49話
久しぶりの更新です。
遅くなって申し訳ありませんでした。
ラストスパートをかけるように、コンスタントに更新を再開しようと思います。
「どうしよう」
イーディスは震えあがった。
いままで自分を毛嫌いしていた者たちが、手のひらを返したように異様なまでの好意を向けてくる非常事態。この事態を解決するために、以前と同じように振る舞うクリスティーヌに助けを求めたかった。
いついかなるときも、皆の中心に立ち、役立たずだったイーディスの代わりに魔王討伐までこなす才女なら、この事態を解決するために協力してくれるのではないかと考えていたのだ。
もちろん、彼女のせいで辛い思いもしたが、それを差し置いてでも、協力をお願いしたかった。
それなのに、彼女は王太子たちに連行されてしまった。
イーディスはそれを見ているだけで、何もすることができなかった。
「すみやかに処刑は行うつもりだ」
王太子がにこやかな笑顔で恐ろしいことを告げてくる。
「そんな!? 彼女が何をしたというのですか!?」
「国家転覆罪だ。連日の夜会に度重なるドレスの新調、それに聖女である貴方への悪質ないじめ。罪状は山のようにある。
本当に、あのようなものが婚約者だということが恥ずかしい」
王太子は吐き捨てるように言い放つ。
それを見て、さらにイーディスの恐怖が膨らんだ。
「そん、な……あんなに想っていたではありませんか!?」
王太子は一途にクリスティーヌを愛し続けていた。
むしろ、王太子こそイーディスを「クリスティーヌに近づく貧民」と呼び、率先していじめていた張本人である。そのことをなかったことのように振る舞い、愛していた人を憎悪している。
「あの悪女を!? 君は夢でも見てるのではないか?」
王太子の顔は平然としている。
怖い。
イーディスは頭を抱えて逃げ出したくなるくらい、怖くてたまらなかった。
「あいつの処刑が終わったら、お前を妃に迎え入れてやる。安心しろ、すぐ終わるさ」
王太子はにこやかに微笑みながら告げると、マントを翻して去っていった。
イーディスは恐怖のあまり座り込みたくなった。なんとか足を踏ん張ることはできたが、少し震えているのが伝わってくる。
「……どうしよう、私……」
「考えが浅いのですか、聖女は」
神官のエドワードが呆れたような声で言う。
彼は普段通りだ。自分に対し、どこか嫌味ったらしく話しかけてくるのが以前は苦手だったが、このような事態になった今は心地が良い。
「いいですか、処刑を止めることはできません。王太子の権限は発動してしまっています。王太子は確実に操られていますが、それを止める手段がない以上、いくら注進しても聞き入れられることはないでしょう」
「う……」
イーディスは項垂れた。
王太子を含め、おかしくなった人たちは魔族に操られているはずだ。普段は魔族が憑依しているかしていないか、自分の眼で見極めることができるのに、今回に限ってそれができない。
聖女であるイーディスが感知できないほど強大な敵によって支配されているか、それとも、憑依とは別の方法で支配を受けているのか、現状分からない。だから、解呪することもできなそうだった。
「なに言ってんだよ。簡単なことだろうが」
もう一人、この異常事態に支配されていない人物――……イーディスと偽装婚約をしているウォルターが掌に拳を打ち付ける。
「憑依にしろなににしろ、王太子を操ってる黒幕を叩けば解呪されるだろ」
「でも、どこに隠れているか分かりません」
「だから、な。すぐ弱音を吐くところがお前の悪い所だ」
ウォルターは口ぶりこそ辛辣だったが、声色はどこか優しく言葉を紡いていた。
「いいか? 黒幕はクリスティーヌが処刑されることを望んでいる。ということは、処刑される瞬間を見に来るんじゃないか?」
黒幕が、クリスティーヌの処刑という一番美味しい所を見に来ないわけがない。
「でも、来なかったら……?」
「来なかったら、処刑を無理やり止めればいいだろ」
「随分荒っぽいやり方ですね。これだから、辺境伯は……」
「なんだよ、悪いか? 神官野郎」
神官のエドワードは小馬鹿にしたように首を振る。
「いいえ、半分賛成です。せっかくですので、もうひと捻り、策を加えましょう」
エドワードは怪しげに微笑み、三人で額を合わせて話し合う。
「……それ、でいいの?」
イーディスは目を丸くしながら、聞き返した。
「問題ありません。これで確実に出てきます」
「だけどよ、危険すぎねぇか?」
ウォルターはイーディスに心配そうな視線を向ける。
イーディスはぎゅっと目を瞑り、覚悟を決める。
エドワードの立てた策は、自分の身を危険に晒す作戦だった。だが、それが一番良いことを聞かなくても十分に分かっていた。黒幕が誰なのか分からないが、薄らと脳裏に浮かんでいる存在なのだろうと思う。ならば、この策はきっと効果てきめんだ。
「やります、私。やってみせます!」
怖くても、足が震えても、前を向いて頑張りたい。
数か月前までの自分は、孤児院を無理やり連れだされ、聖女にされた一小娘だった。あの頃の自分なら恐怖に突き動かされるように、逃げ出していたかもしれない。クリスティーヌを可哀そうと思いながらも、見捨てていただろう。
だけど、今の自分は少し成長している。少なくとも、彼女を見捨て、その後悔を抱きながら生きていけるほど強くないし、弱くもない。後悔するくらいなら、全て最善を尽くしてもどうしようもなかった時だけにしたい。
だから、イーディスは怖くても顔を背けずに、エドワードの策に乗っかることを決めた。
きっと自分たちのためになるのだと信じて、自らの意思でクリスティーヌを救いたい。
そして、彼女を殺そうとする黒幕にどうしても会わなければならない。
「少しくらいの怖さなんて、へっちゃらです」
イーディスは自分に言い聞かせるように呟いた。
「随分と前向きになったもんで」
「少しは聖女らしくなったのではありませんか?」
ウォルターとエドワードが互いに顔を見合わせて笑うと、ほとんど同じタイミングで拳を突き出してきた。イーディスは少し戸惑ったが、彼らの意図していることを察して、自らも右拳を突き出す。
「んじゃ、作戦開始ってことだ!」
ウォルターの宣言と同時に、イーディスたちは互いの拳を軽くぶつける。さながら、宴会の乾杯のようだとイーディスはどこかで感じながら、口の端を持ち上げる。
「ええ、やってやりましょう!」
その宣言から三日後。
王太子の言葉通り、王都の大広場でクリスティーヌの処刑が行われた。
親族の処刑は既に終了し、ギロチン台の周囲は血が散乱している。もちろん、遺体と首は既に脇へと避けられていたが、民衆の歓喜に近い声は止まらない。イーディスは王太子の横に控えながら、ぞっとする思いで処刑を眺めていた。
幼い頃、年越しの祭りで訪れ、明るい声で賑わっていた広場とは到底思えない。
「娯楽がないから処刑は民の楽しみ」なんて言葉も聞いたことがあるが、それにしても異常な熱気である。遠目に見える民衆の眼はどこか血走り、正気でないように思えた。
きっと、あの姿も王太子同様、魔族に操られているのだろう。
せっかく魔族か否かを見極める目を持っているのに、その判別がつかないなんて、正直、悔しかった。
「さて、続きましては今回の大主犯。聖女様を侮辱し、国家の財産を使いたい放題した王国史上最低の悪女、クリスティーヌ・エンバスです!」
処刑人が高らかに叫ぶと、怯えた表情のクリスティーヌが広場に連れてこられた。民衆の熱気は最高潮に達し、歓喜の声で広場の空気も震えている。狂おしいまでに喜び勇む民衆とは引き換えに、クリスティーヌの表情は青ざめ、震えているのがよく見えた。普段はルージュを引いていた唇も紫色に染まり、着ている服も最高級のドレスではなく、白い木綿のワンピースだ。それも、ありとあらゆるところが汚れ、裾は乱雑に破かれたようにボロボロである。視ているだけで痛ましい気持ちが沸き上げてくる。本当に彼女は罪人とは言い難いのだから、なおさらだ。自慢の金髪も疲れたように垂れ下がり、目元にはくっきりとクマが浮かび上がっている。眼もぎょろっと大きく見えた。
それなのに、まだ足りないとばかりに騒ぎ立てる。
「……彼女は貴方の婚約者だから、死刑囚とはいえ最高級の扱いをと頼みましたけど?」
イーディスは咎めるような口調で、隣に佇む王太子に尋ねる。
「ああ、死刑囚として最高級の扱いだ。他の死刑囚のように相部屋ではなく、あいつのために個室を用意させたくらいだ。まったく、あんな奴は相部屋でこの世の地獄を味わわせればいいものを……」
王太子は酷く整った顔で下種な言葉を平然と言い放った。
イーディスは眉をしかめてしまう。
だが、その一方でこいつならやりかねないと思う自分もいる。
魔王討伐の旅の途中、王太子は毎日、毎日、なにかにつけてイーディスをいじめていた。叩いたり蹴ったりは日常茶飯事で、まだ無視される方が良かったと思ったものだ。その悪行は、神のごとく整った顔からは想像できない。
だから、クリスティーヌにこのような仕打ちを眉ひとつ動かさずにできるのだろう。
恋人に対する姿勢だけは良いのかもしれないが、その他が最低だ。彼の中に赤い血は流れていないのかとさえ思えてしまう。もしかしたら、王族として当然の行いをしているのかもしれないが、それだとしたら、こんな王家は滅んでしまった方がためになるのではないかと思えてくる。
少なくとも、先代の王はまだ真面だった。
きっと、無事に王太子がクリスティーヌと結婚していたところで、この国は滅びの一途を辿ったかもしれない。そう思わせるような、王太子だと今回の出来事で再認識する。
「ほら、聖女よ。見てごらん、あの悪女が処刑台に上がるぞ」
王太子がイーディスの肩に手を置くと、耳元で囁いてくる。
イーディスはクリスティーヌに目を移した。
「わ、わたし、何もしてないわ」
小動物のように肩を震わせ、細い声で訴えている。
だけど、聞き入れる者は誰もいない。処刑人も乱雑に彼女を引っ張り上げ、ギロチンの前に押し出そうとする。クリスティーヌの涙で濡れた青色の瞳が、こちらに向けられた。旅の仲間を始め、王太子、そして、最後にイーディスに向けられる。
普段の余裕に溢れ優雅な彼女は微塵も残っていなかった。
ただ、迫りくる死の恐怖に震え、助けを求める小鹿のようだ。イーディスは拳を硬く握りしめる。
「さて、悪女 クリスティーヌ。ここに裁きの鉄槌を下す!」
王太子が高らかに宣言した。
どっと観衆が沸き立ち、クリスティーヌの首がギロチンの下に添えられる。そして、死刑執行人がギロチンの刃を落とそうとした、その瞬間。
「待ちなさい!!」
イーディスは力の限り叫んだ。
王太子の手を振りほどき、ギロチンの方へ走り出す。
「この女性は魔王討伐の際、国のために働いた功労者です」
イーディスが話し始めると、周囲に困惑の色が広がり始めたのが分かった。
「確かに、彼女が国庫を使ったことはあったかもしれません。その罪には問われるべきでしょうが、それを打ち消せるほどの活躍を彼女はしていました」
「せ、聖女。なにを――……」
「数多の村を盗賊の危機から救い、魔王の四天王も単独で討ち取り、魔王と懸命に戦った事実をお忘れでしょうか?」
途中、王太子が口を挟もうとしてきたが、拒絶するように話を続ける。
イーディスの足は、まっすぐ処刑台へと向かっていた。13段ある階段を上がりながら、まっすぐ前だけを見つめて話し続ける。
「確かに、魔王の脅威はまだ残っています。ですが、魔王討伐の第一の功労者であることには違いありません。貴方方もそれを承知で、凱旋パレードに参加したのではありませんか!? 凱旋パレードで最も祝福され、祝賀されていたのが誰のなのか、忘れてしまったのでしょうか?」
一段、一段、踏みしめるように階段を上がる。
クリスティーヌの怯えるような視線を感じながら、イーディスは階段を登り切る。処刑台から望む光景は、集まった民衆の1人1人の顔がくっきりと浮きあがって見えた。もう歓喜の色はない。困惑の色の方が強く滲み出ている。ところどころ、頭痛を抑えるように額に手を当て、しゃがみこんでいる者もいた。
「たとえ、功労者であったとしても、このように罰せられるのでしたら……まず、私が殺されるべきでしょう。魔王討伐の旅では、お荷物扱いで、お払い箱にされた私こそ、処刑されるにふさわしい人間のはずです」
イーディスは横たわるクリスティーヌの手を引いた。
よろよろと立ち上がるクリスティーヌは、何も語らない。イーディスになされるがままに成っていた。
「私は、聖女というだけで旅に同行していたのです。それなのに、何もできませんでした。国庫から旅の費用を出してもらっているのに、何も成し遂げられなかったのです。つまり、私は国庫の財産を不当に使った悪人でしょう」
イーディスは高らかに宣言する。
声が少し上ずり、小刻みに震えている。気が付けば、自身の視界も揺れていた。
「だから、クリスティーヌ様を殺すなら、まず、私から殺しなさい!」
誰も、何も答えない。
賛成の言葉どころか、反論の言葉すら出てこなかった。
「お、お待ちになって」
唯一、声を上げたのは、イーディスが立たせた侯爵令嬢だけだった。
「なんで、貴方が……?」
「国庫の財源を不当に扱ったことが罪ならば、私の方が先に罰せられるべきですよ」
イーディスは少しだけ微笑みを浮かべた。クリスティーヌは虚を突かれたように呆けている。クリスティーヌのせいで辛い思いもした。だけど、聖女であることしか取り柄のない孤児だった自分が、完全無欠完璧な美少女からその顔を引き出せた。その事実だけで、十分だった。
「さあ、私の処刑を始めましょう」
イーディスは叫ぶと、自らギロチンの下に首を置いた。
処刑人が背後で動き出す音が聞こえる。
「ま、待ちなさい。聖女様を殺すわけにはいきませんわ!」
処刑人を止める声を出したのは、クリスティーヌだけだった。
クリスティーヌの声が自身の助けを求めるときよりも必死なように思えるのは、たぶん気のせいではないだろう。しかし、処刑人は容赦なく、死刑執行準備を続ける。
「……さよなら、私」
イーディスが小さく呟くと同時に、頭上でギロチンの灰色の刃が輝き、切り落とされる音が聞こえた。
「……」
痛みはなかった。
理由は単純で、首は切れていなかった。
イーディスが顔を上げると、ギロチンが不自然な位置で止まっている。イーディスはすぐに後ろを振り返った。死刑執行人は確かにギロチンの刃を落としていた。しかし、時を止めたかのように空中で止まっている。
イーディスは素早く周囲を見渡した。
そして、見つけた。
民衆の中に、黒い煙に包まれたフードの人物がいることに。
「あそこです! あのフードの人!」
「よし来た!!」
イーディスが処刑台の上から指さすと、ウォルターが隠れていた屋根から姿を現した。
「土の素よ、捕縛せよ!」
ウォルターが叫ぶと、フードの人物の足元から銀の鎖が数本、勢いよく伸び始め、拘束しようと唸りだす。銀の鎖はフードの人物に巻き付き、地面に縫い付けようとした。ところが、縄抜けをするかのように、その人物は空高く浮上する。
突然の事態に、民衆どころか王太子の仲間たちすら、何も言わない。
呆然と、力が抜けたように佇んでいる。まるで、抜け殻のように。
「……これも、クリスティーヌ様を処刑しようとしたことも、貴方の仕業ですね」
イーディスは、魔族の気配を漂わせたフードの人物を睨み付けた。
「姿を見せなさい!!」
「……仕方ないな」
民の上に浮遊している人物は子どもっぽい声色で呟くと、フードを勢いよく脱ぎ捨てた。




