37話
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。 ※あとがきを変更しました。
「《迎えに行く。我らと共に来い》……って……」
イーディスは震える声で呟いた。
短い言葉には、投影写真が添えられている。
投影写真は大変高価で貴族や祝い事にしか撮られないので、あまり見たことがなかったが、世界の一部を切り取ったとしか思えない精細な絵は、噂の写真としか考えられない。
「嘘……嘘に決まってる」
写真には、白髪の男の子が縄で縛られている姿が映し出されている。男の子は涙で潤んだ紫色の瞳をこちらに向け、助けを懇願している。それは見間違えるはずもない、世界で一番大切だった弟の姿だった。
「どうして……だって、アキレスは……」
あまりにも強くカードを握りしめていたからだろう。カードの端にはくしゃりと皺が広がっていた。
アキレスは間違いなく死んだはずだ。
神殿が記録した死亡名簿にも、あの墓にも名前は記されていた。テレサもアキレスの遺体を確認したという言葉を耳にしている。だから、確実に彼はこの世にいないはずだ。
だが、一方で誰も、直接アキレスの遺体を確認していない。
自分はもちろん、テレサも見ていない。
唯一、コゼットは確認していた可能性もあったが、彼女と話すことはできなかった。
つまり、もしかしたら―― その先を考えた途端、イーディスは外に向かって走り出していた。
「おい、馬鹿! これは罠に決まってんだろ!!」
しかし、部屋から出ることはできなかった。
ウォルターの手が腕をつかんできたからだ。イーディスは内心、舌打ちをした。一撃で大の男三人を吹き飛ばすほどの力を振り払うことなどできなかった。魔力を一気に腕に集めて放出すれば、一時的に拘束が緩むかもしれない。
「離してください! だって、アキレスが――」
「お前の弟は、もう死んだ!」
「生きてるかもしれないじゃないですか!!」
イーディスは泣きたいような叫び声をあげる。
もう区切りがついた、と思った感情だった。
アキレスは死んだ。絶対に認めたくない事実だが、事実なら受け止めないといけない。どうせ、いつか自分は死ぬ。だから彼の分まで生きて、向こうに逝ったときに、土産話をたくさん聞かせてあげよう。寂しがっている彼を待たせるのは心苦しいが、自分はもう少し生きていたい。
そう覚悟した矢先だった。
「だって、誰も――アキレスの死体を見ていないんですから!」
それがこんな風に唐突に出されたら、すべてが瓦解してしまう。
ようやく積み上げたものが一気に壊され、元の更地に戻ってしまった。否、更地どころではない。アキレスの死にした蓋が強引に引きはがされ、以前より大きな穴を開けてしまっている。
生きているかもしれない。
もうとっくに死んでいるかもしれない。
自分のせいで捕まっているかもしれない。
泣いて叫んで、姉の助けを待っているかもしれない。
ウォルターの言う通り、すべてが罠かもしれない。
どれが真実なのか分からない。
だが、1つだけはっきりしていることがある。
「誰かが、アキレスを――私の大切な弟を利用しようとしているんですよ?」
ここに映し出された弟が本人であっても、何者かの変装であっても、アキレスを利用したことには変わりない。
「私を捕らえるためだけに、アキレスを汚した悪人どもには鉄槌を下さないと!」
アキレスは人を信じる心優しい子だった。
生きていたとしても、死んでいたとしても、縛られ利用されるなどという辱めを受けるなんて、アキレスの純粋な心が汚された以外の何物でもない。それが罠ならなおのこと、怒りの鉄槌を下さなければならない。
「だから、行かせてください」
「いや、まず落ち着けって。お前、この封書の送り主が誰なのか知っているのか?」
「それは……」
ウォルターに指摘され、ようやく我に返った。このカードには差出人も場所の指定も何も書いていない。
「分からないですけど……」
「わざわざ迎えに来るなら、それまで待ってろ。闇雲に探して時間を消費するより、対抗策を考える方が無駄にならねぇ」
「どうせ敵が来るなら、こちらも相応の準備で迎え撃つ……ということですか?」
「ああ。というか、そもそもだ。どうして、今、この封書が届いたのかを考えろ」
「それは、いまアキレスが捕まっているから――」
「偽物の可能性もあるし、もしそうなら、なんで早くに送ってこねぇんだよ。お前がもっと弱い時に送ってきた方が効果的だろうが」
「それは……」
一理ある。
頭から冷水を浴びせられたように、急速に昂った感情が冷えていくのを感じた。
アキレスを捕らえているのであれば、もっと弱い時――祝福の加護に目覚めるか否かのときに送ってきた方が効果的だ。弱いのに飛び出していき、魔族の手に落ちていただろう。自慢ではないが、今の方が修行も重ね、強くなった。たとえ四天王相手でも簡単に負ける自分ではない、はずだ。
そう考え、改めて文面にヒントがないか目を落とす。
書いてある言葉は変わらない。
「わざわざ、強くなるのを待っていたとか? でも、どうして……?
そもそも……この迎えに行くって、どういうことでしょう?」
そもそも「迎えに行く」とは、道化のような魔族が最後に残した言葉だった。
だから、いつか来る魔族に備えて、時間の隙間を縫うように修行をしてきた。このときに、年越し祭りが開催されるというこのときに、改めて念を押してくるというのは、なぜなのだろうか。
「少なくとも、たんなる年越しの挨拶……ではないですよね」
だいたい、敵に年越しの挨拶などするわけがない。
仮にするとすれば、それは相応の阿呆。もしくは、あえて逆に住所を知らせることで、こちらを呼び寄せようとする策士のどちらかである。
だが、この封書には住所の類は一切書かれておらず、かといって、国の中枢まで根を下ろそうとした魔族が、考えもなしに新年のあいさつをしたり、単なる念押しをしたりするほど愚かだとも考えられなかった。
「……私を焦られて、年越し祭りを成功させない計画、とか? それとも、祭りの最中に魔族が仕掛けてくる計画とかでしょうか?」
「あるいは、その両方か。まったく違った計画か。いずれにしろ、年越し祭りに絡んだなにかだろうな」
「でも、もしそうだったら……」
イーディスは腰に提げた剣に目を落とした。
いま提げられているのは、いままで愛用してきた剣だ。四天王になると難しいが、平均的な魔族相手であれば、これでも十分に応戦可能だ。たとえ、この場で魔族が現れたとしても、祝福の加護を使わなくても戦うことができる。
だが、舞台に上がったときに提げるのは正真正銘の模造剣だ。本物の剣と打ち合いになったら、一合も耐えることができず、折れてしまうだろう。そうなったとき、すぐに祝福の加護を模造剣に付与し、応戦しなければ勝ち目はない。けれど、もし――すぐに加護の力を使ってしまったら、魔族が2人目、3人目と現れたとしても、こちらは加護の反動で抵抗することが難しくなってしまう。
「加護の力を使い過ぎて、私が動けない隙を狙ってくるとか?」
「そう考えるのが妥当だが……だとすれば、なんで、こんな封書を送って来たのかが分からねぇ。
もし、そうなら対抗策として模造剣とは別に、本物の剣を提げてりゃいいだけの話だからな。こちらに対抗策を与えてしまうくらいなら、なにも知らせず強襲作戦を取った方がいいに決まってるだろ。
ってか、そもそも、どうして魔王はお前を手に入れたがってるんだ?」
ウォルターは不思議そうに尋ねてきた。
その問いかけに、イーディスは首を横に振った。
「……分かりません」
手紙には「迎えに行く」だけでなく「我らと共に来い」と書いてあった。
聖女の脅威を取り除くためだけなら、それこそ、イーディスが力をつける前にアキレスを餌にして呼び寄せればいい。そうでないとなると、イーディスには全く分からなくなってしまった。自分は聖女であるという特記事項以外は、平凡な一般市民に毛が生えた程度の人間だ。魔王側が味方に引き入れたとしても、特にメリットがあるとは思えない。
聖女が魔王の味方に付いた、という絶望感を人間に味わせるためなのか。あるいは、こうして頭を抱えさせることが作戦の内、なのだろうかとさえ疑ってしまう。
「……ま、とりあえず、いまは飯を食いながら作戦会議だ。腹が減ったら戦はできねぇ。それに、作戦もなしに突っ込んでいったところで、負けは目に見えてる」
ウォルターはイーディスの手を離すと、自分の席へと戻っていった。
イーディスは宙に浮いたままになった己の腕を見つめ、そのあと、扉へ目を移した。
彼の手が解かれた今、このまま駆け出せば――アキレスを探しに行くことができる。
この封書を送った人物が、こちらに接触してくることだってありえるかもしれない。しかし――
「……そうですね」
イーディスは視線を逸らすと、席に戻った。
ウォルターの言う通り、作戦もなしに闇雲に突撃したところで何も好転しない。ならば、少しでも――無駄になってしまうかもしれないが、敵を迎え撃つ作戦を考え、備えた方がいい。
「……ごめんね、アキレス。絶対に、お姉ちゃんが助けに行くから……」
イーディスは口の中で呟いた。
この瞬間にも、世界で一番大切な弟が命の危険にさらされているかもしれない。
それなのに、すぐ助けに行くことができない自分が歯がゆかった。
でも、これがアキレスのためなのだ。
ここで我慢しないと、彼を助けることはできない。彼を汚した奴を倒すこともできない。
イーディスはそう思い込むと、フォークを手にとった。
活動報告に本編のIF話を掲載しました。
完全にバッドエンドな内容ですので、読む際には注意してください。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/150226/blogkey/1924378/