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6話

 


 深い森を抜けると、そこから先は世界が一変した。

 石造りの街道が、まっすぐ町へと伸びている。その奥から、和やかな人の賑わう音が響いてきていた。


「さてと、イーディス。ここが、ここらで最も栄えている市――オークバレーの市だ」


 ウォルターはようやく口を開き、どこか得意げに手を広げた。


「これが、市ですか」 


 イーディスは、ここに輸送される最中、ぼんやりと眺めた地図を思い出した。

 オークバレーは王国でも辺境だが、隣国との国境もほど近く、貿易や流通における要所――とまではいかないが、それに準じた土地だ。東西南北に伸びる街道が交わる道沿いに、五十から七十の店が軒を連ねている。ただ、決して大きな市ではない。街道に並ぶのは石積みの壁に、木の板で造られた屋根をのせた粗末な家ばかりだ。今まで訪れた市の中でも小さく、こじんまりした印象を受ける。

 しかし、それでも、イーディスは市から今までにない熱気を感じていた。思わず


「……凄い」


 と、呟いてしまうほどだった。

 この一年――旅の最中、いろいろな町を訪れた。

 大街道の傍にある宿場町、花の栽培が盛んな町、異国人が多く集まる交易の町、魔族の国との国境の境にあった最果ての町――。

 さまざま訪れてきたが、どの町よりも活気に溢れていたのだ。


「なんだ、イーディス? おまえ、市が初めてか?」

「そんなことないですけど……」


 これでも、貧民街とはいえ、王都生まれの王都育ちだ。

 人の賑わいには慣れている。あの王都特有の華やかな活気とは異なり、和やかな活気で満ちている。いままで数々の町や市を訪れてきたのに、これはいったい何故なのだろうか。


「なんだよ、はっきり答えろ」

「ここまで明るい市は初めてです」

「そうだろ、そうだろ。なにせ、ここらで一番栄えている市だからな」


 ウォルターは胸を張り、自慢げに言った。

 彼の言う通り、市に足を踏み入れると、さらに肌で活気を感じる。店先に立つ売り子の顔は笑顔で、道行く人にも浮かない顔など見当たらない。それこそ、王都の市にも負けない明るさだ。店先に広げられた露店には、よく王国で食べる主食の穀物や野菜・果物類、肉類の他、あまり見たことのない異国風味の果実やら香辛料やらが売られていた。交易地なだけあり、旅人や商人も多く、燻製肉や毛皮のマントからよく研がれたナイフやら短弓まで売られている。

 ある意味、物珍しさは王都以上かもしれない。


「よし、イーディス! あっちに行くぞ!」


 しかし、のんびり露店を見る余裕はなかった。

 ウォルターがイーディスの腕をつかみ、どこかへ向かって走り出したからである。それも、通りから外れた裏路地に向かって。


「ちょ、ウォルターさん!」

「この先にさ、上手い飯屋があるんだよ」


 イーディスの胸の内に、嫌な予感が持ち上がる。

 もしやこの男、飯屋と偽り、娼館かどこかへ連れて行き、そのまま自分を売り飛ばす気なのではないだろうか。

 孤児院の先輩孤児たちから、徹底して教え込まれた言葉がある。

 それは【知らない人の親切には、必ず裏がある】という言葉だ。

 神官たちは「この世に悪人はいません。悪は魔族だけです」と謳っていたが、それは間違いだ。

 事実、男にほいほいとついていって、そのまま売り飛ばされ、帰ってこなかった子がいたのを思い出す。空腹には耐えきれず、売られると分かっていながらも「それで飯にありつけるのなら」と、ついていった孤児もいたが、それは少数派だった。大抵は人の良い顔に騙され、そのまま売り飛ばされ、死ぬまで奴隷としてこき使われる。

 だいたい、聖女も奴隷と似たり寄ったりな境遇だったが……それでも、聖女という一定の地位がある以上、奴隷ものではない。

 だが、奴隷になったら、そのわずかに残った地位も剥奪され、本当に自由がなくなる。

 一生、見知らぬ人に仕え、惨めに死んでいくのだ。


「お、ここだここ!」


 裏路地のさらに奥に、鈴付きの木戸があった。

 随分と古めかしく、一見さんお断りのような店である。木戸の前には、薄汚れた表札が揺れている。イーディスは頭をフルに回転させ、そこに刻まれた文字を必死に読み取った。


「眠る――山猫亭?」

「おう、ここらじゃ一番うまい飯が出る店だ」

「その下に、昼休憩中と書かれているんですけど……」

「気にするな気にするな。なんとかなるって」


 ウォルターはにやりと笑うと、そのまま古びた木戸を押し開けた。

 木戸は軋むような音を立てながら開き、鈴がちりんと鳴り響いた。


「ごめんねー、いまは休憩中なのよ」


 汚らしい外観とは異なり、店の中は意外と清潔だった。

 テーブルや椅子、床に張られた木板など古めかしい印象はぬぐえないが、蜘蛛の巣もかかっていないし、埃一つ落ちていない。

 休憩中ゆえか客は一人もいなく、店主らしい女性の声が奥から聞こえてきた。


「オレだよ、オレ。連れがいるんだ」

「連れぇ?」


 すると、奥から体格の良い女性が現れた。

 年頃は三十前後だろうか。エプロンが良く似合う女性だった。


「ウォルター、こちらは営業時間外だっての。表札が読めないのかい。連れがいるなら、もっと洒落た店に――って!」


 女性はこちらを一目見た途端、さあっと顔が青ざめる。


「ちょっと!! あんた、その子どうしたの!?」


 女性はウォルターを弾き飛ばすように退かすと、その勢いのまま肩をつかんできた。イーディスはびくりっと震える。


「怪我してるじゃない! それに、ひどい恰好……あんた、まさか、この子に悪さしたんじゃないでしょうね!!」

「してねぇっての! 森で拾ったんだよ」

「拾ったぁ!? こんな女の子が、そこらに落ちてるわけないだろうが! あ、お嬢ちゃんはそこに座りな。そんな恰好で森を歩いたんだ。疲れてるだろ?」


 女性はウォルターを魔族のような形相で睨みつけた後、打って変わって優しい顔をこちらに向けてきた。


「温かい飲み物でも淹れるかい? それとも、ジュースの方がいいかな」

「オレ、酒」

「あんたには聞いてない」


 女性はウォルターの方を見向きもせず、棚に手を伸ばした。


「可哀そうに。スカートをこんなに汚して……人さらいにでも捕まっていたのかい?」


 こぽこぽとジュースを入れ、ほいっとイーディスの前に差し出す。

 イーディスはコップを受け取った。一連の仕草を見ていたが、眠り薬や毒の類を盛っているようには見えなかった。もともと、ジュースに仕込んである可能性も考えたが、聖女の能力で微量の毒類なら体内で無効化される。しかし、大量に摂取すれば話が別だ。

 飲むべきか、飲まざるべきか。それが問題だ。

 イーディスが黙り込んでいると、女性はしばし眉をひそめた。そして、再び笑顔に戻ると、イーディスの隣に腰を下ろした。


「そいつは店の奢りだから、飲んでおくれ」

「……ありがとうございます」


 どうしても飲ませたいのか、それとも親切心からなのか。

 まだつかめきれない。なので、イーディスは一口だけ飲んだふりをした。


「おい、オレにはサービスないのかよ?」

「あんたにサービスなんてつけるか」

「ちぇっ、冷たいな」


 二人とも口喧嘩が絶えないが、険悪な雰囲気はなく、むしろ仲が良い感じがした。

 だから、イーディスは思わず尋ねてしまった。


「お二人は、夫婦ですか?」

「「ありえない!!」」


 二人は同時に噴き出した。


「こんなおばさんと夫婦? おいおい、イーディス、冗談もたいがいに――ッ痛!!」

「おばさんで悪かったわね、クソガキが!」


 女性はウォルターの頭に拳骨を落とすと、楽しそうに笑いかけてきた。


「あたしはシャンディ。ここの店主の嫁さ。旦那はいま食材の買い出しに行ってる。

 あんたは、どこから来たんだい? ここらじゃ見ない顔だけど……」


 シャンディはそう言いながら、視線をイーディスの服に向けられた。

 イーディスは自分の服装を見下す。急いで出てきたとはいえ、白のワンピースなんて旅向きの恰好ではない。しかも、それが泥まみれになっているともなれば、「どこかから逃げ出してきた」と思われても不思議ではない。

 事実、最初「人さらいから逃げてきたのか?」と聞かれた。


「えっと……いろいろありまして」


 イーディスは、あははと頭をかく。すると、シャンディは不審そうに目を細めた。


「そうかい……本当に、こいつになにかされたんじゃ……」

「だから、なにもしてねぇって!!」

「えっと、はい。なにもされてないです」

「それならいいんだけどね……」


 シャンディが続けて何かを言おうとしたとき、ぐうっとイーディスの腹の虫が鳴ってしまった。ぽっと頬のあたりに熱が集まる。イーディスは恥ずかしくなった。


「恥ずかしがらなくていいんだよ。ここは食事処。腹が減った奴の来るところなんだからね。ちょっと待ってな。なにか作って来るから」

「おっ、気前がいいじゃん」

「お嬢ちゃんの分だけだ。あんたは金持ってるだろ」


 数分後、テーブルの上にサンドイッチが数枚置かれた。


「おいしい……」

 思わずそう呟くと、シャンディは嬉しそうに笑った。世辞抜きで美味しい。ごくごく普通の黒パンに、野菜とハムを挟んだだけなのに、味付けだって素朴で凝ってるわけではないのに、どうしてこんなに美味しいのだろう?聖女の任命を受けたばかりの頃、城の晩餐会で食べたフルコースも頬が落ちそうなほど文句なしの美味しさだったがこちらの方が温かみがあって、食べて和む。

 この街の雰囲気にしろ、食べ物にしろ、どうしてこんなに包み込むような暖かさなのだろうか。

 ここを支配する領主は、色狂いなのに。

 イーディスは野菜のシャキシャキした食感を味わいながら、考え込んでしまった。


「ありがとう、お嬢ちゃん」


 シャンディは嬉しそうに微笑んだ。


「せっかくだから、ちょっと着替える?

 私の若い頃の服だけど、その泥だらけのワンピースよりマシさ」

「あ、ありがとうございます」


 ちらりとウォルターに視線を向けると、そうしろそうしろと手を振られる。イーディスはシャンディについて、店の二階に進んだ。


「これから行くところとかあるのかい?」

「……特に決めてないです。ただ……」


 歩きながら、ふと、アキレスの顔がうかんだ。それから、孤児院の仲間たちの顔も。

 考えてみれば、旅に出てから一度も戻っていない。焼け跡すらこの目で見てないし、花も供えてないのだ。


「おちついたら、王都で墓参りをしたいです」

「王都? 親戚でもいたのかい? あ、この部屋だよ」


 シャンディは部屋に入ると、タンスを漁り始めた。


「私のお古だけど、これなんかどうだい?」

「ありがとうございます」

「いいんだよ、着替え終わったら店に戻ってきな」


 イーディスはシャンディが出て行くと、着替え始めた。

 それはごくごく普通の庶民が着る服だった。模様も魔力が込められた形跡はなく、他に怪しい様子もない。


「どうして、こんなに優しいんだろう…」


 ウォルターにしろ、シャンディにしろ、初対面なのに、なぜこれほど優しくされるのか。

 イーディスには、あまり理解できなかった。


「……あれ?」


 着替え終わった頃、風でも吹いたかのように窓がかたかたと揺れた。

 イーディスは窓に近づいてみたが、特に異変はない。


「風かな……あっ!」


 すると、数名の男が麻布でできた袋を抱えながら歩いていた。路地の向こうに馬車が止められている。その馬車に運ぼうとしているのだ。

 ただの袋なら問題ない。仕事だろうの一言で片付くが、その袋は動いている。


 まるで、中に子どもでもいるかのように。


 さて、どうしよう。

 ウォルターたちを呼びに行っていては、間に合わない。きっと、あの袋は馬車に乗せられてしまう。


「っ、仕方ない」


 イーディスは窓を開けると、躊躇うことなく飛び降りた。








イーディス、本日2回目の飛び降り。



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