、厳しい冬をすっ飛ばして逸早く春を運んだ。
主に頭の中に。
ルイスは師長から受け取った紙を、手の中にくるくると巻いて、中庭を後にした。
入り口に立つ後宮の衛兵に見下ろされ、無言のまま通り過ぎる。
後宮はひとつの大きな建物であった。
側室ごとに部屋を割り当てられているが、その半分は空いている。とはいっても、今代の王が抱えているのは、九人なのだから、決して少ない数ではない。
そもそも後宮が大きすぎる。
いつの時代かは知れないが、よほどの好色家か、よほど後継に困った王がいたのだろう。
ルイスは建物の奥へと歩みを進める。
建物内の通路は閑散として、誰とも出会うことはない。
そもそもこんな午前中に、元気いっぱい活動する側室なんていない。
彼女たちが動き出すのは、主に夜の間だ。
我が主人を除いては。
「あらルイ、今日は早く切り上げたの?」
「あー。そうですね」
「その手に持っているのはなあに?」
「……どうぞ」
侍女たちと髪を結って遊んでいた姫様は、あちこちにリボンや飾りをつけた奇抜な髪型で、ルイスの持っていたものを受け取り、目を通す。
書面を鼻唄混じりで眺めながら、姫様はくるくると巻いていた髪を、持て余している魔力で元の真っ直ぐな髪に戻していく。
ルイスは侍女に手を引かれて、主人の向かい側の椅子に座らされる。自分できゅっと結ってあった髪が、侍女たちに解かれていくに任せていた。
今度はルイスの真っ直ぐな髪をくるくるにしようと侍女ふたりは左右に並び立つ。
「……ふーん……なかなかな面子が揃うのね、さすが大国」
この夏に十八を迎える主人は、稚くぺろりと唇を舐めた。
仕草は可愛らしいが、目つきは老獪な策士のようで、主人の主人らしさに、ルイスはふと今までの表情を緩める。
「お出かけになりますか?」
「うーん、そうねぇ……こことここに挨拶だけして、すぐに引き上げる感じでいいかな」
「はい。その予定で」
「では姫様! ただ今、絶賛 製作中の、夕闇色の衣装にいたしますか?!」
「それともふわふわの愛らしい衣装を、これからお作りいたしましょうか?!」
かくんと可愛らしく頭を傾けると、主人は頬に人差し指を当てる。
「きりりとした可愛らしいものがいいな」
「は!……似合いすぎる!!」
「承りです! 姫様!!」
「ルイもお揃いのを用意してね?」
当たり前ですと声を揃える侍女たちは、全くの他人同士なのに、ひとりがふたりに分かれたような一心同体ぶりを見せる。
対して主人である姫君とルイスは、姉妹のように見目が似ていた。
もちろん血の繋がりはない。
三つ年上のルイスは、そもそもが似ているからと、姫の側付きになった。
姫様は可愛らしく温かみがある風貌のまま成長したのに比べて、ルイスはすらりと背が伸びてしまい、顔立ちも凛々しく涼し気。
幼い頃は身代わりの役をこなしていたが、いよいよ遠目からでも違いが分かるようになってからは、護衛に専念することになった。
生国から見放され、厄介払いされた末の姫と、そう周囲からは見られている。
その実、見放したのはこちらの方。
厄介な者たちを、こちらから切り捨て、望んでこの大国にやってきた。
侍従や護衛を付けてもらえなかったのではなく、本当に信用のおける者しか残さなかっただけのこと。
「ルイさん、この髪型はイケます!」
「……どこへ?」
「あの方の腕の中へ!」
「…………だれ?」
「あら、ルイ。フォルストリア師長はとても良い方だと思うけど?」
「ああ……繋がっておきますか?」
「ふふ……今はいいわ。不測の時にはお願いね?」
「はい」
「ああん! 違いますルイさん!!」
「もっとこう……嬉し恥ずかし的な気持ちで!」
「…………なぜ?」
ぐねぐね身悶えている侍女たちに、ルイスは不可解丸出しの目を向ける。
年ごろの乙女とはかけ離れた人生を送ってきた乙女たちは、形だけとは分かっていても、笑い合いながら乙女の素振りを見せる。