41話
イーディスは、コゼットを静かに見据えた。
現在、彼女との距離はまずまず離れている。ここから短弓で矢を放てば、辛うじて届くか届かないか程度。剣で切りかかるのは、もちろん無理だし、中距離戦闘用の攻撃魔術でも、コゼットのみを確実にとらえるのは限りなく不可能だろう。
下手したら、周りの観客に被弾し、混乱を巻き起こしてしまう。それだけは避けなくてはならない。
「……ッ」
イーディスは唇を噛んだ。
幸いなことは、エドワードが彼女の腕をつかんでいる点だ。
彼が拘束を続けている限り、コゼットが逃げ出す心配はない。だが、それもいつまで続くか分からないのだ。
イーディスの記憶が確かならば、コゼットは特に際立った魔力があったわけでも技術があったわけでもない。聖女のように優しく慈愛に溢れた孤児の少女、それ以外、特筆する点はなかった。
しかしながら、今のコゼットは魔王に魂を売ってしまっている。
イーディスの想像を絶する力を隠し持っていても不思議ではないのだ。
「ふーん、そう」
彼女もイーディスの纏う空気が変わったことに気づいたのだろう。目の奥が興味深そうに光った。
「あくまで芝居つもりなら、乗ってあげようじゃない」
コゼットは愉快そうに笑うと、エドワードを一瞥した。
エドワードも彼女が何か行動を起こそうとしたのを察したのだろう。そのまま拘束をかけようと、コゼットの腕を握る手に力を込める様子が見てとれた。
しかし、それはすべて徒労に終わる。
コゼットは
「でも、それなら……私も舞台に行かないとね」
と、歌うように宣言すると、華麗に地面を蹴った。
そう、エドワードに拘束された右腕を切り離して。
「――えっ、嘘でしょ!?」
イーディスは聖女の演技を忘れ、絶句してしまった。
「言ったでしょ。私は生きていたいの」
コゼットは右肩を優雅に掲げる。
「いつまでも若々しく、できるかぎり幸せに!」
その言葉と共に、彼女の右肩に黒い靄が集約した。靄は徐々に腕の形になり、病的なほど白い腕へと変化を遂げていく。
「さあ、始めましょうか、聖女様。さくっと貴方を倒して――」
コゼットは生み出されたばかりの白い右腕を外套の下に入れると、銀色に輝く短剣を引き出した。
「魔王に献上するわ!」
その言葉を合図に、コゼットは走り出した。イーディスは長剣を構えなおした。急速に迫ってくる短剣を避けることは難しい。イーディスは歯を食いしばると、コゼットの一撃を受け止める。
「――ッ!!」
予想以上に重い一撃だ。
これでは、演劇用の長剣が折れるのも時間の問題だ。
イーディスは足に力を入れ、そのままコゼットを押し返そうとするが、彼女は彼女で全体重を圧せてくる。本当に、あの細い身体のどこに、これほどまでの力が宿っているのだろう。
「この力も、魔王から貰ったの?」
「ええ、そうよ! だって、完璧な身体でなくては、生きていても意味がないじゃない!」
コゼットの顔は恍惚と輝いていた。
もはやそこに、孤児院時代「聖女」と称えられていた娘の姿はない。
「若々しくて、美しくても、か弱き娘だと、殺されちゃうかもしれないでしょ?」
イーディスと対峙しているのは、どこまでも欲深な美少女。
否、彼女を「欲深い」なんて言葉で片付けるのは違う。なにしろ、「いつまでも若々しく」なんて願いは、きっと、人間であれば、誰もが一度は感じる願望の一つ。
今回のことは、彼女がその願望を実現させる機会を手にしてしまっただけのこと。
「だから、魔王に……」
そして、その方法こそ――魔王を倒す聖女として、決して見過ごすわけにはいかない行為だったということだ。
「……いや、そうでなくても、許すわけにはいかないか」
コゼットにしか聞こえないくらい小さな声で囁くと、イーディスは剣に力を込めた。
「イーディスの名のもとに……風の素よ、剣に宿れ!!」
瞬間、イーディスの剣を中心に豪風が吹き荒れる。
イーディスが全身全霊をかけて足に力を入れているのに対し、コゼットは剣のみに体重をかけていた。今の彼女には、すべてを吹き飛ばす勢いの風に抗う術はない。
「――き、きゃああ!」
コゼットは甲高い悲鳴を上げて、風に巻き上げられた。
「風よ、コゼットを閉じ込めろ!」
イーディスは鞭を操るように剣を振るった。
剣の動きと連動し、コゼットを捕らえた風が竜巻となり、そのまま豪風の渦に閉じ込める。
風系魔術で作り出す防壁の応用だ。本来なら竜巻の中心に隠れ、敵の攻撃を弾き返すための守護の技だが、中心を限りなく狭め、標的を風に巻き上げれば、一緒に巻き上げられた小石や木の枝、そして、人肌を切り裂く鋭い風が絶え間なく攻撃を与える。
一種の風の牢獄の出来上がり。
今のコゼットの身体は、まるで風に舞い上がる木の葉のようだ。通常であれば、これで風が刃のように対象の全身に襲いかかり、切り傷だらけになるはずなのだが、さすがは魔王が与えた「完璧な身体」なことだけはある。コゼットの白い肢体から血はおろか、傷口一つさえ見当たらない。
ところが、コゼットが反撃に出る様子はなかった。
否、コゼットなりに反撃はしている姿は見てとれた。風を切ろうと短剣を振るおうとしたり、吹き払おうと手足を動かしてみたり、必死でもがいている。だが、そこまでだった。冷静になれば打破できるのかもしれないが、状況に焦っているのか、目が泳いでいる。結果、イーディスの風に打ち勝つ一手まで到達していない。
「……きっと経験の差ね」
イーディスはコゼットを見据えたまま、感想を口にする。
わずか半年の間に得た身体は強靭極まりないが、きっと、ほとんど戦闘を経験してこなかったに違いない。
無論、イーディスもウォルターやエドワードに比べたら、戦闘経験なんてないに等しい。
だが、少なくとも、コゼットよりは長く剣を振るってきた。王国有数の実力者たちから鍛え《いじめ》られ、ウォルターの元で修業を重ねた。
近隣の洞窟で突然、魔王の四天王と遭遇したこともあったし、聖職者に憑りつく魔族も見た。そして、なにより、クリスティーヌが圧倒的な強さで魔王を倒した場面も目撃したのだ。
いまさら、コゼットの腕がとれた程度で驚きを引きずる自分ではない。
「さて、いきます」
とはいえ、所詮は演劇用の見栄えだけが良い長剣だ。刃が風圧に耐えきれないとでも訴えるかのように軋むが、そこは「決着がつくまで耐えてくれ」と願うしかない。
ただの風では、コゼットに傷一つ付けることはできない。
魔王の力や彼女の再生能力を上回るほど圧倒的な攻撃を与え続ければ、いずれは死に至るかもしれないが、その手の技は持ち合わせていない。あのクリスティーヌでもなければ、不可能な方法だろう。
だが、イーディスにも奥の手がある。
「聖女の名のもとに!」
イーディスは豪風に負けないくらい声を張り上げた。
コゼット自身は人間で、イーディスの目から見ても魔族特有の「黒い靄」は視えなかった。
だが、彼女の腕が再生したとき、確かに「黒い靄」が視えた。
あの身体は魔王の力で造られているのであれば、それは「魔を払う」対象になる。
少々強引な解釈かもしれない。もし、予想を外したら、風を維持することはできなくなり、形勢は一気に逆転されてしまう。
しかし――
「祝福の加護よ!! 我が剣に……この風に宿りて、魔を打ち払え!!」
もう他に打てる手段はない。
イーディスの詠唱に呼応し、指先から剣に紫の光が波のように広がっていく。そのまま剣に満ちた紫の光の粒子は、怪しく輝きながら逆巻く風に乗った。
そして―――
「頂いたイラスト」を最初に挿話しました。
本当にありがとうございます!




