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40話


 そこにいたのは、コゼットだった。

 予想外の人物に、イーディスは己の目を疑ってしまった。


「どうして、コゼットがここに?」


 なぜ、という疑問しか浮かんでこなかった。

 なにしろ、コゼットといえば同じ孤児のなかでも群を抜いて善い娘だった。

 だれに対しても平等で、気配りもできて、容姿も悪くない。むしろ、上物と呼ばれる分類に入る。だから、自分より彼女のほうが聖女に向いているし、きっと孤児院の保母たちも「コゼットならわかるけど……どうして、イーディス?」なんて、首を傾げたことだろう。

 そのように清く正しい娘が自分の敵として対峙している。

 こちらに向けてくる視線は悪意と殺意に満ち溢れていた。そこに、慈悲のかけらもない。いままで慣れ親しんだはずの柔らかい雰囲気は拭い取られ、静かにすわった瞳と固く結ばれた唇は冷酷な印象を与えた。


「あら、私のことを覚えていたのね」


 コゼットは、くすりと微笑んだ。


「忘れるはずもないよ。だって……同じ孤児院(ばしょ)で育った仲間じゃない」

「まぁ! 親愛なる聖女様にそう思っていただけていたなんて」


 コゼットは自分より聖女らしい微笑みを口元に浮かべる。

 そう、口元だけ。

 目の奥に宿る色は残忍なまでに歪んでいた。いままで見たことのない表情に、ぞくりと髪の毛まで逆立つ。


「私は貴方たちを仲間だなんて思ったことはなかったわ」


 コゼットは、きっぱりとイーディスを切り捨てた。


「あんなところ、さっさと出たかったに決まっているでしょう?

 かわいい服もない、美味しいものも食べれない、自由に遊ぶことだってできない! ええ、嫌いよ嫌い。大っ嫌いだったわ!」

「そんな……」


 イーディスは信じられない言葉に絶句する。

 アーネスト孤児院時代、コゼットはいつも笑顔でてきぱきと働く善い子だったはずだ。そんな彼女が裏でそのようなことを考えていたなんて、到底信じられなかったのである。

 まさか、魔族に操られ、そのような言葉を言わされているのではないだろうか? 

 そう考え、彼女を注視してみても、黒い靄の欠片も見当たらない。

 正真正銘、彼女の本心である。


「ああ、でもね、1つだけ良いことがあったの。

 よい子にしていればね、賞賛を受けることよ。ちょっと我慢すれば、他の子より自由が認められるし、そこそこに繁盛しているパン屋の養子になれたし、あなたたちからも感謝されたわ。

 『まるで、聖女のようだ』ってね。

 だから、イーディス。あなたにわかるかしら? 役立たずで小汚い小娘が、この私を差し置いて聖女になったことを知ったときの気持ちが」


 コゼットの瞳の奥で、憎悪の炎が大きくなる。


「私より格下の少女が、聖女となったなんて。

 王太子や国を背負うエリートたちに囲まれて旅をするだなんて!

 綺麗な服を着て、美味しいものを食べられて、戦いの際には守ってもらえて、すべてが終わったら貴族に嫁ぐだなんて!!!」

「いや、そんな羨ましがられることじゃなかったけど」

 

 むしろ、できることなら変わってほしかった。

 美味しいものを食べられたのは事実だが、服に興味はなかったし、旅は足手まといで居場所がなく、心が締め付けられるように辛かった。

 コゼットのように、そこそこに繁盛しているパン屋に養子入りしていたほうが、自分には合っていたはずである。

 だが、そんなことを正直に話したところで、きっと今のコゼットの耳には入らないだろう。案の定、自分のつぶやきは嫌味にとらえられてしまったらしい。コゼットの目線がより一層きつくなった。


「あなたが旅に出てから、孤児院(あそこ)で上がる話題は聖女、聖女、聖女!!

 誰もが『あの子が聖女になるなんて、信じられないけど光栄なことだ』『神の慈悲は恵まれない子にも与えられることが証明されたのだ』って口をそろえていうのよ?

 この私よりも、聖女になったってだけで、なーんにもしてないはずの貴女のほうが崇められるってどういうことよ!!」

「……」

 

 いまの発言を聞く限り、別に崇められているとは思えなかった。

 そもそも、はっきりと孤児院の保母たちは聖女(イーディス)を「恵まれない子」と見ていたことが分かった。実際、思っていても口に出してしまうとはいかがなものなのか。

 だいたい、そもそも神が慈悲深いのであれば「恵まれない子」なんて存在するはずもなく、その「恵まれない子」に追い打ちをかける真似をさせないはずだ。

 たとえ、保母たちが手のひらを返したように自分を崇めていたとしても、とても歓喜に震えることはできなかっただろう。


「……」


 だが、今度は言葉を返さなかった。

 どうせ、また嫌味にとらえられてしまう。代わりに、イーディスはこう切り返した。


「もしかして、それがここにいる理由?」

「……ええ、そうよ」


 コゼットの笑みが深くなる。

 もはや、その笑みは、かつて聖女と呼ばれた少女とは思えないほど残忍なものへと変わっていた。


「くすぶっていたときにね、妙なやつらが私に問いかけてきたのよ。

 『魔王の配下として栄華を極めるか、この場で死を選ぶか』とね」

「……まさか、もしかして……」

 

 エドワードの小さく震えたような声が耳に届いた。


「ええ、もちろん魔王の配下に入ったわ。

 だって、死んだらそれまででしょ? それに、どうせ魔王が本気を出したら人間は滅びるもの。だったら、少しでも生存率が高くて豪遊できる生活を選ぶにきまってるじゃない!」


 魔王、と口にするとき、コゼットは恍惚な表情を浮かべていた。

 

 その表情を見て、イーディスは心が苦しくなった。

 人間なのに魔王の手先になる理由が分からなかった。コゼットが魔王に心酔してしまうほど、追い詰められていたとは、考えもしなかったし、信じたくもなかった。

 だが、認めなければならない。

 

 思えば、孤児院の火元が台所でも広間の暖炉でもなく、火の気がない書庫だった時点で、彼女を疑っていたのだ。

 コゼットならば、いつも通り書庫に入り、本を読むふりをして火を放つことくらい余裕だし、家に帰ると見せかけて逃走することだってできる。

 第一発見者として情報をある程度は操作できるだろうし、エドワードのように事件に疑いを持つ分子を見つけ出すのも容易だ。彼のように勘づいたものたちを魔族に流し(リーク)し、操る手はずを整えることだって可能になってくる。


 そう、つまるところ、孤児院を焼き、間接的にアキレスを殺したのは彼女なのだ。

 そこまで思い至った瞬間、イーディスの心は驚きや否定よりも、純粋な怒りの感情が急速に支配を広げ始めた。


「今回の件も、あんたが仕組んだのね」

「ええ、そうに決まってるでしょ。私、あなた程度の考えなんて、ぜんぶお見通しなんだから」


 コゼットは、アキレスを使えばイーディスを簡単におびき出せることを知っていた。

 なにしろ、彼女はイーディスがアキレスに対し、山より高く、谷より深いほどの愛情をかけていたことを知っていた。その手を利用しないわけないではないか。


 そう、アキレスを殺して、その死まで利用した女。

 イーディスは爪が食い込むほど拳を握り締める。

 仲間意識をひそかに持っていた女だったが、もう容赦はしない。この場で、どんな手を使ってでもその報いを受けさせてやる。イーディスがその宣言をしようと、口を開いた。


 その瞬間だった。


「ふむ、ご苦労であった」


 重厚な声が背後から聞こえ、はっとしたように振り返る。

 ウォルターの声だ。魔王の玉座に腰を掛けたまま、どこか尊大な態度でコゼットを見下ろしている。


「何を言ってるんですか、ウォルー……」

「人間はやはり醜い。

 たとえ、我ら魔族が操らなくても、その弱き心を刺激すれば、あっさりと悪に転がる」


 ウォルターはイーディスの言葉を遮ると、芝居がかった言葉をつづけた。

 その姿を見て、イーディスは現状を思い出した。

 

 そうだ、これはお芝居の続きのはずなのだ。

 当然、コゼットの登場は伏線もなく、彼女の存在を初代聖女の成育歴に当てはめようとしても、重ならない部分が大半だ。むしろ、初代聖女の周囲には彼女(コゼット)のような娘はいなかったに違ない。

 しかし、これはお芝居だ。

 観客に芝居だと思い込ませ、穏便にことを済ませる必要がある。

 そうしないと芝居は台無しで、観客は「魔族の手のものが現れた!」と大混乱に陥る。その後の戦闘にも影響が出てくるし、暴動状態の民はなにをするか分かったものではない。

 イーディスは一度、心を落ち着かせるように目を閉じた。


「魔王、すべてはあなたの差し金だったのですね」


 イーディスは初代聖女として、魔王(ウォルター)に言葉を放った。


「ああ、そうだとしたらどうする?」

「では言いましょう。この程度で私は揺らぎません」


 実際に口に出してみると、すっと胸の内に感情が収まっていくのを感じた。

 怒りの感情も困惑もすべてが一つのところに収束し、ぱたんと胸の奥で蓋される。

 イーディスは再び目を開けると、世界が変わって見えた。


 コゼットの残忍極まりない顔よりも、エドワードの驚きのあまり目を見開いている姿よりも、なによりも不安そうな観客が飛び込んでくる。

 これが芝居なのか、それとも本当に起きたアクシデントなのか、どちらなのか信じきれない顔。

 そう、一歩背中を押せば、どちらにでも転ぶ表情をしている。


「魔王よ、そこで見ていなさい。

 あなたを倒す前に、人々を惑わす不届き者を成敗しましょう」


 イーディスは彼女にまっすぐ剣先を向けた。






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