53話
「アキレス! あんた、なんて真似をしたの!」
イーディスの叫びは面会室を震わせた。
「あの人の人生を狂わせて……本当に信じられない!」
「お姉ちゃん、人が良すぎ。少しはやり返した方がいいって。ほら、僕が駄目な道に進んだときは叱ってくれたじゃん。それと同じだよ」
「同じわけない!」
イーディスはアキレスの朗らかな笑顔を睨み付け、こめかみをピクピク動かした。
クリスティーヌは死んだと思われていた。
彼女の靴が川の傍に落ちていた。飛び込んだ痕跡も見つかっている。下流の浅瀬には、彼女の着ていた服のボタンや装飾品が流れ着いていた。このような事態を巻き起こした中心人物故に、彼女が責任を感じて入水自殺をしたというのが一般論だったのだ。
「もしかして、あの靴は……」
「うん。靴を置いてから入水させたんだ。ただ、そのまま死んだらつまらない。川から上がらせた後、装飾品とかを捨てさせて、孤児を装わせたんだ。ね、いい話でしょ」
「どこが良い話よ……」
イーディスは呆れてものが言えなくなった。
つい数時間前、イーディスはクリスティーヌを発見した。
王妃とか令嬢なんて煌びやかな存在ではなく、普通の孤児より酷い。薬漬けにされ、苦しみ足掻き、搾取されつくされた娼婦である。さすがに彼女を「死んだと思われていた王妃様です」と明るみに出すのは、大変心苦しい。というか、もう表には出さず、そっとしておいてあげたい。
「だって、お姉ちゃんや僕みたいな貧しい孤児を馬鹿にしてたじゃん。
だから、同じ立場に落としてやっただけ。ふーん、娼婦にまで落ちたか。というか、お姉ちゃん。良く見つけたね。……あ、そうか。僕がこの枷を着けたから、あいつを支配してた魔力が薄れて、顔が元に戻ったのか」
アキレスは一人で納得している。
両手両足に魔力を封じる鉄枷を着けているのに、特に気にする素振りはない。イーディスは湿った視線を向けた。
「あんた、その口ぶり……」
「反省しているよ。若気の至りってやつ。今は、これっぽっちも思ってない。お姉ちゃんが娼婦令嬢をそのまま見殺しにしてればよかったのにとか、まったく思ってない」
「思ってるじゃない」
イーディスは立ち上がった。
クリスティーヌがいなくなったせいで、何が起きたのか。彼は十分知っているはずなのに、へらっと笑っているところに腹が立った。
「待ってよ、お姉ちゃん。来たばかりじゃん。面会時間は30分なんでしょ?」
「30分しっかり話したければ、もっと性根を入れ替えなさい。
獄吏さん。いつも迷惑をかけてすみません。この子が甘えたりぐずってたりしても、決して手を緩めないでお願いします」
「はっ、聖女様。承知いたしました!」
イーディスは「おねーちゃーん!」と呼ぶ声を背中で聞きながら、面会室を出た。
孤児院にいた頃は目に入れても可愛い自慢の弟だったのに、この体たらく。弟の人生を狂わせた魔王め、許せんと憎々しく胸の内で呟く。もっとも、その魔王も払いの力で一掃したわけだが。
そして、一瞬、クリスティーヌを「いい気味だ」と思ってしまった自分に腹が立つ。
むしゃくしゃする気持ちを込めるように、地下牢の階段を一段、一段と踏みしめて歩いた。
「おっ、思ったより早かったな」
地下牢の入り口では、ウォルターが壁にもたれかかって待っていた。
イーディスは、ほとほと疲れたように頭を抱えた。
「はぁ……本当、すみません」
「いや。城にいるんだ。弟に会いたいってのは当たり前だろ」
「その弟の悪事が一つ、明るみに出たんですけどね」
イーディスが項垂れていると、ウォルターはぽんぽんと肩を叩いてきた。
「迷宮入りしたよりマシじゃないか?」
「……ありがとうございます」
とはいえ、クリスティーヌを社交の場に戻せない。
薬は抜ける。闇で出回っている薬とは言え、王城には最高級の神官と薬草が揃っている。医者の見立てでも、エドワードの回復魔術と薬草を煎じて飲ませれば、ゆっくりだが回復していくと分かった。今も城の一室で、安静に眠っている。
一度目を覚ましたときは、あまりに辛い過去だったからだろうか。辛かった記憶をすべて忘れた「普通の少女」に変わっていた。
『私が、貴族? 何かの間違いですよ』
そう言いながら不安そうに顔を歪める姿は、見ていて痛々しい。
それに、心に刻まれた傷は深い。失った時間もモノも取り戻せないし、記憶をなくしたとしても、彼女をむしばみ続け、苦しませるだろう。
「レオポルト様も酒におぼれ、お亡くなりになったとか……記憶を忘れているとはいえ、クリスティーヌ様に伝えられません」
クリスティーヌが死んだことだけでなく、自分たちが操られて彼女を迫害していたと知った者たちは、愕然とした。彼女に近しい仲であったほど、絶望に叩き落とされた。
「魔王討伐の旅に参加した者で、生き残ったと言えるのは……エドワード様と私くらいですから」
イーディスは、ぽつりと呟いた。
レオポルトはクリスティーヌの死を受け入れることができず、酒へ逃げた。
彼は酒におぼれ、政務を投げやりにしてしまう。側近たちは見るに見かねて親戚筋への譲位を進言したが、受け入れられず、最後は他殺された。
それも、一緒に魔王討伐の旅をした傭兵にだ。
傭兵はクリスティーヌの死の責任が、レオポルトにあると睨んだ。自分の思い人をとられただけでなく、彼女の傍近くにいながら死に追いやったと、自分も迫害に参加していたことを棚に上げて、レオポルトを刺殺したのである。そして、自分もクリスティーヌの後を追うように自刃した。
傭兵は王殺しの罪で、罪人として処分された。これまでの功績は抹消。血筋の者たちには膨大な慰謝料を要求され、一家は散り散りになったと聞く。
「魔術師様と騎士様は、己の領民やレオポルトとクリスティーヌのシンパを率いて
『クリスティーヌ様を殺した背後には、ピルスナー辺境伯がいるに違いない!』
とか、意味の分からないことを上げて、攻め込んでくるなんて……」
「だが、それは鎮圧できた。残党たちも含めてな。今回の登城はそれの事後報告だ」
「なにからなにまで、本当にすみません」
イーディスはくたびれる。
すると、彼はそのまま腕をイーディスの肩に廻し込んだ。
「謝るなって。家族じゃないか」
「……まあ、そうですね」
イーディス・ピルスナー辺境伯夫人は口元を綻ばせた。
名目上の妻でなくなったのは、結構早かった気がする。イーディスは彼に対して恩義以上の感情を抱いていたし、彼が傍にいることが当たり前になっていた。
とはいえ、このように腕を廻されるような距離が近い態度は少し気恥しく、公の場で行って欲しくない。ウォルター曰く「見せつけている」そうだが、こちらからすれば「視線を集めている」以外他ならないし、もう面倒ごとに巻き込まれたり、余計に目立って禍を呼び寄せたりされるのは、本当に懲り懲りなので、やめて欲しい。
「まあ、さっさと終わらせて帰りましょう」
イーディスは腕を払いながら歩みを進める。ウォルターが残念そうに唸ったが、気にしないことにする。イーディスが少し先立つように歩いていると、前方から小柄な少年が歩いてきた。
「良かった。貴方たちを探していたんですよ」
少年は、ほっと胸を落とした。
「エドワード様もお変わりないようで安心しました」
「なにが、お変わりないですか」
エドワードは疲れたように首を横に振る。
少しばかり背が伸びてはいるが、やっとイーディスと目線が合う程度だ。本人は「重圧のせいで伸びない」と主張しているが、ただ単に小柄なだけなのだと思う。
「全体的に政権が代わって、本当に大変なんですから。
レオポルトのシンパは騎士たちについて内戦を引き起こしてくれたおかげで、腐敗を一掃できましたが、その分の皺寄せが僕に押し寄せているのです」
「いいじゃないか、最年少大臣様」
ウォルターが冷やかすように口笛を吹くと、エドワードは睨んできた。もう何日も寝ていないのか、眼の下にはクマがくっきりと浮かんでいた。
「笑いごとではありません。他にする人がいなくなったから、僕が仕方なく指揮系統をしっかり組み替えたり、信用できそうな人を指名したり。もう寝る暇も休む暇もないから、自分で自分を回復させる始末ですよ。
……はぁ、こんなときに、クリスティーヌがいてくれたら……いや、いたら、こんなことにはならなかったですね」
エドワードは、げっそりとした頬を緩める。
なにしろ、政治に関わっていた半数以上が「クリスティーヌ様の敵討ち」に参加し、その大半が最初の戦いで打ち滅ぼされたのだ。その残党処理も終わったが、彼らの広大な領地の管理を誰がするかとか政治の穴埋めを誰がするかとか、本当に人手が足りない。
そこで、急遽、魔王の復活の一早く気付いた功績から、エドワードが神官としての籍を返上させられ、大臣に祀り上げられたのである。
「ピルスナー辺境伯。あなたこそ、軍事のトップに就任したではありませんか! どうして、代理の者に任せっぱなしなのです!」
「そりゃ、イーディスとの時間を大切にしたいからに決まってるだろ? それに、仕事もしてる。
この国の混乱に乗じて敵が攻めてこないように、残党処理しながら、辺境伯として睨みを利かせてるんだ。この両立は、意外と大変なんだぜ」
「貴方という人は……まあいいです。
イーディス。これから、一緒に来てください。大事な話があります」
「私に?」
「はい。この辺境伯は会議があります。この間、貴方は暇でしょ?」
「おい、何か妙なことをするんじゃないだろうな?」
ウォルターは立腹する。
ぴりぴりと冷水の中にいるような気を放ち始めていた。
「妙なことなんてしませんよ。ほら、さっさと行った。貴方がいないと会議が始まりません」
「心配は無用ですよ。私、あれから強くなりましたし」
イーディスが言うと、ウォルターは少し悩んだような顔をした。だが、大きく肩を落とすと、やれやれと目尻と口元を緩めた。
「なにかあったら、すぐに魔法で連絡しろ。1人で抱え込むようなことをするな」
彼は肩を叩いてきた。
いつもならここで頭を撫でられるのだが、今日は髪をセットしているからだろう。髪を結わいている日は、このように肩を叩いてくれる。そのような気遣いが嬉しい。
「……ウォルターさん」
イーディスは囁くように、しゃがんで欲しいと頼む。彼は素直に目線を合わせてくれた。きっと、なにか伝えたいことがあると思ったに違いない。不思議そうに見てくる赤い瞳に微笑みかけると、イーディスは無防備な頬に右手を添え、もう片方に唇をそっと押し当てた。
「ウォルターさんも何かあったら、すぐに連絡をくださいね」
自分らしくないことをしたかな、と思いながら、イーディスが言った。
ウォルターは驚いて声も出ないらしい。驚いたように目を丸くしている。だが、徐々に頬に朱がさし始め、そのままイーディスに抱き着いてきた。
「ちょ、なにを……っ!?」
「ああ、終わったらすぐに追いかける。そんでもって、王都の別宅に戻り、二人っきりで過ごそうぜ!」
熱い腕と硬い胸板、そして耳元で囁かれる甘い声。イーディスは途端に恥ずかしくなった。自分の心臓の胸が飛び出しそうになるほどの鼓動を感じ、それが相手にも伝わっていると思うと、耳の先まで熱を帯びていくのが分かる。
「はぁ……では、聖女様。こちらへ」
エドワードは呆れたような口調で言うと、先へと歩き始めた。
イーディスは名残惜しそうに抱擁から抜け出すと、ウォルターに手を振った。
「またあとで」
「おう。すぐに会おう」
ウォルターが手を振り返してくれるところを見届けると、イーディスはエドワードの後を追いかけた。廊下の角を曲がるまで、ウォルターの視線を背中で感じる。ずっと見送ってくれて、胸の内側がぽかぽかした。
「まったく。貴方は聖女です。もう少し慎みを持ちなさい」
エドワードはイーディスの歩調に合わせながら、どこかへ向かって歩き出した。
城の外を出て、雑草も生えていない程びっしり白い石を敷き詰めた道を進む。イーディスは瞬きをした。
「大神殿」
イーディスは聖女の首飾りを握りしめた。
外装はもちろん、内装も変わっていない。神の祈りや神話の再現を彫刻された壁、しみ一つない白くて高い天井、色彩豊かなステンドグラスを嵌めた窓からは、柔らかい午後の光が差し込んでいる。そして、埃一つ落ちていない広々とした大理石の床。
ただ一つ、違うところは、爽やかな様子の大神官とずっしり構えた王と側近のみが並んでいることである。
「よく来た、聖女 イーディス」
「はっ、王様」
イーディスは片膝をついた礼をする。
昔は、こんな礼もできなかったな……と感慨にふけりながら、なぜ呼び出されたのか思考を巡らせた。
「心配することはない。今日は貴方の『呼び名』を授けようと思ったのだ」
「呼び名、ですか?」
「例えば、初代聖女が「守護の聖女」、五代目が『正義の聖女』と呼ばれているように、貴方の二つ名です」
王はゆったりとした声で言う。
そして、袖から一枚の羊皮紙を取り出した。
「貴方は魔王の洗脳を払い、この国の膿を一掃する起因を作ってくださいました。
ですので、二つ名を『払いの聖女』としようと思うのですが……いかがでしょう?」
「払いの聖女」
イーディスは言葉を繰り返し、くすりと笑った。
ある意味、皮肉である。
「お払い箱にされた娘が、払いの名を冠するなんてね」
「も、申し訳ありません。お気に召されないのでしたら、すぐに別の案を……」
「いいえ、それでいいです」
イーディスは肯定した。
お払い箱にされた聖女が努力を重ね、魔王や国の悪部を取り払った。とても皮肉の利いた物語のようではないか。それに『払い』の名があれば、弟に根付いてしまった悪の芽を払うことや、家族や大事な人に迫る悪を払うことにも繋がるかもしれない。
「では、六代目聖女に『払い』の名を冠することを宣言する。
以後、貴方は『払いの聖女』と呼ばれることになります。よろしいですね?」
「はい」
イーディスは綻ぶように笑うと、首飾りが紫色に輝いた。
数年前の自分は、こんな荘厳な場所に委縮してしまい、このように笑える日が来るとは思わなかった。
もし、あの頃の自分に助言ができるのだとしたら、そっと肩を叩いて寄り添い、伝えてあげたい。
『今は辛いけど、この辛さを払うことができる日が来るから』
と。
第一の聖女は、守護を望んだ。
ありとあらゆる災厄から、皆の身を護りぬく「守護の力」を欲した。
第二の聖女は、純粋な力を望んだ。
誰にも負けない、逆境を打ち返す「圧倒的な力」を欲した。
第三の聖女は、癒しを望んだ。
この世のありとあらゆる傷を癒し、皆を救う「奇跡の力」を欲した。
第四の聖女は、運を望んだ。
不利な状況を跳ね返す、圧倒的な「幸運の力」を欲した。
第五の聖女は、友を望んだ。
なにがあっても裏切らない、種族を超えて自分を信じてくれる「仲間を作る力」を欲した。
そして、第六の聖女は、払う力を望んだ。
身に降りかかる悪や火の粉を払い、自分の大切なものを護り通す「払いの力」を欲した。
これはお払い箱にされて打ちひしがれた少女が、自らの力で悪を払い《・・》、自分の道を歩み始める物語である。
この物語はここで完結です。
後日談や番外編を後程投稿させていただきますが、ここまで読んでくださった皆様。本当にありがとうございました。
追記(2021年11月2日)
本作のリメイク作品を公開しました!
「お払い箱の聖女は幸せになりたい!」という題名です。
楽しく執筆していこうと思うので、よろしければそちらものぞいていただけると嬉しいです!




