第8話「意地」
(諦めろ一条! これはもう俺の作品だ!)
木和は一条を見下し、卑劣な笑みを浮かべる。
(…………!!)
「どうした? 一条」
青い顔をした一条を見て、柳部長は声を掛けた。
「……い、いえ…………」
一条は口を紡いだ。
(そうさ。お前が何と言おうと、これがお前の作品であるという証拠は無い!)
木和の口元が拉げる。その横で悔しさに顔を歪ませる一条を、柳は黙って見ていた。
「あ、あの! それ、一条くんの作品です!」
(! 岡内…………!!)
一条の傍で執筆を見ていた岡内が、思わず声を上げた。木和は非難の目を向ける。
「? 何の話だ?」
「とぼけないでよ! それ一条くんが書いてた作品でしょうが! あんた、パクったんでしょ!!」
(岡内さん……!)
「ハァ?」
木和は馬鹿馬鹿しいといった表情で、岡内を笑い飛ばした。
「言い掛かりは止せよ。これは正真正銘俺の作品だぜ」
「木和……!」
岡内は木和を睨みつけた。
「ふむ」二人のやり取りを遮る様に、柳は原稿を捲る。「どういう経緯かは知らんが、確かな証拠も無く盗作扱いするのは褒められないな」
「部長! でも、これは一条くんが書いていた作品で……」
「だから、それでは証拠にならん。少なくとも、この原稿の文章も木和の字だしな」
柳は原稿をパラパラと捲りながら、過去の木和の原稿と字体を見比べる。
「そんな…………」
岡内は落ち込み、そこで言葉を詰まらせた。
「ホラな!」木和は声を張り上げた。「分かったか! これは正真正銘、俺の作品なんだよ!! くだらねえ妄想もいい加減にしろ!」
「木和…………」
「冗談じゃねえぜ!! 俺がどんな良作を書いても、天才の血が通ってなけりゃ盗作扱いか!? 天才の息子にしかコンクールで入賞する資格はねえってのか!!?」
木和は周囲にも聞こえる様に、わざと大きな声で叫ぶ。それは図書室全体に響き渡り、心の中で一条の才能を妬む者達を味方に引き寄せた。
「そ、そうは言ってないけど……」
岡内は言葉を失う。
「一条!!」木和は一条に言葉を投げ掛けた。「……お前が本当に天才の血筋だってんなら、書いてみろよ。これ以上の作品を」
(…………!!)
「そんな! もう締切りまでほとんど時間なんて無いのよ!?」
「書けるさ。“天才”なんだ」
木和はバカにした様に笑いながら一条を見下ろす。柳はただ黙って、その様子を見ていた。
(…………!)
一条は、自分の席へと駆け出した。
「! 一条!!」
白紙の原稿用紙を並べ、シャープペンシルを右手に握る。
(…………父さん、僕は……)
一条は、目を閉じた。そして大きく深呼吸してから、鋭い目つきで原稿を睨む。
(僕は…………!)
右手のシャープペンシルが、原稿の上を走り出す。
「ちょっと、一条!!」
岡内は後ろから一条の左肩を掴んだ。
「やめなさいよ! 意地になってそんな事したって、いくらなんでも今から新しく書き直すなんて無理だわ! それより私がなんとか説明するから、それまで――」
「すいません。書かせて下さい」
一条は後ろを振り返る事無く、右腕を動かし続けた。
「い、一条…………」
岡内は、一条の左肩から手を離した。
(……安心しろ春原。僕はこんな事で逃げはしない!)
十分後、一条は原稿の一ページ目を書き上げた。
「何!?」
(……フン、自棄になったか)
木和はその様子を遠目に眺め、馬鹿馬鹿しいと笑う。
(…………。まあ、良いわ……。どれだけ無理でも、あれだけ言われてただ引き下がる訳にはいかないものね……。本来の作品は越えられなくても、意地でも作品を書き上げるつもりね)
その一条のスピードは、岡内から見ても最早投げやりになったとした思えなかった。しかし一条は周囲の目を気にする事無く、ただただ右手を動かし続ける。
(……好きなようにやらせよう。私達三年が卒業すれば自由になる……。それまで、一回限りの辛抱よ)
岡内は諦めた様に優しく微笑み、自分の席に着く。
――その時、一人の女生徒がその原稿を拾い上げた。
「…………」
その女子部員は一ページ目の原稿に目を通すと、驚いた様に慌てて柳の元へとその原稿を持って行った。柳はその原稿を受け取ると、柳もまた、驚いた様に息を呑んだ。
(…………?)
「ちょっと、どうしたのよ」
岡内は慌てて柳の元へと駆け寄る。
「……同じだ……」
「え?」
「この原稿、木和が提出した『右足の軌跡』と同じだ」
「え……!?」
岡内は思わず声を張り上げた。
「ちょ……ちょっと、それって一体……」
岡内は奪い取る様に柳から原稿を取り上げ、その文章に目を通す。
「おいおいおい!!」木和は立ち上がり、一条に向かって叫ぶ。「人の事パクリだなんだ言っといて、自分も人の作品の真似するのかよ!? だが残念ながら、俺はもう提出しちまったから――」
「木和!!」
柳は木和の言葉を遮った。
「あ?」
「――少し、黙れ」
「…………!?」
「部長!! 二枚目、書き上がりました」
「すぐに持って来い!!」
「は、はい!」
その女子部員は急いで駆け寄る。柳はそれを受け取ると、顔を青くしながら目を通した。
「お、おい、一体何が――」
「同じだ……」
柳は一条の原稿を木和の原稿と見比べ、呆然とする。
「……だ、だから、一条の野郎が俺の作品をパクリやがったって……」
「お前……書けるのか? 人の作品にちょっと目を通しただけで、一文一段落一字一句、何一つ違う事の無い、全く『同じ』原稿を……!」
――――あ?
木和の頬を、汗が伝う。
足先から頭へと、ゆっくりと少しずつ、各部位が緊張で固まってゆく。
その固まった首を、少しずつ少しずつ、ゆっくりと捻り、恐る恐る一条に目を向ける。
一条の右手は止まる事無く、原稿用紙の上でシャープペンシルが走り続けていた。
――木和の汗は頬を滑り、ポトリと一つ床に落ちた。