2話
「これ、レオポルト! 失礼であろう!」
すぐさま髭を蓄えた老人が、金髪の青年に叱責を飛ばした。
金髪の青年――レオポルトは、ややばつの悪そうな顔になる。
イーディスは老人の迫力に思わず目を剥いた。白い髭、顔に幾本も刻まれたしわ――どこからどう見ても老人なのに、身体中から威厳と風格が滲み出ている。紫色の宝石が輝く王冠を被り、鋭い碧眼は衰えを全く感じさせない。はたして、目の前の人物は本当に老人なのか?と疑ってしまいそうだ。
「息子が失礼した、神託の少女よ。近くに来たまえ」
先ほどの叱責とは打って変わって優しい声だ。幼い頃、お菓子を恵んでくれた好爺を連想させる。だが、ただ優しいだけでなく、やはり威厳が体中から溢れ出ていた。
「は、はい」
声が震えてしまったが、足取りだけは確かに老人の前に進み出る。
「名はなんというのじゃ?」
「イーディス・ワーグナーです」
「銀髪に紫の瞳。うむ、神託通りじゃ」
老人はそう言うと、なにか合図を出す。すると、自分を引っ張って来た神官が、老人の横まで進み出た。いつのまにか、彼の手には紫色の宝石が埋まった首飾りが握られている。
「イーディスよ。これは聖女の首飾りじゃ」
「聖女の首飾り、ですか?」
「うむ、これをかけることができるのは聖女だけ。この紫水晶の首飾りを提げることができれば、おぬしは聖女として認められる」
老人は首飾りを愛しそうに受け取ると、私の前に掲げた。
それは美しい首飾りだった。
透き通った紫水晶は、見つめていると内部に吸い込まれそうだ。その水晶の周りを金色の大きな鳥の彫刻が覆っている。聖女の首飾りというのも納得がいった。
しかし、一つだけ納得がいかないことがある。
イーディスは少し悩みながら、老人の顔を見上げた。
「えっと……」
「うむ、なにかな? 質問があるのであれば、申してごらん」
「私、本当に聖女なんですか?」
少し遠慮がちに質問をした。
その途端、レオポルトが吠えた。
「貴様っ! 孤児の分際で父に質問をするとは!!」
「レオポルト、いい加減にするのじゃ。どのような身分であれ、民には均しく接する。それが上に立つものの役目だと忘れたか!!」
老人の小さな口がぐわりと猛獣のように開いた、と思った瞬間、再度叱責が飛んだ。
今度は至近距離だったせいか、迫力が倍に感じる。空気が震えあがるような声だった。自分が叱責されていないのに、背筋がぴんっと伸びてしまう。
ところが、レオポルトは違うようだった。
「しかし、父上! 彼女が聖女にふさわしいとは思えません。聖女にふさわしい者は、他にいるはずかと」
父と呼んだ老人の言葉など意に返す様子もなく、レオポルトは視線を別の女性に向けた。
その視線の先にいたのは、これまた美しい女だった。優雅に巻き上げた金髪、柳の形をした眉、ルージュを引いた形の良い唇……若干、目つきが釣り上がり気味で厳しい感じもするが、神の最高傑作と呼ぶべき容姿である。胸など「たわわに実った果実か!」と言いたくなるほど豊満で、それを支えているであろう腰は折れそうなほど細い。
自分にないものをすべて持っている。うむ、実に羨ましい。
「……エンバス侯爵令嬢。君はどう思う?」
「……はい。国の上に立つものとして、民には平等に接する必要があると思います。なぜなら、民がいなければ国は成り立たないからです。民に嫌われた王は、必ず裁きを受けることになります」
エンバス侯爵令嬢は軽く頭を下げると、控えめに話し始めた。
「それから『清浄の聖女』や『祝詞の聖女』も出自を紐解けば貧しい農家の出だったと記録されています。出自は聖女の神託に関係ないのです」
「うむ、その通りじゃ。さすが、クリスティーヌ。よく勉強しているな」
「ありがとうございます」
エンバス侯爵令嬢、改め、クリスティーヌは、静かに微笑んだ。レオポルトの顔に一瞬だけ朱がさしたのを見逃さない。それは恥ずかしさからなのか、はたまた別の感情なのか。
「イーディス・ワーグナーよ」
レオポルトの顔色の変化に思考を巡らせていると、老人が話しかけてきた。
「神託が下ったのじゃ。
『魔王を倒すには、聖女の力が必要だ』『銀髪と紫色の瞳を持つ娘……イーディス・ワーグナーが聖女である』」
「名ざしで、聖女認定ですか」
自分が聖女?
しかも、魔王を倒す?
イーディスは卒倒しそうになった。
自慢ではないが体力は平均、武術など習ったこともなく、平民では珍しく魔力適正があることにはあるが、肝心の魔力は微々たるものだ。
いつか冒険物語に影響され『魔術を使えるようになって、将来は冒険者になる』なんて言ったとき、保母代わりの神官は顔を歪め、こう言ったものだ。
『おまえ程度の魔力じゃ、魔術師なんて到底無理。ましてや、冒険者なんて……』
と。
幼い頃は納得いかなかったが、いまなら分かる。
そんな自分が聖女として、そのうえ、魔王と戦う姿など想像するだけで倒れてしまいそうだ。
怖い。
怖くて怖くて、無理です!と叫びたい。
光の速さで否定する。自分がついていったところで、何の役にも立たない。まだ家畜の方が役に立つだろう。無理だ、無理だ、絶対に無理だ!!
言葉にするのも恐ろしくて、首を勢いよく横に振る。
ところが、周りの目が、特に目の前の老人の双眸が、それを許してくれなかった。
「無理は承知じゃ。護衛もつけるし、おぬしを時間の許す限り鍛え上げよう。願いも可能な限り聞き遂げよう。
どうか、この国を魔王の脅威から救ってくれ」
老人が頭を下げる。
どっと驚く声で周りが沸いた。王に頭を下げさせるだなんて、と文句を言う声も聞こえる。レオポルトなんてあからさまに侮蔑の視線をぶつけて来ていた。
「か、顔を上げてください」
イーディスは慌てて口を開いていた。
正直、聖女とか無理である。自覚しているが、適正能力はゼロ。魔王討伐など不可能だ。
しかし、老人――この国の国王が頭を下げている。聖女の神託を受けたとはいえ、薄汚い孤児に過ぎない自分に。レオポルトのような反応をするのが普通なのに。
「国王陛下」
演技かもしれない。
聖女の小娘を手駒にするため、いやいや頭を下げているのかもしれない。
だけど、この精一杯真摯な対応を嘘でもいいから信じたかった。
「お願いがあります。どうか、アーネスト孤児院に資金と食料の援助を」
それに、これはチャンスだ。
自分が聖女になることで、経営に苦しんでいる孤児院の助けになるかもしれない。
いつもお腹を減らしている弟が、満腹で笑える日が来るかもしれない。
「うむ、すぐに手配しよう」
王は立ち上がると、紫水晶の首飾りをこちらに向けた。
この首飾りを受け取ったが最後、もう聖女としての宿命から逃れることはできない。王の目はそう告げていた。だが、受け取らないという選択肢はない。なにせ神託は既に下っている。ここで駄々をこねたところで状況は良くならないし、むしろ援助の約束まで取り消されたら元も子もない。
「ありがとうございます、国王陛下」
とにかく、腹をくくろう。
なんとかなる、に違いない。
だてに十数年、神官たちから『イーディスの取り柄は、ブラコンと前向きなところだけ』と言われ続けてきたわけじゃない。
聖女の首飾りを指に取ると、ゆっくり首から下げた。
その瞬間、時が止まったような気がした。
身体が一瞬、不思議な熱さに包まれ、胸の辺りから火花のような奇妙な音が聞こえる。この音は何か?と視線を下に向けたとき――
「――ッ!?」
紫水晶から七色の光が、爆発的に放出されたのである。
ステンドグラスの灯りすら霞むほどの光は、瞬く間にイーディスを、そして神殿全体を包み込んだ。
「神の祝福だ……」
イーディスを拉致同然で連れてきた神官の呆然とした声が、どこか遠くで聞こえる。
彼女に対する疑念の声は聞こえない。否、依然として疑念はあったとしても、この瞬間だけは払しょくされていた。呆気に取られて声が出ない者、目を疑う光景に感嘆の声を漏らす者、感激のあまり言葉を忘れる者――多種多様なざわめきが空間を支配する。
その中心にいたのは、ちっぽけで小汚い孤児――イーディスだ。
彼女はこの瞬間、聖女として認められたのである。
やがて、七色の洪水は波を引くように収まり、気がついたときには元の紫水晶に戻っていた。
「ここに、あらたな聖女が誕生した!」
イーディスが突然の出来事に硬直していると、王は彼女の腕をとり、高らかに掲げた。
「彼女は聖女として、必ずやこの国を救ってくださるだろう!!」
王の言葉に続けとばかり、耳が痛くなるほどの歓声が木霊する。
「私、本当に聖女なんだ」
その言葉は、歓声にかき消されてしまった。
先程の光は事実である。
あいかわらず実感は湧かないが、それでも、聖女に認定されたという事実だけは身に染みて理解した。
「聖女よ、疲れたであろう。今日はゆっくり休み、仲間の紹介は明日にすることにしよう」
「仲間?」
「うむ。だが、もう今日は遅い。ほれ、はやく聖女様を部屋にご案内するのじゃ」
「ありがとうございます、国王陛下」
人ごみの中から目立たない侍女が一人、こちらにやってくるのが見えた。
なにをしたわけではないが、もうくたくただ。
イーディスは場違いなじょうろを拾い上げると、その日は城に用意された部屋で休むことにした。
次話は、15日16時投稿します。