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50話


 そこにいたのは、アキレスだった。

 イーディスと同じ白い髪を風に揺らし、紫水晶のような瞳でこちらを見下している。


「久しぶり、お姉ちゃん。このような形で再会したくはなかったけど」

「……」


 イーディスは答えられない。

 胸の中心を剣で貫かれ、そのまま抉られるような感覚だった。身体が揺れているのか眼球が揺れているのか、それは分からなかったが、宙に浮かぶアキレスの身体が不自然に揺れている。

 最初はそっくりの誰かかと思ったが、違う!と細胞の一つ一つが叫んでいる。


 纏う空気、話し方、声……とにかく、すべてがアキレスだった。

 夢で見たあの時以上に、はっきりと実感する。


 イーディスは喉を嚥下させる。

 薄ら気づいていた。

 あの夢の世界で、アキレスが牙をむいてきたときから。

 なにかの節目節目に必ず、アキレスに関する悪夢を見ることから。

 

 きっと、終わりはこんな感じなのだろうって想像がついていた。

 しかし、実際に愛しい弟が現れると身体がすくむ。


「……アキレス」


 ただ、この程度で立ち止まらない。

 そう決めたのだ。イーディスは絞り出すように弟の名を呼ぶと、わずかに強張った身体が緩まるのを感じた。数度呼吸を繰り返し、気もちを整え直すと、彼に向かって問いかけた。


「これはどういうつもり? こんなこと、アキレスらしくない」


 この場にいる者たち全てを洗脳および先導し、クリスティーヌを吊し上げるなんて、心の優しかった弟のする所業だとは思いたくなかった。その一心で語りかけるが、弟は呆れたように首を横に振る。


「酷いな。僕はお姉ちゃんのために一肌脱いだんだ」

「なにを……?」

「ま、待ちなさい」


 イーディスの言葉を遮るように、クリスティーヌがか細い声を出す。彼女は声を震わせながら、宙に浮かぶ少年に愕然としていた。


「その声は……あの水盆の……!?」

「ああ、そんなものもあったな」


 アキレスは蔑むような目を彼女に向けた。


「僕の力も十分ではなかったからね。あの方法で国の力を少しずつ裂いていくしかなかったんだ」

「そん、な」

「だいたい、この僕がお前を助けるわけないだろ? お姉ちゃんを辛い目に遭わせた悪女め!」

「アキレス、そんな汚い言葉を使わない」


 イーディスは弟を注意してから「いや、指摘するのはそこだけじゃないや」と反省する。

 そう思っている間にもアキレスは宙に留まったまま、言葉を吐き捨てるように並べた。


「お姉ちゃんは黙ってて。

 お姉ちゃんを盗られてからの僕の悲しみが分かる? お姉ちゃんを気にも留めてなかった奴らが、手のひらを返してお姉ちゃんを祀り上げたんだ。それだけでも絶対に許せないのに、僕は我慢した。お姉ちゃんが魔王を討伐する崇高な任務についているんだから、僕は黙って帰りを待ち、迎え入れなくちゃって」

「そうして、火事にあった」

「うん。そこの悪女は聖なる力がないからね。魔王の肉体は滅ぼしても、魂まで消滅できなかった」


 魔王の魂は、怒りに燃えた。

 なにもできないまま、聖女ですらない者に負けたのだ。魔王は腹いせとばかりに、聖女の大切な場所を焼き払うことにした。

 そして、最も聖女が大事にしている宝物を奪って、魔王城へと帰還する。


「僕は見たよ。お姉ちゃんが旅路で虐められている様を。辛い思い苦しい思いをして、報われなかったことを。そして――……絶望の底に叩き落とされたところを、遠く離れた魔王城から」


 アキレスの顔は悲痛に満ちていた。

 だが、語る声は徐々に怒りを帯び始めている。紫色の瞳には蔑視と憎しみの炎がちらついていた。


「魔王は提案した。

 『このような末路を抱いた者たちを野放しにしておくのか? 世界に裁きの鉄槌を下したくないか?

 それならば、お前の身体を渡せ。お前とわしで世界を変えよう』って」

「アキレスは、提案を呑んだのね」

「もちろん。僕は二つ返事で了承し、魔王に身体を渡した」

「それはおかしい」


 ウォルターが指摘する。

 

「身体の主導権を奪われたんだ。この神官や他の奴らみたいに、魔王に意識を奪われているはずだ」

「ふん、この犬畜生が。何を言い出すかと思えば」


 アキレスは塵芥でも見るような目をすると、ウォルターを鼻で笑った。


「あんな悪女にあっさりと負ける魔王ごときに意識を盗られるか。むしろ、上書きしてやった。おかげで、僕は魔王の知識を手に入れた。

 そして、お姉ちゃんが笑って過ごせる世界を作ろうと思ったんだ」

「笑って? これが!?」

 

 イーディスは周囲に目を奔らせる。

 民衆の憎悪に満ちた目。クリスティーヌを吊るせと叫ぶ姿。ほとんど無実の者を言いがかりをつけて排除するなんて、醜い以外のこの上ない。


「これを私が喜ぶと思ったの!?」

「んー……そうか。お姉ちゃんは聖女だから、そこまで認識を変えられないのか」

「何を言って……」

「金髪のアホ面。こいつが誰だかわかる?」

「王太子でしょ?」

「何を言っているのでしょう! 彼は王になったのですよ?」


 イーディスがさらっと答えると、クリスティーヌが弾かれたように声を上げる。イーディスは眉間にしわを寄せたが、クリスティーヌの眼は恐怖で彩られている。その目を見ていると、徐々に霧が晴れるように歪められた思考が戻っていく。

 

 彼が王太子だったのは、旅をしている時。

 王亡き今、彼がこの国の王である。帰国した当初から、ずっとそうだったはずだ。イーディスは全身から血の気が引いて行く思いがした。


「その悪女は苦しんでもらわないといけないから、記憶の操作までしなかったんだ。

 でも、この場は仕方ないよね。だって、お姉ちゃんを酷い目に遭わせたのは王ではなく王太子なんだから。


 ……ま、聖女とその周辺に長くいた人物は、認識改変の術が小匙一杯分しか効かなかったみたいだけど」


 アキレスは吐き捨てる。

 

「さて、おしゃべりはここで終わり。

 さっさと邪魔者は退散して、僕とお姉ちゃんとで仲良く楽しく過ごそう!」


 アキレスは無邪気に笑うと、ぱちんと指を鳴らした。

 瞬間、周囲の時が動き出す。かたんと前に倒れるように揺れたかと思えば、彼らはゆっくり顔を上げた。その眼には虚ろな色しか宿っていない。王族も騎士も民衆も、すべての者たちは感情もなく意思もなく、ただ操り人形のように、かたかたと揺れながらこちらへ近づいて行く。


「っち、この数を鎖で縛るのは無理があるぜ」

「私の拳でも、この数は……」

「そ、そもそも、自国民に剣を向けることはできませんわ!」


 アキレスの意味する「邪魔者」たちを取り囲むように、圧倒的な数の者たちが集ってくる。

 

「大丈夫。お姉ちゃんには攻撃しないから」

「……アキレス」


 イーディスは静かに目を瞑る。

 

 大好きなアキレス。

 宝物のように育てた一人の家族。

 優しくて慈愛に満ちて、ちょっと身体が弱かったけど、すくすく育った自分の生きる希望。まっすぐ育って、ゆくゆくは素敵な女性と出会って、恋をして、結婚して、子どもを育み、幸せだと微笑みながら死を迎える。

 優しく慈しみ、褒めて伸ばす。それが、イーディスの教育方針だったし、これまでほとんどアキレスのことを叱ったことがない。

 だから、このまま順調に幸せの道を辿るのだと思っていた。

 イーディスは、アキレスがそんな幸せを手に入れられるように、必死になって働いた。魔王討伐もその一環だと思えば、苦しくても乗り越えることができた。


 その彼が最高の微笑で、人を殺そうとしている。


「さすがに、これは許しません!」


 その事実は、姉として許せるものではない。


「私は、アキレスに最低最悪な復讐をするように!」


 クリスティーヌのことを褒めるばかりで窘めなかった男たちと同類にされたくない。

 それに、ここで怒らなければ、誰が彼を叱るというのだろうか。


「育てたわけでは、ありません!」


 イーディスが叫ぶと、首飾りが眩いばかりの光を放つ。

 そして、周囲に沸き立つ黒い煙を吹き消すように、勢いよく右手で世界を払った。


「祝福の加護よ! この者たちの眼を覚まさせよ!」






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