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4話


 ついに、魔王を倒した。

 いや、倒したといっても、ほとんどクリスティーヌのおかげだ。しかし、倒したことには変わりない。

 イーディスは役目から解放され、孤児の少女に戻った。

 結婚? 嫁がされる? そんなこと知るものか。早晩に城を抜け出し、向かうのは孤児院の跡地。

 見慣れた孤児院は、見るも無残な状態に変わり果ててしまっていた。雑草が邪魔されることなく生え、畑の野菜は野生化してしまっていた。そんな荒れた大地に、焼けた骨組みだけが建っている。


 イーディスは、懐かしい思い出を振り返りながら、ゆっくりと骨組みの間を歩く。

 すると、こんな声が聞こえてきた。


「お姉ちゃん!!」


 ありえない声だ。

 幻聴だ。そう分かっていてもなお、弾かれたように振り返る。

 そこにいたのは、自分よりも柔らかい銀髪に瓜二つの紫色の瞳、同年代の誰よりも小さく、弱弱しい男の子――


「アキレス!!」


 自分の命より大切な弟だった。

 イーディスは荷物を放り投げると、両手を広げて駆け寄った。

 

「ただいま、アキレス! 遅くなってごめんね!本当にごめんね!」


 ああ、生きていた。

 死んだと思っていた弟が、生きていたのだ。目からは涙が零れ落ち、頬を伝っていく。

 対する弟は、ひさしぶりの再会だというのに、どこか静かな笑みを浮かべていた。


「お姉ちゃん、遅いよ」


 だって、ぼく――


 アキレスは、耳元でそっと囁く。

 途端、彼の身体は熱を持ち、肩から火の手が上がった。



「とっくに死んでるんだもん」
















「……――ッ、アキレスッ!!!」


 叫び声と共に、イーディスは目を覚ました。

 夢。幸せで――だけど、残酷な夢だ。


「夢、だよね」


 イーディスは身体を屈めた。

 柔らかいソファーの上で、子どもみたいに小さくなる。

 窓の外に広がるのは、どこまでも深い緑だ。魔族の森を旅したことがあったが、それよりも穏やかで心落ち着く色をしている。


 ここは、ピルスナー辺境伯の邸宅。

 自分の夫になる辺境伯とは、会話はおろか、いまだ顔すら合わせていない。

 よほど駆け足でこの婚姻が進んだのか、かの辺境伯は屋敷を留守にしているのだそうだ。


「いやだな、私」


 恋愛感情もない相手と結ばれることも嫌だが、辺境伯の二つ名が「色狂いの鬼」ときた。

 なにせ、二人の妻を娶り、婚姻三日以内に逃げられている。血が好きらしく、処女を切り刻んで痛めつけることに興奮を覚える変態らしい。妻の他にも色々な女の子に手を出しているらしく、朝になると街角にはくたくたに倒れる血まみれの若い女性がいるのだとか。

 普通の神経の持ち主であれば、嫁ぐのは願い下げだと断る人物である。


 ……しかし、悲しきかな。

 自分は聖女とは名ばかりの役立たずで、しかも行き場所を失くした孤児の小娘だ。結婚適齢期だったことが唯一の幸いで、レオポルトは一応「聖女にふさわしい家に嫁がす」と便宜を図ってくれた。だが、もちろん孤児上がりの聖女など位の高い家ほど欲しがらない。結局、イーディスを引き取ったのは、色狂いしかいなかった、というわけだ。



 家名もなく、後ろ盾もない。

 そんな小娘に、嫁入り道具などはない。

 彼女を辺境伯領――という名の地獄へ送る荷馬車に積まれたのは、花嫁と身の回りの持ち物。そして、唯一――孤児院時代からずっと持っていた じょうろだけであった。


 もちろん、見送りなどほとんどいない。

 たった一人、イーディスを拉致同然に連れてきた神官だけ。 


『どんな事情があれ、僕がここに君を連れてきました。だったら、最後まで見送るのは義務です』


 彼が来たのは、単なる義務。

 一年共に過ごした仲間に対する情とは違うものだった。

 表情もむすっとしていて、どこかそわそわしている。きっと、クリスティーヌの傍に早く戻りたいのだろう。


『とりあえず、聖女の首飾りだけは肌身離さず持っていた方がいいですよ。万が一の時に身を護る術になります』


 餞別の言葉はそれだけ。

 彼は他に何も口にしなかった。

 こうして、聖女はひっそりと王都を出る。


「……」


 一緒に旅をした仲間たちから、別れを名残惜しんで欲しかったわけでもない。

 足手まといだったことは自覚している。むしろ、自分がいない方がよっぽど早く魔王を倒せていたはずだ。


 ただ一言「頑張ったね」と褒めて欲しかっただけだった。 

 仲間たちに追いつこうと、血反吐を吐きながら必死に努力した。睡眠時間を削り、不器用ながらも懸命に剣や魔法の腕を磨いた。

 しかし、それは報われることなく、役に立つこともなく、一度たりとも感謝はもちろん、褒めてもらったこともなかった。



 だとしたら、なんのために聖女として頑張ったのだろう。

 頑張った結末が家族を失い、色狂いに犯され死んでいくなど、笑い話にもほどがある。


「……馬鹿みたい」


 イーディスは、ゆっくり立ち上がった。

 逃げ出してやろう。あの夢みたいに、もっと早く逃げ出せばよかった。こんなところから逃げ出して、一人で生きてやる。

 そうと決めると、イーディスは素早く行動に移した。窓の傍に近づき、周辺の気配を探る。

 幸い、この部屋に見張りは誰もいない。

 扉の向こう側には人の気配などなく、窓の下を覗いてみたが、眼下に広がる庭には誰の姿も見えなかった。庭といっても、王城の整えられた庭とは異なり、鬱蒼を木が生い茂る森のようなだった。あそこに飛び降りれば、身を隠すのも容易そうである。


「逃げ出すなら……いまだ」


 イーディスはヘアピンで鍵をこじ開けると、体重を乗せるように窓を開け放った。新鮮な風が部屋に吹き込み、白い髪を優しく揺らす。そのまま、窓の桟に飛び移れば、風がスカートを持ち上げた。一瞬、「ズボンに履きかえるか?」と思ったが、その手間が惜しい。そうこうしているうちに、色狂いの鬼やその召使がやってくるかもしれないのだ。

 いましかチャンスはない。


「よし……いくぞ」


 イーディスはつばを飲み込むと、勢いよく桟を蹴り飛ばした。ふわり、と一瞬――浮遊感が身体を包み込む。そして、次の瞬間、急速に地面へと落下した。風を切る鋭い音が、びゅうびゅうと耳元で唸る。 


「――ッ、イーディス・ワーグナーの名のもとに! 風の素よ、我を護る盾となれ!」


 イーディスは顔を庇うように腕を前で構えると、早口で魔法を詠唱する。

 身体の奥から溢れ出てきた魔力が放出され、近くをうずまく風を巻き込んでいく。風は鎧のように身体全身を包み込んでいった。しかし、落下速度は変わらない。むしろ、風の影響か、ますます速度が速まってしまう。みるみる間に地面が近づいていく。


「しまっ――うわっと!?」


 イーディスの身体は速度を保ったまま、木々の上に勢いよく落下した。枝や葉っぱを押し破るように、身体は落下していく。

 間一髪、間に合った風の防御魔法のおかげで痛みは感じないが、いまにも地面にめり込んでいきそうな落下速度に恐怖した。やっと止まったのは、木の枝を折り切り、その根元に広がっていたイーディスの腰丈ほど下木に頭から突っ込んでからだった。


「……失敗した、落下速度低下の魔法を先に使えばよかった」


 身体を起こし、口に入った葉っぱを吐き出す。

 服はもちろん、髪もくしゃくしゃで、そこらかしこに葉っぱや小枝が付着している。


「早く、移動しないと」


 いまの落下音はそこまでしなかったと思うが、誰かが耳にしている可能性は捨てきれない。

 簡単に払い落とすと、そのまま庭の奥へと足を進ませる。屋敷の周りを背丈の倍以上の壁が囲っていたが、この程度ならなんとかなる。壁に覆われた蔦にしがみつき、足場代わりにしながら上を目指した。


 これでも、役立たずとはいえ魔王討伐の旅に引っ付いていった身だ。

 落ちたら即死の断崖絶壁を登らされた時に比べたら、ちょっと背より高いだけの壁なんて余裕である。それよりも、誰か――たとえば、見張りの兵など――に見つかって、連れ戻される方がまずい。イーディスはひょいひょいと登りきると、急いで壁を蹴り飛ばした。


「イーディスの名のもとに、風の素よ、我の足場になれ!――ッわっと」

 

 落下速度軽減の詠唱を唱えてみたが、風は思うよう集まらず、そのまま無様に落下する。


「痛っ」


 足に鈍い痛みが奔った。

 骨は折れていないだろうが、落下のせいだろう。衝撃で痺れた足をすぐに動かすのは、少し無理そうだった。

 急ぐあまり、そこまで魔力を練ることができなかった。


「……私、いつもこんなのばっか」


 クリスティーヌだったら、こんな初歩的なミスはしないし、他の仲間だって右に同じだ。

 いつも失敗してから間違いに気づく。

 落下のことも、アキレスのことも。


 なんだか無性に情けなくなってきた。

 がっくり項垂れて落ち込む、そんなときだった。




「こんなところでなにしてんだ?」


 背後から迫る男に気づいたのは。





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