悪役令嬢の末路
クリスティーヌは目を覚ました。
酷い夢をみていた気がする。
自分が断罪され、処刑台に送られたかと思えば、生きていた魔王に凄まれ、民衆に殺されかけた。あの聖女の力で生き残ったかと思えば、魔王の煌々と光る紫色の瞳に睨まれ――そこで記憶が途絶えている。
「意識を失っただけ、でしたのね」
クリスティーヌは安堵したのもつかの間、見慣れない場所にいることに気付いた。今にも崩れそうな煉瓦造りの壁。壁の合間には、ちらほらと雑草も生えている。ベッドも堅く、少しかび臭い。服に目を落とせば、見るも無残なほどに泥まみれになっていた。
「これは、どういうこと?」
クリスティーヌが戸惑っていると、がちゃりと扉が開いた。
現れたのは、これまた襤褸を纏った女である。教会のシスターのようにもみえるが、本神殿の者に比べると薄汚れて下々の者と大して変わらない。
「あなたは、何者です!?」
クリスティーヌは身を固くしながら、シスターに問いかける。シスターは少し心外そうに口を尖らせた。
「なんだい、あんたが行き倒れてたから拾ってやったんだよ。ほら、さっさと来な。他の子たちが待ってるよ!」
「まあ、なんですの! この私を誰だと思っているのです!
私はクリスティーヌ。この国の王妃ですよ!」
「はぁ? なにを寝ぼけたことを。それとも、頭がおかしいのかい?」
シスターに馬鹿にされ、クリスティーヌはカチンときた。背筋をピンと伸ばすと胸元に右手を置き、威厳を示そうとしたとき、クリスティーヌの視界に鏡が飛び込んできた。
「うそ……」
ぼろを纏った少女が、クリスティーヌを見返してきている。
金髪と瞳の色は同じだし、顔のパーツも記憶通り。だが、艶やかだった髪はごわごわと荒れ、白魚のようだった肌は汚れていた。そこにいるのは、お世辞にも美少女とは言えない娘である。
「こ、こんなの、認められません!」
「あ、こら! 待ちなさい!」
クリスティーヌはシスターを押しのけて走り出す。
ここで、履きなれたヒールではなく、裸足であることに気付いたが、そのようなことは些事だ。雪でぬかるんだ道をぴちゃぴちゃ走りながら、クリスティーヌは防寒の魔術を唱えようとする。
「火の素よ、我が足を温めよ! ……あれ?」
流れるように詠唱したのだが、まったく温まらない。
それどころか、胸の内に感じていた魔力の欠片も感じられない。クリスティーヌは困惑を深める。クリスティーヌは裸足が霜焼けしてくるのを感じながら、白い息を吐いて走った。幸か不幸か、王都にいるようだ。その証拠に高くそびえる王城が見える。そこへ行けば、愛する者たちと再会できる。彼らのところへ行けば、こんな屈辱じみた服装から解き放たれ、元の優雅な生活に戻れる。
聖女の力で、彼らも元に戻っているはずだ。
クリスティーヌは信じて疑わなかったし、それは事実である。彼らは魔王の洗脳から解き放たれ、元の生活へと戻っていた。
そう、元の生活へ。
「れ、レオポルト様!」
クリスティーヌは馬に乗る夫の姿を見かけた。
レオポルトは護衛を引き連れて馬に乗り、神妙な顔で城への道を進んでいる。
「レオポルト様! 私です。クリスティーヌですわ!」
「……」
クリスティーヌは目を輝かせて問いかけたが、彼の視線を見た瞬間、背筋が逆立つのを感じた。レオポルトの眼は見たこともない程に虚ろだった。
「れ、レオポルト、様?」
「庶民が偉そうな口をきくな」
レオポルトは感情のこもっていない眼で、王妃だった女を見下す。クリスティーヌは愕然とした。彼の視線は、今まで見たことがない。ぞくりとするほど冷たく、処刑されるときの怒りの視線の方が遥かに理解できた。
クリスティーヌが怯えてすくんでいると、レオポルトは蔑むよう口を開いた。
「我が妻は死んだ。ましてや、平民ごときが妻の名を騙るとは笑止千万。この場で斬り捨てなかっただけ、ありがたいと思え」
彼は元妻とも知らずに吐き捨てると、そのまま馬を進めた。護衛たちも同様の反応で、彼女には視線すら向けてこなかった。クリスティーヌは呆然と見送ることしかできない。
「なにが、起こってるの?」
クリスティーヌは知らなかった。
アキレスが彼女にかけた魔法は3つだ。
1つ目が「自分の顔を正しく認識できなくなること」。
2つ目が「無意識で魔力を感じなくさせ、魔法を失ったと思うこと」
そして、最後の1つが「顔のパーツを少しずらす」ことだった。
クリスティーヌは自分の美貌が変わっていないと思っているが、少しずつ目や鼻の位置がずれ、辛うじて美少女の範囲に留まっている。レオポルトが見ても彼女だと認識できなかったのは、そのためなのであるが、本人は知る由もなかった。
クリスティーヌは、知り合いの家を訪ね歩いた。
知り合いの家どころか行きつけの店まで訪ねたが、どこも門前払いされてしまう。顔が違うだけでなく、泥まみれの服をまとい、霜焼けの裸足で歩いている女を入れる貴族なんていない。
そうしているうちに、きゅるるとクリスティーヌの腹が鳴る。
「そうだ、炊き出し……」
広場の時計を見ると、いつも炊き出しを命じていた時間だった。
貧民街へ行けば、とりあえずご飯にはありつけるし、知り合いの騎士にも出会える。会って話しさえできれば、これまでの経験を明かしたり秘密を伝えたりできる。そうすれば、クリスティーヌだと認めてもらえると一縷の望みをかけることにした。
だが、炊き出しなんて非効率なことを、レオポルトが続けるわけがない。
炊き出しが行われる気配はなく、クリスティーヌの周りには飢えて目を輝かせた男たちがじわりじわりと近づいている。
「な、何をするつもりです!」
すぐに攻撃の魔術を構築したが、魔力は全く感じない。仕方ないので、クリスティーヌは近くに転がっていた棒を手に取り、男たちに応戦する。こちらの力は衰えておらず、クリスティーヌは安堵した。
「仕方ありません。当初の予定通り、冒険者にでもなりますか」
クリスティーヌは冒険者になる道を選んだ。
否、選ぼうとした。
しかし、ここで一つの難題に直面する。
受付で
「あなたを証明するものを提示してください」
と言われてしまったのである。
別におかしいシステムではない。怪しいものを冒険者として認めてしまわないようにするための工夫である。なんでも彼でも冒険者として認めてしまい、犯罪が起きましたでは、その者を認可した冒険者ギルドの責任にされかねない。
現に「冒険者」という肩書を掲げ、生き物を乱獲したり人身売買や盗んだり悪事を働く者も少なくない。
よって、一応はちゃんとした証明がないと冒険者にはなれないのだ。
たとえば、孤児時代のイーディスが冒険者になる場合だと、住まいとしている教会が発行する身分証さえあれば、ギルドに登録してもらえる。
いまのクリスティーヌには、身分がない。
住居もなければ職もない。最初の神殿を逃げ出さなければ、まだ活路はあったかもしれないが、戻る道は覚えておらず、あのような形で逃げ出してきたので、のこのこ戻ることはできない。
さきほど、暴漢たちを倒したせいで、お腹もさらに減った。
装飾品でもあればと思ったが、指輪も首飾りもない。お金に出来るものがないので、ほとほと困り果てていた時だった。
「お嬢ちゃん、お腹へってるのかい?」
一人の男性が手を差し伸べてくれる。
クリスティーヌは飛びついた。彼の小綺麗な家へ招かれ、ふわふわなパンと温野菜のスープを振る舞ってくれた。お腹が減っていたが、王妃らしく千切ったパンの向ける先一つに気を付けながら食事を勧めていたが、このスープというのが蕩けるように美味い。これまで飲んだスープの中でも一位二位を争う代物である。
「このスープは、どのような職人が作ったのです!?」
クリスティーヌが問うと、男はくっくと噛み殺すように笑った。
「たいした奴じゃないよ。どうだい? このスープが飲みたいなら、ここに住み込みで働くといい。夕飯には必ず出すよ」
「本当ですか!」
しめた! とクリスティーヌは思った。
住処さえあれば、冒険者の登録ができる。一食の恩義で数日働いた後、冒険者登録をして、旅立てばいい。
と、浅はかにも思っていた。
「あれ?」
イーディスは瞬きをした。
数年ぶりに王都を訪れ、懐かしさのあまり街をふらついていた時のことだ。可愛らしい猫を追いかけて、ついつい花街まで迷い込んでしまう。
イーディスは気を高めて、花街の出口を目指す。
白い髪は艶やかで、小麦色の肌はすべすべ。首飾りは見えないように隠しているし、庶民風の服を纏っているが、見る人が見れば上物と分かるはずだ。
もっとも、ここらにいる男たち程度、イーディスの敵ではない。
最悪、救援の魔法を放てば、ウォルターが助けに来てくれる。もっとも、そのように申し訳ないことはできないが。
「……イーディス」
そんな時だったのだ。
か細い声で名前を呼ばれたのは。イーディスは声の方へ目を向ける。孤児院時代の人が娼婦になっているなんて、よくあることだ。
「ん?」
イーディスは目を疑った。
窓から顔を突き出して、こちらを必死に睨みつけている。
年の頃は、イーディスと同じだろうか。服こそ煌びやかだが、胸だけ飛び出し、腹回りはがりっがりに痩せている。薬漬けにされているのか、顔色が悪い。イーディスに娼婦の詳しい事情は分からないが、少なくとも、彼女に死期が迫っているのが分かった。
「わたし、ですわ! クリスティーヌですわ! 仲間でしょう!? 助けて!」
イーディスは眉間にしわを寄せる。
確かに顔立ちはクリスティーヌと瓜二つだったが、こんなところに彼女がいるはずがない。とっくの昔に死んでいるし、あそこまで美しく強かったクリスティーヌが、やつれて処分間近の娼婦になっているとは笑い話にもほどがある。
何かしらの理由で死を偽らないといけなくなったとしても、剣や魔法を生かして冒険者として活躍することもできるだろう。そうでなくても、知人の伝手で良い仕事に就いているはずだ。
百歩譲って娼婦になったとしても、高級な娼館にいるはずである。
あそこまでの美貌だ。入れあげる男も多いだろうし金を稼げる。ましてや、あの頭が良い彼女が、騙されたように薬漬けにされて鎖でつながれてるとか、絶対にありえない。
「こら、叫ぶな!! うるさいだろ!」
「きゃあ! 信じて、聖女様――ッ!」
クリスティーヌを名乗る女性は、内側から金色の髪を引っ張られ、部屋に戻される。窓は無残にもバタンと閉められてしまった。
「聖女?」
はてさて。
魔王討伐凱旋パレードでは、イーディスは目立っていない。聖女? ああ、そういえばいたなー程度である。数年前に、魔王討伐を果たしたときは、そういうことを一切お断りしたので、イーディスが聖女であることを知る者は少ない。
「……なんだろう。とっても嫌な予感がする」
イーディスは腰の剣に手を置きながら、さっきの女性がいた娼館に足を踏み入れるのだった。