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52話


 魔王の洗脳状態から解かれた人々は、その反動でバタバタと倒れ始めた。

 しかし、イーディスの視界は、力を奪われて落下する弟の姿のみしか入らない。


「アキレス!」


 イーディスは弟を受け止めようと駆けだした。

 イーディスの腕の中に落ちてきた身体は、自分が知るよりも遥かに軽く、まるで羽のようだと思ってしまう。血の気が失せて青白い顔の弟は、ゆっくりと瞼を開ける。よわよわしい紫色の瞳の奥に、同じ目を持ったイーディスの姿が映し出されていた。


「どう、して?」

「弟だからに決まってるでしょ」


 イーディスは当然のように答えると、アキレスは信じられないとばかりに眉を上げる。


「僕のこと嫌いになったんじゃないの?」

「それとこれとは違う。悪いことをしたら叱るのは当たり前でしょ。もう懲りた?」


 イーディスは最愛の弟に微笑みかける。

 アキレスは呆けたように口を開けた後、くすりと姉のように微笑んだ。


「ごめんなさい、お姉ちゃん。もう多くの人を巻き込んだりとか復讐したりとかしないよ」

「それなら良し」

「でも、やっぱり、そこの女だけは許せない」


 アキレスはクリスティーヌを睨んだ。

 アキレスの紫色の瞳が不気味に輝くと、クリスティーヌは短く悲鳴を上げ、ばたりと倒れた。


「アキレス?」

「睨んだだけ。お姉ちゃんは気にしなくていいよ」

「まったく。本当に反省しているの?」

「してる。もう他の人に迷惑をかけるようなことはしない……うん、しないよ」

「……それなら良かった」


 イーディスは答えながら、アキレスの命が短いことを自覚する。

 冗談ではなく、アキレスの身体は振り慣れた剣より軽い。眼の力も弱弱しく、身体も徐々に冷たくなっていくのが分かる。アキレスも己の状態を分っているのだろう。イーディスを見上げたまま、囁くように問いかけてくる。


「お姉ちゃん。死ぬ前に、行きたいところがあるんだ」

「どこ?」

「孤児院。最後に一度だけ、お姉ちゃんと一緒に行きたい」


 それは、イーディスとアキレスの始まりの地。

 イーディスはそこで神官に見いだされ、アキレスは魔王の手に落ちた。幼いころから育ってきた実家のような場所だけに留まらず、なにかと思い出が心に深く刻まれている。


「分かった」

「おい、ついて行かなくていいのか?」


 後ろからウォルターが問いかけてくる。

 イーディスは振り返った。彼は顔の傷を緩めながら、心の底から案じてくれているのわかる。

 孤児院が始まりの場所だとしたら、彼との出会いが自分の転換点だったと感じた。彼と出会わなければ、自分からさらに強くなろうとは思わなかっただろうし、ずっとアキレスとの思い出に固執していたに違いない。魔王となった弟を諫めきれず、結局は手を取り、人類滅亡計画を始めていたかもしれない。


 そのような非道な真似をしていたかと思えば、感謝の思いが言葉に出来ないほど溢れてくる。


「二人で行きたい。アキレスの最期だから」


 イーディスは彼らを振り返り、安心させるように笑いかける。そのまま、弟を抱いて歩き出した。中央広場は何回も訪れているから、ここから孤児院までの帰り道は頭に入っている。

 人が付いてくる気配はしなかった。世界から切り離され、アキレスと自分だけが歩いている。


「そういえば、あの夢で孤児院から広場まで無我夢中で走ったっけ」


 イーディスが思い出すと、アキレスは苦笑いを浮かべた。


「そうだね。確かに、あの時の僕は写しだったけど、さすがに『偽者』呼ばわりされて傷ついたよ」

「だって、実際に偽者だったじゃない。それに、私を夢の世界に監禁するなんて悪事を働くとは思えなかったし」

「ごめんね。それも反省してるよ」

「まったく。怖かったんだからね。自分の記憶も定かじゃないし、女神って名乗る人が首飾りを渡してくるし、アキレスは偽者で恐ろしい魔族だったわけだし」


 イーディスは「まあ、実際に魔王の力を手にしていたわけだけど」と、口を尖らせながら不満をぶつける。


「僕はね、お姉ちゃんと一緒に暮らしたかっただけなんだ」


 アキレスはぽつりと呟いた。

 冬の風が強まり、冷たさが肌を刺す。年越しの祭りで聖女の劇をしたことが、途轍もなく昔のことのように思いながら、アキレスの話に耳を傾けた。


「大好きなお姉ちゃんと、二人っきりで暮らしたかった」

「うん、知ってる」

「世界が許せなかった。お姉ちゃんを酷い目に遭わせている世界が」

「だからって、復讐は駄目だよ」

「お姉ちゃんだって、あいつらに復讐しようとしてたじゃん」

「見返してやりたいってのと復讐は違うよ」

 

 イーディスは言う。

 灰色の空からは、ちらちらと雪が降り始めた。降り積もった雪は嫌いだ。転ばないように雪かきをしないといけないし、それでも道が凍って滑ることもある。雪かきされていない場所を歩くときは、その冷たさで爪先から足の平が徐々に感覚がなくなっていくのが分かるし、冷たいものに触れていたはずなのに、ひりひりと火傷したように痛いのだ。


「おまけに、道はぐっちゃぐちゃになるし」

「歩いた後の飛沫が、服にかかるのも嫌だよね」


 アキレスと雪がいかに嫌いかを何となく話し合う。


 だが、1つだけ。

 雪が好きな時があった。


 それは、こうして降っている時。

 雪は、空から落下してくる冬の贈り物のようだ。そとに椀を置いておくと、白雪がこんもりと積み重なる。さながら、夏の露店で売られている氷菓子のようで、そこに採っておいた果汁を拝借してかけると、本当に氷菓子のように感じるから不思議である。


「こうして、薄ら積もっている時は好きよ」


 イーディスはようやく見えてきた孤児院に向かって呟いた。

 骨組みだけになった建物や敷地には、白い薄布を敷いたように雪が積もっている。絨毯というほど積もってもなく、もしかしたら、砂糖を散りばめたようだという表現が正しいかもしれない。

 夏の盛りで訪れた時は緑に濡れた雑草が、天下を取ったかのように所狭しと伸びていたものだが、奢れる者も久しからず。雑草や野生化した芋の葉は、薄茶色に成り果てている。くたびれたように垂れ、イーディスが触ると、艶やかさの代わりに硬さを感じる。更に触っていれば、そのままパサリと崩れてしまった。


「お姉ちゃん……」


 アキレスは粉々になった雑草を一瞥すると、まっすぐこちらを見上げた。


「一緒に死のう」


 彼は真剣に見つめてくる。

 冗談ではなく、本気に。なけなしに残った魔力を胸の内で集めているのが、手を取るように分かった。おそらく、胸の内側に秘めた力を一気に開放し、一種の自爆めいたことをしようとしているに違いない。

 イーディスは、そんな弟を見下すと目元を緩めた。


「いいよ」

「いいの?」


 アキレスは目を見張った。あまりにも想像していた通りの顔をしたので、イーディスはしてやったりと悪戯っぽく笑いかえす。


「周りを巻き込むのは悪いことだけど、ここなら誰も巻き込まないし」

「でも、あの人たちと一緒に……生きたいんじゃないの?」

「もちろんね。でもさ、たった一人の弟をおいて逝けるわけないでしょ」


 アキレスは、魔王になって、人々を洗脳して、人を殺して、自分たちだけの甘い世界を作ろうとした大悪人。絶対に許してはいけない存在だが、それ以前に、イーディスに残された最後の家族なのだ。


 イーディスが見捨てたら、誰が彼を救い、許すというのだろうか。


「後悔はある。やりたかったこともある。でも、今度こそ一緒にいたい」

「お姉ちゃん……ごめんね」


 アキレスは目を閉じる。

 イーディスも弟を抱きかかえると、そっと瞼を閉じた。眼の奥に、誰かの姿が見える。誰だろうと注視すれば、ウォルターの姿だった。魔族の特徴を兼ね備えた男が笑っている。

 ふと、ここで彼の外見が異なっている理由について、最期まで聞けずじまいだったことに気付いた。初対面の時は踏み込めなかったが、少しずつ仲を深めていくうちに、いつか聞けると良いなとか思ったものだ。今では外見なんて気に留めたこともなかったから、聞くことも忘れていたが、今の自分になら打ち明けてくれるのではないだろうか。

 

 もっとも、確かめたくても無理な話。

 だって、イーディスは弟と一緒に死ぬのだから。


「お姉ちゃん……最期まで、ごめんね」

 

 アキレスのくぐもった声が聞こえてきた。

 抱きしめた身体の内側から、じわりじわりと熱が高まっていくのを感じる。


 これで終わり。

 イーディスは弟の存在だけを感じていると、白い光が視界いっぱいに広がった。









「この馬鹿! なにやってるんだ!」


 瞬間、鎖のようなものがイーディスの身体に巻き付き、アキレスと思いっきり引き離された。白い光から身体が急速に離れ、堅くて熱いなにかに拘束される。それがウォルターの胸に抱きかかえられていると気づいたときには、白い光の中心から爆発が世界に木霊していた。


「な、なにをするんですか! 私は、アキレスと!!」

「なんでお前たち姉弟は自分を大事にしないんだ。残された者たちの気持ちってのも、少しは考えろ」


 ウォルターはどこか呆れるように言い放つ。


「イーディス、お前は十分頑張った。だからって、死ぬことはないだろう。というか、そこで弟を殺しちゃ駄目だろうが」

「でも、私は――」

「弟を殺さず、罪を償わせることが、一番なんじゃないか?」


 それはそうかもしれない。

 だけど、アキレスは死に体だったのだ。そこまで考えられるわけがなかったし、現にアキレスは爆死してしまった。今度こそ本当に、イーディスを残して。

 そう思うと目頭がじわじわと熱くなり、胸が掻きむしりたいくらい苦しくなってきた。


「ったく、ほら見て見ろ」


 ウォルターは爆発の中心部に指をさした。

 イーディスも釣られて視線を向ける。光はとっくに収まり、白い煙が辺りを渦巻いていた。ウォルターがいた場所には巨大な穴が開いており、そこから後ろに離れたところに、げっそりとした顔のエドワードが目を点にしたアキレスを抱えていた。


「え、どうして……?」

「あいつは神官だろ? 得意分野は精霊を介した神聖術。つまり、治療術だ。アキレスの魔王の力は消滅したんだろ? それならあとは、あいつ自身の身体を治療すればいい」

「簡単に言わないでくださいよ」


 エドワードは地面に座り込むと、疲れ果てたように肩を上下させていた。


「精霊で魔力の暴発を抑え込み、その隙に身体を治療する。言葉で言うのは簡単ですけど、一気に何人も手術するくらい繊細な仕事で、物凄く大変なんですから」

「僕、生きて……え?」


 アキレスはまだ自分の置かれた状況を理解できないらしい。

 手を握ったり開いたりを繰り返し、その仕草を赤子のように眺めている。


「その分、この子には、ちゃんと罪は償ってもらいますよ」

「……そうだね」


 イーディスはエドワードの問いに頷いた。


「アキレス。しっかり罪を償いなさい」


 アキレスは、イーディスの知る真っ白な少年ではない。

 人の命や人生を操作し、殺したこともある。そのような人物に自爆なんて軽々しく自己満足的な死に方をさせてはいけなかったのだ。彼の状態が瀕死の重体から回復しているのを見ると、なんてそんな当たり前のことも分からなかったのだろうか? と疑念が芽生えてくる。


「……もしかして、アキレス。私に認識疎外の力を……」

「か、かけてないよ! かけようかなーとは思ったけど、お姉ちゃんがあっさり了承してくれたから、ちょっとびっくりして」

「かけようとしたんじゃない! 神官様、この子の魔力を封じる枷とかありませんか? ここまで元気になったから、しっかり罪を償わせます」

「それはないよ、お姉ちゃん。可愛い弟を見捨てるの?」

「見捨てないわよ。しっかり罪を償えってこと」


 イーディスが言い切ると、アキレスはがっくり頭を落とした。そんな可愛い仕草に惑わされない。惑わされてたまるものか。魔王は消滅させても、本人は全く懲りた様子がない。


「反省するまで、お姉ちゃんは面会にも行きません!」

「酷い! 分かった、僕反省する!」

「言葉に心が籠ってない!」


 イーディスはぷぃっと顔を背けると、ウォルターと一緒に歩き始めた。

 だが、足取りは軽く、気のせいか頬も心地よい程度に緩んでいた。

 

「な、生きていた方がいいだろ?」

 

 ウォルターが囁いてくる。

 イーディスは頷いた。


「うん」


 生きている。

 イーディスもアキレスもウォルターもそして、エドワードも。生きているからこそ、罪を償うこともできる。未来へと進むことができる。

 

 きっと希望に満ちている、明日に向かって。






次回「悪役令嬢の末路」。


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