第2話「才能の隆起」
栗山さんに漫画の作画を担当してもらう約束をとりつけた翌日。僕は文芸部の机に向かっていた。
「なんか、今日春原の奴気合い入ってるね」
「だな」
文芸部部長の杉長さんと、三年女子の持岡さんがはっきりと分かるくらい、この日の僕は燃えていた。
――それもその筈。一応は約束してくれたとは言え、栗山さんは僕の作品を読んだ事など無い。一度読んでもらってみて、もしもそれが酷ければ栗山さんはあっさりと作画を降りるだろう。
第2話「才能の隆起」
激しく滑るシャープペンシル、真っ黒になった右手。僕は、凄いペースで原稿用紙を埋めていく。
「お……おい春原、少し落ち着けよ」
「はい。ありがとうございます」
杉長さんの声も、耳には入っても頭にまでは届かない。僕はシャーペンの動きを緩める事は無かった。
「……聞こえてないな」
「みたいね」
――今僕が書いているのは、“週間交際”という恋愛小説。
内気で弱気な男子高校生、山内透はかれこれ五年以上も一人の先輩、砂本美雪に恋心を抱いている。
とある冬の日、大学受験を控えた美雪に“最後のチャンス”として告白する透だが、過去に恋愛事で心に傷を負った事のある先輩の答えは“私にとって、付き合うというのは重大なこと。もし仮にこの場で私が君に一目惚れしたとしても、お互いどんな人間か分からない内から付き合うという事は絶対にあり得ません”。
これで、長年の片想いが終わる。美雪は大学受験に専念し、透は新たな恋を見つけ出す。
『それは絶対に嫌だ』――。透の出した答えは、“暫く普通の先輩後輩として付き合って下さい。その上で、僕がどんな人か判断して下さい”。内気な透が、一生分の勇気を振り絞って出した条件だ。
しかし、大学受験を控えている美雪はそこまで時間に余裕がある訳ではない。そこで美雪の出した条件が、“一週間、試しに彼女になりましょう。その上で、本当に付き合うかどうか考えます”。
こうして、透と美雪の一週間限定交際が始まった。
――という、二人の一週間を描く小説。
程よく文芸向きで、程よくライト。僕は正直、少しこの作品に手応えを感じていた。
「……持岡お前、春原の小説読んだ事あるか?」
「何度か」
「どう思う」
「……う〜ん。もうひとつ」
持岡は人差し指を唇に当てた。
「俺もそう思う。恐らくそれなりにセンスはあるんだろうが、いかんせん全体的に荒すぎる。展開が単調になってしまいがちだし、何より文法的な粗さがまだまだ目立つ。――まあ文章力については、奴の集中力の無さが原因ぽいが…………」
杉長は物惜しそうに溜息をついた。
「できた!!」
僕は完成原稿を掲げた。それとほぼ同時に、斜め前に座っていた部員、前川も椅子を立つ。
「僕も出来ました」
「お。見せてみろ」
杉長さんが右手で手招きし、僕と前川は杉長さんの所へと原稿を持って行く。
「お疲れ」
僕らは杉長さんに原稿を手渡すと、元の席へと戻る。
「………………」
(……正直、これが一番キツイんだよなあ〜)
杉長さんに作品を読まれるのは、とても緊張する。眼鏡の奥の鋭い瞳、今にも罵声が飛んできそうな口元。僕は、手に汗を握りながら杉長さんの評価を待った。
――五分程して、杉長さんが片方の原稿を掲げる。
「おい春原〜。お前これ、前言った事全然直ってねーじゃねーか。文章は荒いし、話の作りも甘すぎる」
「え、ええ?」
僕は、思わず立ち上がった。
(…………そんな。今回は自信があったのに……)
「お前はまだまだだな」
杉長さんは続きのページに目を通しながらそう言った。恐らくまだ途中なのだろう。にも関わらずこんな事を言われるというのは、序盤を読んだだけで相当酷い出来だという事だ。
「………………」
一気に執筆した疲れと、自分なりに自信のあった作品を悪く言われたショックで僕は鞄を持ち上げた。
「すいません、今日はとりあえず上がります」
「おう。今回はお前気合い入ってたからな。帰って休め。まあ見所が無い訳でもないし、次回また頑張れ。とりあえずちゃんとした評価は明日話すから」
「はい」
僕は杉長さんの目を見ずに返事をして、文芸部を出た。
「は〜……、正直ショック」
家。僕はベッドに体を投げた。
(……あの栗山さんに作画をしてもらうんだから、僕が足を引っ張る訳にはいかない……。栗山さん自身も、漫画家になりたいんだ)
「………………」
気が付けば、右手に力が入っていた。
「くそーっ!! とにかく書くのみ!! 打倒杉長部長!!」
僕はベッドから飛び降り、机に向かった。
***
「……これ、凄く良いんじゃない?」
夜七時、文芸部室。持岡は感心した様に唸った。
「おお、前川の作品か。あいつも最近イマイチだと思ってたが、今回は頑張ったな。今までと比べて格段に良くなってる」
杉長も嬉しそうに原稿を眺める。
「いや、これ良いわよ……本当に。私も負けてらんないわ」
「まったくその通りだぞ。お前、前回の作品展の結果酷かったからな」
「う……」
持川は気まずそうに視線を逸らした。
「お疲れでーす」
前川が杉長の前を通り、部室から出ようとする。
「お、前川待て。これ読んだから、持って帰れ」
「あっ、ありがとうございます」
「凄く良かったぞ。この調子で頑張れ。お前も、詳しい話や推敲は明日するからこの原稿また明日持ってこいよ」
そう言って杉長は原稿を手渡した。
「はい」
「あ……でもお前、なんか字下手になったか?」
「はい?」
前川の身に覚えは無く、聞き返した。
「いや……なんか今回随分字が荒れてたからな。まあ、どうせ後で清書するから良いんだが」
「はあ……」
前川は困った様に原稿用紙をパラパラと捲った。
「あ」
「どうした?」
「これ……多分春原の原稿ですよ。部長に渡す時に入れ替わったんじゃないですか?」
杉長と持岡は、お互いの目を見合った。
「それにしても……アイツ今回そんなに良かったんですか? 俺も読んでみたいんで、今日これ家に持って帰っても良いですか?」
――杉長と持岡は、原稿を渡されてからの会話や出来事を何度も何度も振り返っていた。