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払いの聖女 ‐悪役令嬢が無双したあとの世界で生きていく‐  作者: 寺町 朱穂
第5章 聖女、監獄迷宮から脱出できるか?
56/69

45話

 

「私の行く手を邪魔するなら……容赦はしない!」


 イーディスは宣言と同時に走り出した。

 前に行くことがかなわないのなら、アキレスの偽物を倒して突破するしか道はない。幸い、偽物は丸腰だ。剣を持つこちらの方が有利である。



「お姉ちゃん……」



 アキレスは苦しそうに顔を歪めた――が、それは一瞬だった。すぐに、苦し気な色は拭い去られ、今まで見たことがないくらい冷酷な表情へと変貌を遂げる。



「そうか……お姉ちゃんとは戦いたくなかったけど……」



 それでいて瞳の奥には、どこか寂しそうな色が浮かんでいた。



「お姉ちゃんを眠りに落とそう。うん、それしかない」



 アキレスの手に黒い霧が急速に集った。そして、黒い霧のままこちらに切りかかろうとしてくる。イーディスは思わず足を止め、剣で霧を払おうとした。だが、イーディスの耳に届いたのは空気を割く音ではなく、乾いた金属音。払ったのは霧ではなく、霧から生まれた黒剣だった。



「僕だってね、もう無力な子どもじゃないんだよ。僕は剣だって振るえるし、お姉ちゃんを――永遠に守ることだってできるんだ!!」



 アキレスは黒剣を握りしめている。

 彼はそう叫ぶと、逆に私の方へ向かってきた。



「お姉ちゃん。抵抗しないでね、すぱっと眠らせてあげるから!」



 瞬間、アキレスの顔が正面に迫って来る。

 目の前に黒い剣先が突き出された。



「――ッ!」



 イーディスは考えるより先に、剣で弾き返していた。

 そこから先は、剣戟の応酬だった。

 刃と刃が激突する。火花が飛び散る。一撃を受ける度、イーディスは呻いた。剣を受けるたびに伝わる振動で、腕は痺れ、余波で今にも身体が吹き飛びそうだ。



「それは、永遠の眠り、かな?」



 だけど――身体は動く。

 この身に刻まれた記憶が、剣を振るい続けてくれる。



「お姉ちゃんは僕には敵わないよ。それに、忘れているだろうけど……お姉ちゃんはね、ここにいた方が幸せなんだよ。だから、剣を置いて。ずっとここで暮らそうよ」



 アキレスが諭すように語りかけてきた。

 こちらは必死になって剣を操っているというのに、彼の口調は余裕が見える。力の差は――歴然としていた。



「……確かに、そうかもね」



 イーディスは苦笑いを浮かべる。確かに、彼の言い分には一理あるかもしれない。こうして剣を振るってみることで、改めて自分の異変を冷静に感じることができる。



 ただの孤児の娘が、剣を習得しているはずがない。

 ただの孤児の娘が、剣を取り出せるはずがない。

 ただの孤児の娘が――アキレスを名乗る謎の強者と対等にやり合えるはずがない。



 イーディスには思い出せないが、あの美少女が語った「聖女」と関係しているのかもしれない。

 もし――聖女になったら、魔王討伐の過酷な旅をしなければならない。

 その仲間ともなれば、きっと貴族に連なる方ばかりだろう。平民以下の孤児が気やすく接していいはずがないだろうし、当然、討伐が終わるまで最愛のアキレスと会うことも叶わない。


 それは、きっと――孤独で辛い旅。

 イーディスは、想像するだけで背筋が凍る思いがした。

 そんな辛い現実と直面するくらいなら、この幻影の世界で微睡んでいた方が幸せかもしれない。だが――



「でも、残念。夢はいつか覚めるものよ」



 それが悪夢にしろ、なににしろ、いつかは覚めて現実に一歩踏み出さないといけないのだ。



「だから――私はここから出る!!」



 イーディスは歯を食いしばると、いまできる限りの力を剣に込める。

 すると、剣の刀身に紫色の粒子が沸き上がってきた。否、沸き上がって来たのではない。粒子はイーディスの首飾りから腕を伝い剣へと集う。その輝きは、まるで夜明けの光を見たときのように、胸の内にくすぶっていた不安や恐れが払拭されていく。



「そんな――っ、聖女の力が、どうして!? 今のお姉ちゃんに、その力は使えないはずなのにっ!」

「さあ、分からないけど――使えるなら使っておかないとね!!」



 煌々と輝く紫の輝きは、アキレスの怯えた顔を照らし出した。

 しかし、イーディスは幻影のアキレスに惑わされることはない。柄を握りしめる両腕に渾身の力を込めて、イーディスは紫色の剣を振り上げた。



「消え失せろ、偽物――ッ!!」



 光が奔る。

 それは吠えるように、空間を貫く轟音を立てながら、アキレスに襲いかかった。彼は黒い霧を盾のように展開させ防御の構えをとったが、紫の大洪水の前では無力だった。黒い盾は濁流に押し流されるように粉砕され、塵となって霧散する。その後ろにいたアキレスは――



「っく、やっぱり写し身だと、この程度か。待っててね、お姉ちゃん。またすぐに――」



 その声も、小さな姿も、すべてが紫の光に消えていく。






 光が完全に消えたとき、目の前に広がっていたのは見知らぬ天井だった。

 天井しか見えないから分からないが、背中に感じる暖かな柔らかさから察するに、どこかのベッドに寝かされているに違いない。

 そうなると、自分は夢から覚めたのだろうか。そう思って身体を起こそうとしたが、どっと疲れが押し寄せてきた。身体を起こすことはおろか、指だって一歩も動かせそうにない。

 ただ、それは罰掃除を延々としたときの疲れとは違って、どこか心地の良い疲労だった。



「そっか、私……聖女だったんだ」



 イーディスはパズルのピースが一つ埋まったような感覚に、ほっと安堵の息を零した。柔らかなマットレスに背を預け、呼吸を落ち着かせながら――1つ1つ、記憶を確認する。



 聖女だと思い出すと、糸を紡いでいるかのように記憶が蘇ってきた。



 いきなり聖女の認定を受け、旅に出たこと。

 クリスティーヌ・エンバス侯爵令嬢が異様に強く、旅の仲間たちからの好意を一身に受けていたこと。

 そして、自分は終始お荷物扱いだったこと。


 最後の最後まで、ずっとクリスティーヌが活躍し続け、魔王も彼女が一撃で倒したこと。



 しかし、その後が思い出せない。



 まだ、頭に靄がかかっている。

 自分は魔王討伐の旅から戻ってきたはずだ。

 魔王討伐の旅から戻ってくれば、孤児院に帰ることができたはず。それなのに、あのアキレスの反応から察するに、アキレスと再会できていない。ならば、帰れなかったのは何故なのだろうか。自分なら、手足を切断されたとしても彼に会いに行くはずである。




 ……それに、記憶の中では一度も「聖女の力」を使っていない。



 つまり、まだ戻っていない記憶がある。

 だから、これは夢の続きなのかもしれないし、ただ記憶が一部欠損して目覚めてしまったのかもしれない。個人的には後者の方がありがたい。


 これは……聖女の力を無理やり引き出し、夢から強引に目覚めてしまった弊害だろうか。

 そんなことを考えていると、遠くから足音が響いてきた。


 一瞬、この状況を教えてくれる人だと良いなーなんて甘い考えが浮かんだが、すぐにそれを打ち消す。

 人生、そう上手くいくものではない。天井には紋様一つない。ベッドは柔らかいとはいえ、孤児院のよりはマシな程度。しかも、どことなく肌寒く、空気が魔王城の地下牢とよく似ている。



 きっと、ここはロクな場所ではない。



 イーディスはそう判断すると、身体の気怠さに逆らって身体を起こした。案の定、部屋に家具はない。あるのは自分が寝かされた石造りのベッドのみ。それが、まるで祭壇のように部屋の中央に安置されている。周りには燭台しかなく、なにかの儀式を執り行った場所のようだ。



「……これ、気味悪い」



 一刻も早くこの場から離れよう。

 イーディスの本能がそう告げていた。直感に突き動かされるように震える足を動かし、唯一ある出口へと向かおうとする。こうしている間にも、足音はどんどん近づいてきている。しかも、イーディスの気のせいでなければ、先程よりも速くなっている。


 この場に逃げる場所はもちろん、隠れる場所もない。

 捕まったら、鎖で拘束されるのだろうか。それとも、殺されるのか。



「……大丈夫」



 イーディスは深呼吸をした。

 腰に剣はある。首飾りも胸にある。それに、近づいてくる足音が敵だと完全に決まったわけではない。ならば、まだなんとかなる。そもそも、この部屋に入ってこないかもしれない。


 だったら、ここから出ずに留まるべきだ。

 イーディスはドアの傍で息を潜めた。とうとう足音がすぐ傍まで来た。ここにきて速度を落とし、ゆっくり近寄って来る。やはり、目的はこの部屋なのだ。そう思うと、イーディスの心臓は激しく脈を打ち始めた。


 そして、軋むような音と共にドアが開かれる。

 ドアの影に張り付くように縮こまる。できる限り、見つからないように。しかし、わずかに震えたイーディスの視界に、靴の先が入る。やはり、一か八か、ドアから逃げた方が良かったのだ。




 なにせ、そこにいたのは――




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