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51話


 イーディスは全力を投入する。

 魔を払う範囲は中央広場全体。城の大広間全体を払ったときよりも三倍くらい広いし、人数はひしめき合っていて二十倍以上違う。

 これまでで一番範囲も人数も多い。

 だから、その分、身体にかかる負荷も大きかった。


「うぐっ」

 

 広場全体を一掃するように手を振り払おうとしたのに、その腕が岩でも乗せられたように重く沈み、なかなか動いてくれない。腕だけではない。足は地面に縫い付けられたように動かず、神の手で頭から地面に抑えつけられるような感じがした。


「―—ッ、重っ!」


 だが、払いが出来ない程ではない。

 実際、周りの民衆の動きは止まり、肩のあたりから黒い靄が浮き上がって空へと昇り始める。イーディスの近くにいる者たちから少しずつ、外側に向かって魔を払う力が広がっていく。


「させないよ、お姉ちゃん」


 ところが、アキレスが姉の反撃を許さない。

 彼は上空から、さらっと手を横へ流す。瞬間、これまでイーディスにかかっていた圧力が増した。右腕が押し戻されるのと同時に、せっかく抜け始めていた靄が人々の身体へと戻っていく。あまりの負荷に、イーディスの身体もがくんと傾き、そのまま右膝をついてしまった。


「諦めなよ、お姉ちゃん。お姉ちゃんは、魔王の僕に敵わない」


 アキレスの紫色の瞳は、イーディスを淡々と見下している。


「どうして分からないのかな。お姉ちゃんは僕と一緒に過ごしていた方が幸せなんだよ」

「……アキレス」

「僕やお姉ちゃんを阻害して道具みたいに扱う世界を浄化して、二人仲良く暮らすんだ。ね? 簡単でしょ?」


 アキレスは朗らかに笑う。

 ふわりと花が開くような無邪気な微笑みは、イーディスの心をくすぐった。イーディスは一瞬、目元を緩め、大切な弟へ微笑みかける。


「そうだね、とっても素敵な夢だよ」

「そうでしょ! やっと分かってくれたんだ、お姉ちゃん」

「でもね、それは夢でしかないの」


 イーディスは微笑を消すと、首飾りと同じ紫の瞳で弟を見上げる。


「あの夢で言ったよね。『夢はいつか覚めるもの』って」


 イーディスは払いの力に意識を割きながら、アキレスに問いかけの言葉を重ねる。

 アキレスにとって素晴らしい夢とは、イーディスの意識を閉じ込めていた世界なのだろう。アキレスは、あのとき夢を現実化しようとしている。

 だからこそ、イーディスはその夢を拒絶する。


「貴方の言う甘い夢には留まれない。

 だって、貴方の言うその夢にはウォルターさんたちは入っていないんでしょ?」


 アキレスは何も答えない。

 イーディスの疑問を無言で肯定している。


「ウォルターさんのおかげで、私は前に進むことができた。神官様だって、少しは私を見直してくれた……と思う」

「思うですか」

 

 エドワードが呆れたような顔でツッコミを入れる。

 それでも、以前の彼だったら同じ表情で「はぁ? 貴方みたいなクリスティーヌの足元にも及ばない聖女が戯言を」とか言いそうなものだが、こちらを否定してこない時点で、昔とは違う。だいたい一緒に旅をしていた頃の仲だったら、エドワードはイーディス側ではなく、洗脳されている者たちの場所にいたに違いない。


「ジンジャーやシャンティさんたちとも知り合えた。他にも、いろいろな人に助けられたし、私が知らないだけで陰から応援してくれていた人もいたかもしれない。

 分かり合えないと思っていた人とも……」


 イーディスは怯えて震える女性を横目で見る。


「仲良くはなれなくても、もう少し歩み寄れたかもしれない」

「ふーん? みんな仲良しこよしで生きて行こうっていうの?」


 アキレスは「それこそ甘い」と指摘する。


「世の中そんなに甘くない。大人たちは悪い人ばかりで、同じ孤児同士でも争いや足の引っ張り合いが絶えなかった。いまお姉ちゃんが上げた人たちも、お姉ちゃんが邪魔になれば、きっとすぐに敵になるよ。

 そんな当たり前のことも忘れたの?」


 アキレスの紫色の瞳には、軽蔑の色が見え隠れしていた。


「だから、僕たちは一緒に身を寄せ合って暮らしてたんだよね?」

「それは否定しない。でもさ、少しは信じてもいいんじゃないかなって」


 最初、オークバレーを訪れた時、どうして優しくしてくれるのか分からなかった。

 もちろん、優しい人たちは一部で、ジンジャーを浚おうとしていた人たちみたいな人が一般的なのかもしれないし、イーディスの培ってきた価値観に沿っていた。

 ただ、それだけが全てではない。


「アキレス、人は変わるものだよ」

「人は変わらないさ」

「変わるよ。だって、アキレスだって変わってるじゃない」


 イーディスが逆に指摘すると、アキレスの眉が僅かに動いた。


「なんだって?」

「私の知っているアキレスは、姉思いだった。でもね、他の人を犠牲にするようなことはしなかった!

 だから、私は貴方に怒ってる。あきらかに悪い方へ変わったから」


 祝福の加護と魔力を胸の内から引き出し、右腕に力を籠める。イーディスの腕が軋み始め、肌の至る所から血が滲み始めていた。本当は力を込めるために拳を握りたいが、払いの力を最大限に発揮させるために掌は開いていないといけない。暴風のような圧力が掌に直撃し、右手全体に棘が刺さるように痛みが走る。右腕には雷で焼かれるような痛みが駆け抜ける。

 だが、それでも止まるわけにはいかない。

 そんなこちらの様子を見て、アキレスは瞳に怒りの色をちらつかせる。


「ふーん、だから怒ってるんだ。僕には理解できないね。どっちにしろ、お姉ちゃんには無理だよ。

 魔王三騎士……僕が創り出した分体ならいざ知らず、こいつらは僕の魔力で直接支配している。いかに聖女の力を使おうとも、簡単に剥がれない。それは分かっているはずだ」


 アキレスの怒りを滲ませた声を聞き、イーディスは口の端を持ち上げる。イーディスの微笑みを見て、アキレスは苛立ちを込めるように眉間にしわを寄せた。


「お姉ちゃん、なぜ笑うの?」

「気づいていないの? その言い方、まるで、クリスティーヌたちと一緒だよ?」


 イーディスは挑戦的に変わり果てた弟を見据える。そして、呻くように強烈な痛みとアキレスの圧力を振り切るように、歯を食いしばりながら腕を思いっきり動かした。


「払いの、力よ!」


 声を絞り出す。

 腕が軋み、あちらこちらから血が噴出した。圧力に逆らうように動かしたからか、指が悲鳴を上げるように折れた。その甲斐あってか、アキレスに抑えられていた黒い靄は浮上し、アキレス本人からも薄ら黒靄が揺らぎ始めた。


「そんな、馬鹿な!?」


 アキレスは驚愕のあまり眼が見開き、顔を怒りで歪めた。

 さらに抑え込もうと、圧力をかけてくる。イーディスの足は地面にめり込む勢いで沈み込み、何本かの指は間接ごとに折れ曲がる。引っかかれた痕のようだった腕の傷は更に深く刻まれ、いたるところから血が流れていた。圧力のあまり、身体の内部も悲鳴を上げている。口には鉄の味が広がり、端からは血が一筋流れ始めていた。

 けれど、その程度で、イーディスの意思は変わらない。

 魔王討伐の旅で虐め抜かれ、それを見返そうと努力した。辛い思いは指の数では足りないほどした。それらを全部集めた以上に弟の変貌は胸を抉られるほど辛い。だからこそ、それを乗り越えて、アキレスを元に戻したい気持ちに動かされる。


 だがしかし、思いだけでは足りないこともある


「ッ!」


 魔力が足りない。

 払いの力は、聖女としての「祝福の力」から来るものだが、少量の魔力で使えるからこそ意味がある。その力を以てしてでも、魔力が枯渇する。髪の毛一本から爪先に至るまで、体中からありったけの魔力を集めているのに、あとわずかに足りない。


 まだ、絞り出したい。

 まだ、絞り出せるはずだ。その一心でかき集めようとするが、それでも小匙一杯足りない。その一杯が集めきれない。

 心臓が身体を壊す勢いで鼓動する。その心臓の動きに必要な力を廻してでも、この靄を払い飛ばしたい。イーディスは堅く目を瞑り、身体を急き立てる。

 そんな時だった。


「ったく、お前は無理しすぎだ」


 ぽんと、武骨な手が優しく肩に乗る。イーディスは驚いて目を見開いた。

 

「仲間なんだから、少しは頼れ」

「力を貸すぐらいはしますよ」


 そんな優しい言葉に続くように、もう片方の肩にも手がかけられる。

 両方の手からイーディスの空っぽになった身体に魔力が流れ込み、身体の隅々に染み渡っていく。その温かさを感じながら、イーディスは頬を緩めた。


「これで……」


 イーディスは新たに染み渡った力を祝福の力へに廻し込み、ラストスパートをかけた。


「「「終わりです(だ)!!」」」


 三人の叫びが血の臭いで満ちた広場を越え、王都全体に響き渡るほど木霊する。

 イーディスの腕は勢い良く振り切れ、広場を覆っていた黒い靄は空高く昇り、一陣の風と共に消え去った。

 それは、アキレスも同じだった。


 イーディスの弟は声にならない悲鳴を上げると、両手で顔を覆いながら、真っ逆さまに落下した。






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