番外編:もうひとりの私
「払いの聖女」の2巻目配信記念の番外編になります!
夢を見るのが、怖いときがある。
目を瞑って、悪夢だったとき――それが不安。もう苦しくみたくない、と思えてしまう。
だから、眠るときが苦手。
いっそのこと、夢を見ないほど疲れて寝落ちする方がいい。なにも考えず、目を瞑った次の瞬間、朝を迎えるくらいが――……。
「私、それはもったいないって思いますよ。せっかく寝ているのに、もったいないような感じがします」
「え?」
イーディスは弾かれたように顔を上げる。
自分が何げなく呟いた独白に対して、言葉が返って来るとは思わなかったからだ。だが、その相手の顔を見て愕然とする。
「……私?」
そこにいたのは、イーディス自身だった。
最初、鏡に自分が映っているのかと思ったが、そうではないようだ。いまの自分はワンピースを纏っていた。「聖女のイメージを大事にするため」という理由で、白色を基調とした一見地味なワンピースだが、袖口が膨らんでいたり、裾には刺繍が施されていたりと可愛らしいものとなっていた。
一方、目の前にいるイーディスはドレスを纏っていた。気品のある濃い紫色のドレスは非常によく似合っており、ふわっと膨らんだスカートも可愛らしかった。
「えっと……私、ですか?」
目の前のイーディスも自分がいることに驚いているらしく、目を丸くしていた。彼女はしげしげとこちらを見ながら、おっかなびっくりといった様子で尋ねてくる。
「黒い靄がないから、魔族……ではないですよね?」
「六代目の聖女です。あなたも……魔族ではなさそうですね」
イーディスは目を細め、彼女を観察した。魔族特有の黒い靄は一切感じなかった。どうやら魔族ではないらしいが、だとしたら彼女はいったい何者なのだろう? 疑問に頭を悩ませていれば、彼女は不安そうに首を傾げた。
「あ、あの……私も聖女です。一応、六代目です」
「……つまり、あなたは私ということ? そういえば、あのとき着たドレスに似ているような気が……」
イーディスは数年前のことを思い出した。
「魔王に憑依されている貴族が多く存在する可能性がある」との理由で、夜会に出席したのだった。着慣れぬドレスに袖を通し、がちがちに固まりながらも、夜会に潜んでいた魔族を倒したのは、いまとなっては懐かしい思い出だった。
「過去の私、ってところかしら?」
「えっと、つまり、あなたは……未来の私?」
「そういうことになるわね。とりあえず、確認するけど……あなた、エドワードの頼みで夜会に出たあとってことで間違いない?」
イーディスが尋ねると、彼女はこくこくと頷いた。
「はい……神官様に頼まれて、夜会に参加しました」
しかしながら、そう語る彼女の顔色は少し暗い。そういえば、あのときは結局、魔族の憑依は解けたものの取り逃がしてしまったのだと思い出す。聖女の力を使った疲労感で動くことができず、自分は見ているだけで無力感に襲われたのだった……。
イーディスは過去の自分を励ますように、無理やり笑顔を作った。
「大丈夫よ。あなたはよくやったわ」
「……ありがとうございます」
彼女はちょっと控えめに笑う。
「でも、私……手も足も出ませんでした。私が何もできないせいで、ロザリオの人が……」
「ロザリオ?」
イーディスは眉をひそめた。だが、彼女はこちらの疑念に気づいた様子もなく、ぽつぽつと語り続ける。
「それに、あの魔族も逃がしてしまったんです。あの魔族……私と同じくらいの年頃っぽいのに」
「んん?」
イーディスは首を傾げてしまう。
彼女はそれからも悔しさを感じた経験を語ってくれるが、どうも記憶と食い違っている。一致する部分もあったが、ボタンが掛け違っているかのように嚙み合わないのだ。しかし、彼女が嘘をついているとは思えない。紫の瞳はどこまでも真摯に見え、悩みながら話す言葉の節々にまっすぐさが伝わってくる。思考パターンも自分と同じもので、誰かが化けた別物とは考えられなかった。
「……もしかしたら」
すべてを聞き終えたとき、イーディスが出した結論は一つだった。
「あなた、別の世界の私だと思うわ」
イーディスが口を開くと、彼女はきょとんとしている。
「別の世界?」
「あなたはどう見ても私だけど、どうも経験していることが違うと感じるの」
いま聞いている範囲だと、聞き間違いかな? 覚え間違いかな? と感じ程度。しかし、それでも違う経験をしていることは確かだ。いまはその程度にしか思えないが、いずれ差異は大きく広がり、彼女が歩む未来は変わってくるはずである。
「でも、そういうことってあります?」
「ありえないことはありえないわ。だって、数年前を思い返してみて。そのとき、聖女の神託を受けることになるって知っていた?」
おどけた口調で話せば、彼女は吹き出した。ようやく強張っていた表情が緩み、顔色が明るくなる。
「そうですね……予想もしてないことが起きるかもしれませんね」
彼女がそう告げたとき、輪郭がぼやけた。しかし、それは自分も同じのようで、手のひらをかざすと向こう側が透けて見えた。
どうやら、この時間は間もなく終わるらしい。
「また、会えますか?」
「分からないけど、きっと会えるよ」
次に会うときは、それこそイーディスが想像もできない事態を迎えているかもしれなかった。そうなったとき、彼女がどんな人生を歩んできたのか――その選択は一度聞いてみたい。
「そのときは、お茶でも飲みながらおしゃべりできるといいわね」
「はい! あ、そうだ……1つ気になることがありまして」
彼女はわずかに躊躇いながらも、意を決したように口を開く。
「未来の私は……幸せですか?」
イーディスはその問いに答えようとしたが、その前に世界が揺らぐ。幕が下りるように、だんだんと視界が暗くなっていく。急いで答えなくては!と思うが、素直に「幸せ」と叫べず惑ってしまう。アキレスは生きており、ウォルターや優しい人たちに囲まれ、十分に幸せを実感しているが、心の片隅にクリスティーヌに対する罪悪感があった。彼女の末路を考えると、どうしても幸せだと断言できない。自分は本当に最善を尽くさなかったのか、どうにかできなかったのかと思えてならないのだ。
「あなたは、あなたの幸せをつかんで!」
イーディスは叫んだが、その言葉は彼女に届いただろうか?
彼女はハッとしたように目を見開き、なにか言おうとする姿が見える。それが最後。揺れて消えゆく彼女をよく注視しようと瞬きをした瞬間、そこに広がっていたのは屋敷の庭だった。
「イーディス?」
誰かに心配そうに覗き込まれる。
ウォルターの顔だった。薔薇のように赤い目の奥に、ぼんやりとした自分が映し出されている。
「私……寝てた?」
いつのまにか木陰で眠ってしまっていたらしい。
こんなところで微睡むなんて、自分らしくない。おかしいな、と目をこすっていると、ウォルターは屈み込んできた。
「大丈夫か? 変な夢を見てねぇか?」
「変な夢?」
「アキレスが夢に干渉してきたとか……」
「それはないかな」
いまのアキレスに、そのような力はない。
仮に夢で接触してきたら、魔王の力が復活してきたということでそれ相応の対応をしなければならないだろう。
「……もう一人の私と話した、って感じかな」
自分とは違う道を歩む聖女が、どのような結末を迎えるのだろう?
青い空を眺めながら、イーディスはもう一人の自分に向かって呟くのだった。
「あなたの進む先が……せめて、良い未来でありますように」




